CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

ジム・クロウチのPhotographs & Memories、我が家の地味なレコード紹介シリーズ、その十三

2017年10月05日 | SSW

ギターギンギン、ベースブンブン、ドラムドコドコそしてキーボードがギューンと大音量でハード・ロックを聴いてばかりいると、静かで心温まる音楽が恋しくなる。

そんな時はアコースティックなサウンドのシンガーソング・ライター、例えばジェームス・テイラー、キャット・スティーブンスや渋いところではカナダ出身のエリック・アンダーセンなんかが個人的にはお奨め。

もう一人忘れていた。

大ブレークした翌年、30歳の若さで飛行機事故で亡くなったジム・クロウチである。

亡くなったちょうど一年後の1974年に出したベスト・アルバムがこれ、Photographs & Memories(全米2位)。


ブレークした1972年から翌年にかけて出た3枚のアルバム、Don’t’ Mess Around with Jim(全米1位)、Life and Times(全米7位)とI Got A Name(全米2位)からヒット曲や名曲がてんこ盛りになっている。

たった2年での短期間でアメリカで大成功を収めたにもかかわらず、日本ではそれほどでもなかったみたいで少し残念。

Photographs & Memoriesとは、古い写真を見て、昔を思い出す。

自分に当てはめると、写真に写っていた若い頃ってあまり遠い未来のことは考えていなかった様な。

明日、明後日、長くとも1週間後辺りまでだっただろうか。とてもじゃないが、当時は数十年後の今ある暮らしなんてまったく想像がつかなかった。

人間は未来が分らないから何とか生きていけるわけであって、将来ドツボの人生が待っていると分れば本当に憂鬱な毎日となり、心が折れてしまうに違いない。

その日暮らしの連続がその遥か彼方の延長線上に漠然と存在するであろう未来に繋がっているって感じで、あまり深く考えることも無く多くの時が過ぎ去り現在に至っている。

人生はやっぱり楽観主義で過ごした方がいいと新ためて思う。


たまには古いレコードも その2、カーリー・サイモン

2017年04月02日 | SSW

昨日最初に聴こうと選んだレコードは、カーリー・サイモンの1972年のNO SEACRETSだった。

これのアルバム自体はCDで聴くことはたまにあったけど、レコードでは結構長い間全く聴いてなかった。

ターンテーブルに乗っけて、演奏を開始するとのっけから、ザラザラ音が混じっていたので、中性洗剤を使用して丸洗いを敢行、乾燥後クリーナーで埃を取り、静電気に帯電していないことも確認し、やっと音源の再生が出来るようになった。

雑音のほとんどは消えて、鑑賞に耐えうるレベルになり一安心。

だから、古いレコードの再生は本当に手間がかかる。

マニアによれば、この手間のかかる作業込みでレコード音源の再生を楽しむらしいが、せっかちな私にはハードルが高い。

聴こうと思って取り出した10枚程度のLPを丸洗いし、乾燥させている作業に時間がかかり、いざ聴くとなると結局数枚程度を鑑賞する事で時間切れ 。

まあ、私の場合はジャケットの鑑賞だとか、アーティストに関する細々とした情報を知ったりするのも楽しみのうちであるので、ここ7−8年前からリ・イシューの新譜や中古盤を再び集めだした。

話を戻して、70年代の初め頃、女性シンガー・ソング・ライター御三家といえば、キャロル・キング、ジョニ・ミッチェルとカーリー・サイモンだった。

1972年といえば、キャロル・キングは4枚目のアルバム、RHYMES & REASONSを出した頃で、全米2位を獲得したものの1971年に出した、全米1位を獲得したTAPESTRYや MUSICなどのアルバムと比べると少し地味になったような気がした。


ジョニ・ミッチェルは、従来のフォーク路線から少しジャズ系に舵を切り出す頃の区切りのようなアルバム、FOR THE ROSEを出した。


見開きのジャケット開けると、スッポンポンのミッチェルさんが岩礁に立って居られてちょっとドッキリ。

そこに登場したのがこのカーリー・サイモンの新譜で、リチャード・ペリーのプロデュースにより英国で録音され、彼の顔の広さでオールスターとも呼ばれるセッション/ゲスト・プレーヤーを呼びさらに大物ゲスト、ポールとリンダ、ミック・ジャガーにジェームス・ テイラーも参加と話題を呼んだ。



それぞれのアルバムの歌詞の内容は、どちらかというと大人の事情を歌ったもので、その当時年齢的に彼女たちとギャップがあった高校生の私にはあまりピンとは来なかった。

ただ、サウンド的にはこの三名が1972年に出した新譜の中ではカーリー・サイモンのアルバムが力強く聴こえ一番解り安いアルバムだったと思う。

ジャケットの写真も、飛び切りの美人でもなく、普段着をきてポーズを取っているどこでもいるよ〜な感じのおね〜さんで、妙に親近感が湧いた。

そしてマタニティー・ドレスを羽織り、まさかのお腹ぽっこりの彼女が次作のアルバムのカバーを飾るとは想像がつかなかったので、ちょっとガックリ。


もう少し、どこでもいるよ〜な感じのおね〜さんでいて欲しかったと思ったものである。

YOU’RE SO VAIN~ ♪♪

いえいえ、自惚れるなんて、滅相もない。

モテたいって気持ちはものすごくあったし、お近づきになりたいとは常々思っていたけど、そもそもクラブ活動中心で回っていたオクテの人間が、あなたに対してそんな大それた態度をとるなんて…


リビー・タイタスって何者?

2016年10月17日 | SSW

1977年発売のアルバム。

自身の名前、リビー・タイタスがアルバム・タイトル。

これは彼女の2枚目のアルバムで、デビュー・アルバムは1968年に出したポップやフォーク・ロックのカバーだったが、ほとんど話題にならなかったので、実質的にはこのアルバムを1枚目と数えても良いのではないかと。

しかし、この後彼女のアルバムは制作されなかったので、なんとこれが最終作品となる。

注目曲は、70年代初めに、エリック・カズと共作したし、リンダ・ロンシュタットやボニー・レイットらに取り上げられたLOVE HAS NO PRIDEを自身でしっとりとカバーしている。

アルバムのプロデューサーは、曲ごとに異なり、 ビリー・ジョエルで有名なフィル・ラモーン、ポール・サイモン、カーリー・サイモンにバンドのロビー・ロバートソンらが大物が引き受け、さらに一曲目の楽曲はあのアル・クーパーと共作。

私生活に至っては、一番目の旦那がバンドのリボン・ヘルムで、離婚後ドクター・ジョンと付き合い、93年にはスティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンと再婚。

この人一体何者?って感じで、ロック・スター総登場。

アルバムは、ジャズぽいAOR路線と言うか、大人の雰囲気満載。

アルバムのCD化はずっとなかったのだが、ようやく2007年に紙ジャケで出るとあっという間に売り切れ、買い損ねる。

そして、つい最近再発日本盤CDがプラケース廉価版で出たみたい。

前回の轍を踏むことなく、売り切れ前に買おうかどうか迷ったが、わざわざ日本から取り寄せるのもなんだか面倒なので却下。

それに自宅には当時買ったレコードもあるし、このアーティストに関してはレコードで聴いた方が雰囲気出るんじゃないかと。


懐かしの50年代、OL’ 50S

2016年08月29日 | SSW

ウエスト・コースト特有のスムーズでカラッと乾燥させるフィルターをかましてオリジナルにあった独特なアクを抜いてカバーしたのがイーグルスが1974年3枚目のスタジオ・アルバム、ON THE BORDERに収録されているOL’ 55(懐かしき55年)。


しかし、個人的には1973年のトム・ウェイツのデビュー・アルバム、CLOSING TIMEの先陣を飾るオリジナルに好感が持てる。

トムの演奏するピアノに控えめなアコースティック・ギター、ベースとドラムの伴奏で、後に比べるとまだ初々しさの残るしゃがれ声でゆったりと歌いきる。

一人でしんみりと聴くにはうってつけの哀愁の帯びた曲である。

翌年、上述通りイーグルスがカバーして、結構な印税を得ることになったので、本人は感謝していると思いきや、彼らのカバーはちょっと生気の無いというか冷たい感じがすると言ったとか。

当時、イーグルスは3枚目のスタジオ・アルバムを制作していて、前作と前々作のプロデューサーだったグリン・ジョンズを解雇し、新しくビル・シムジクをプロデューサーに迎えた。

そしてそれまで録音していた曲のうち2曲のみ残して他の局はすべて破棄し、新しくレコーディングに取り掛かった。

グレン・フレイによると、それまでのウエスト・コースト系のカントリー・ロックは少々スムーズすぎ且つガラスのように滑らか、少し退屈な感じがするというわけで、もう少しタフなサウンドを作るためプロデューサーの交代と新ギタリスト、ドン・フェルダーの参加となったとか。

しかしながら、彼らのOL’ 55のカバーに関しては、グレンのアルバム制作の構想とはちょっと異なり、スムーズ過ぎるように思う。

つまりフィルターかけ過ぎって感じ。

アメリカのフォーク系のベテラン・シンガー・ソング・ライターのエリック・アンダーセンも1975年のアルバム、BE TRUE YOUでカバーしている。こちらのほうが淡々とした感じで歌われていて雰囲気はあると思う。


で例によって、相変わらずへたくそな英文和訳で

OL’ 55

Well my time went so quickly, (時なんてあっと言う間に過ぎ去った)
I went lickety-split out to my old'55 (俺も愛車の55年型で全速力で駆け抜けた)
As I drove away slowly, feeling so holy,  (ゆっくり走れば、何か神聖な気分になる)
God knows, I was feeling alive.  (神はご存知かも知れないが、生きてるって感じてた)

Now the sun's coming up,  (日が昇り)
I'm riding with Lady Luck, (俺は幸運の女神とやらと一緒に走っている)
Freeway cars and trucks, (フリーウェイの車やトラック)
Stars beginning to fade, (星の瞬きも消えていき)
And I lead the parade (俺はそのパレードを率いた)

Just a-wishing I'd stayed a little longer, (もう少しこのままでいたいなんて願う)
Oh, Lord, let me tell you (ちょっと言わせてもらえば)
That the feeling's getting stronger.(その感覚がだんだん強くなっていくのさ)

And it's six in the morning, (時間は朝6時)
Gave me no warning, I had to be on my way. (警告なんて必要なかった。だって自分の道をいくべきだったからね)
Well there's trucks all a-passing me, (もちろん、トラック全部が俺を追い越して行く)
And the lights are all flashing,(ライトをすべてフラッシュさせながら)
I'm on my way home from your place. (俺は家に帰る途中さ)

And now the sun's coming up,
I'm riding with Lady Luck,
Freeway cars and trucks,
Stars beginning to fade,

Just a-wishing I'd stayed a little longer,
Oh, Lord, let me tell you
That the feeling's getting stronger.

And my time went so quickly,
I went lickety-split out to my old '55
As I pulled away slowly, feeling so holy,
God knows, I was feeling alive.

Now the sun's coming up,
I'm riding with Lady Luck,
Freeway cars and trucks,
Freeway cars and trucks,
Freeway cars and trucks...

内容は自身の所有した55年製のシボレー?で、フリーウェイを明け方ゆっくりとクルーズし、トラックにパッシングされながら家路につくという歌詞で、それに、どんな事が有ったのかは不明であるが、1955年当時の自身の思い出を重ねているって具合だろうか?

ちなみに、55年と言えばあのスティーブ・ジョブとビル・ゲーツが生まれた年でもある。

そしてさらに重要なのは、その数年後なんと私もボコッと生まれている。

嗚呼、懐かしの50年代、OL’ 50S

Tom Waits - OL' 55


誠実なのか? はたまた茶番なのか? シリーズ その3

2016年05月11日 | SSW

仕事に復帰が決定! と朝のヤフーニュースに出ていた。

何のことは無い。

かなり前に水面下では大筋が合意され、タイミングを図って、露払いのような形でスポーツ紙に前もって小出しに情報をばら撒き、復帰の際に起こるであろう反発を軽減しようという戦略かな?

なんだか茶番のような…

しかし、これは一般社会でもよくある話で、新聞に“大型プロジェクトをA社が受注!”なんて見出しが躍れば、そのプロジェクトに関してはほとんどのことが決定済みで、ニュースを見てA社に売り込みをかけても、トゥー・レイトとなるのが常である。

何!  トゥー・レイト!

それじゃ今回は、キャロルキングの、IT’S TOO LATEで! と強引に話は変わる。

彼女の、1971年オリジナルソロ第二作目の、お化け大ヒットアルバム、つづれおり(TAPESTRY)からのこれまた大ヒット曲にIT’S TOO LATEと言う曲がある。

アルバムは全米第一(10Xプラチナディスク)を獲得、シングルも全米第一位となり、翌年のグラミー賞で、アルバムは2冠(ALBUM OF THE YEAR BEST FEMALE POP VOCAL PERFORMANCE)、個別にはIT’S TOO LATEが RECORD OF YEAR、そして YOU’VE GOT A FRIEND がSONG OF YEARと計4冠を達成。

ミディアム・スロー・テンポのアレンジで、ジャージーに、けだるく、そして淡々と歌われているため、冷静な感覚で男女の仲の終焉を描いているように感じられる。

AND IT’S TO LATE BABY, IT’S TOO LATE
THOUGH WE REALLY DID TRY TO MAKE IT
SOMETHING INSIDE HAS DIED AND I CANT’T HIDE
AND I JUST CANT’ TAKE IT

もう遅い、手遅れ
何とか取り繕うと努力したけどね
心の何かが死に絶えて、隠せはしない
ごまかしきれない

なんて、淡々とした口調でここまで言われてしまうと、俺たち本当にお終いって感じになる。

当時ロック一辺倒だったのだが、この“つづれおり”はその後ジョニ・ミッチェルやカーリー・サイモンなどの女性シンガー・ソングライターにも興味がいくようになったきっかけのアルバムとなった。

それにしても、キャロルの歌は何時聞いても落ち着く、しかし当時中学生だったため、この手の歌詞の内容にはピンと来ず、もっぱらYOU'VE GOT A FRIEND聴いていた記憶が…

ところで、例のスキャンダルの幕引きも、感情的にならずシナリオ通りに淡々と事を運びゲスの茶番劇をお終いにするって算段ですかね~

暇人の午前の呟きでした...


Carole King - It's Too Late


“おっさん達 OF THE CANYON”の人生って! サークル・ゲーム

2016年02月20日 | SSW

ジョニ・ミッチェルといえば、柔らかなソプラノボイスをシンプルなアコースティックサウンドに乗せて、独特な節回しで自作曲を歌うカナディアン女性シンガー・ソング・ライターである。

当初はフォーク調の曲が主であったが、その後ジャズ・ミュージシャンを起用しジャズ風なアルバムを制作するなどフォークとジャズの領域をクロス・オーバーするとでも言うべきか、彼女独自のスタイルを構築していった。そして、つい数年前までアルバムを出し音楽活動をしていたようだが、最近脳動脈瘤という大病を患い病院に入院していたらしく心配なところである。

1970年に発表されたアルバムにLADIES OF THE CANYONがある。そのアルバムの最後を飾るサークル・ゲームという歌はいつ聴いても瑞々しく感じる。

同年に60年台後半の学生運動の走りとでも言える回想を記録した、いちご白書(STRAWBERRY STATEMENTS)というノン・フィクションの本が映画化された。

その映画の主題歌に、パフィー・セント・マリーという女性歌手によるサークル・ゲームのカバーが使用された。映画を見た人はこちらのバージョンがしっくりくるかもしれないが、私としてはシンプルなアコースティック・ギターの伴奏でゆっくり目に歌われる、ジョニのオリジナル・アルバム・バージョンを押したい。

一般的に言われる平均年齢の半分をすでに通り越し、残りの人生が今まで生きてきた時間よりはるかに少なくなると、どうしても昔のことに回帰する傾向があるように思える。もちろん歳を取っても過去のことは一切振り返らず、前に見えることだけに全力を注ぐポジティブな考えを持った方もいるのではあろうが、私としては、この手の曲を聴くとどうしてもノスタルジックなムードになってしまう。

ゆっくりした、ジョニ・バージョンをどうして薦めるのかというと、この曲はメロディーも秀逸だが、歌詞も示唆に富み重要で、歌詞カードで言葉をゆっくりした歌唱に合わせて追っていくと、結構頭に内容がストレートに入ってくるのである。

リフレインのパートで、

And the seasons they go round and round(そう、季節は巡り巡って過ぎ去る)
And the painted ponies go up and down(木馬もアップ・ダウンを繰り返しながら)
We're captive on the carousel of time(時の回転木馬に囚われたみたいに)
We can't return(元に戻ることはできない)
We can only look behind from where we came(今来た道から振り返れるだけ)
And go round and round and round(そう、巡り巡って過ぎ去る)
In the circle game (サークル・ゲームみたいに)

二番の歌詞のところで、

Sixteen springs and sixteen summers gone now(16回目の春と夏が過ぎ去り)
Cartwheels turn to car wheels thru the town(おもちゃのカートから街を通り抜ける自動車へと)
And they tell him,(みんなは彼に言う)
Take your time, it won't be long now(ゆっくり楽しみな、今の時はそれほど長くはないよ)
Till you drag your feet to slow the circles down(足を引きずらしてまで、時の歩みをスローダウンさせようとする迄のことさ)

三番の歌詞は、

So the years spin by and now the boy is twenty(時は過ぎ去り今や二十歳となる)
Though his dreams have lost some grandeur coming true(幾らかの夢は失うも、素晴らしきことも現実となる)
There'll be new dreams, maybe better dreams and plenty(新しい夢、多分より良きものでそして数多くあるだろう)
Before the last revolving year is through(大人になる最後の年を過ごす迄には)

人生にアップ・ダウンは付き物で色々な困難に直面することはあるだろうけれども、希望を持って人生のサークル・ゲームを続けようというメッセージなのか、そこに絶望という文字は未だ見あたらない。

それもそのはず、ジョニは当時27歳で、まだ人生の後半を展望できる年齢には達していなかった。もし出来るなら、今20歳を過ぎてから中高年に至るサークル・ゲームなるものを聴いてみたいものだ。

と! 不意にバック・グラウンドに“二人だけのメモリ~♪ どこかでもう一度~♪♪”とバンバンのヒット曲“いちご白書をもう一度”がしんみりと流れる。

助手:博士!さっきからなぜ遠くの景色をじっと眺めているのですか? 老眼防止のトレーニングですか? 遠くの緑生い茂る山並みを見ていると眼に良いと言いますからね~

博士:バッカモ~ン!

回転木馬の木馬がアップ・ダウンするがごとく、山あり谷ありだった遠い昔に思いを馳せておったのじゃよ。過去に戻ることは出来ずとも、あの時こうすればよかったなどと省りみて、これからに繋げる事は出来るかも知れん。

とは言え、山といっても小高い丘の上に登ったのが精一杯じゃったし、ほとんど谷底じゃった。

助手:なるほど、優雅なイメージの“LADIES OF THE CANYON”ではなく“おっさん達 OF THE CANYON”となんかむさ苦しい響きが伝わるような人生だったわけですね。

Joni Mitchell - The Circle Game


“ビートルズで好きな曲は?”から派生した小ネタ

2016年02月09日 | SSW

このブログは、NTT系列のNTT RESONAT INCという会社が運営するGOO BLOG経由でアップされている。

GOO BLOGのサイトには、あるトピックに関して各ブログ参加者が自由に意見を投稿出来る企画がある。

その“お題”の中の一つに“ビートルズで好きな曲は?”とある。それらの投稿を読んでみると、LET IT BE、YESTERDAYとかHEY JUDEやその他もろもろの曲が好きであると報告されている。

私の場合はと言うと、213の楽曲がオフィシャルで出ていて、そのどれも聴き慣れてしまっているので甲乙がつけがたく、ほとんど全部好ましいと答えてしまいそうだが、その中からあえて選ぶとすると、ジョンでもポールでもなく、ジョージ作曲のSOMETHINGを押したい。

SOMETHING IN THE WAY SHE MOVES~♪♪と歌うと、あれ?どっかで聞いたことのあるフレーズ。

そう、ジェームス・テイラー が1968年にアップル・レーベルから発売したアルバムにそのタイトルの曲があるではないか!


ジョージがそのフレーズを非常に気に入り、曲の冒頭に借りてきて作った曲がSOMETHING。

冒頭の歌詞が同じとは言え、ジョージの曲の構成、そしてそのメロディーやその他の歌詞が全く異なることから、ジェームスも驚きはしたものの、当然の如くこの件に関してはスルー。

と言うか、ジェームスのSOMETHING IN THE WAY SHE MOVESという曲は、なんとI FEEL FINEと歌って終わる。

何と言う偶然!

ジェームスのアップルからのデビュー・アルバムは、残念ながら全米62位と思ったより振るわなかった。その後のアップル経営に関するゴタゴタで、ジェームスはアメリカに戻りワーナーと契約することになる。

その後の彼の活躍は、御存知の通り、出すアルバムのほとんどが大ヒットとなる。昨年出した7年ぶり久々のスタジオ・アルバム、BEFORE THIS WORLDは全米1位を獲得、非常に息の長いアーティストである。

ちなみに、ヒットしなかったアップルのデビュー・アルバムから、SOMETHING IN THE WAY SHE MOVESとCAROLINA IN MY MINDの2曲を再録し、1976年ワーナーから出したグレーテスト・ヒットのアルバムに収録した。


James Taylor - Something In The Way She Moves (再録の音源)


ジェームス・テイラーとピーター・アッシャー

2015年02月21日 | SSW

ピーター・アッシャーにプロデュースされた、記念すべきアップル・レーベル契約第一号のデビュー・ソロ・アルバムです。
これがロックかと言われると、それらしき曲はあるものの、基本的にはカントリーフォーク系のサウンドでしょう。

ピーター・アッシャーといえば、あのピーターとゴードンのデュオの片割れで、妹の女優であったジェーンが当時ポール・マッカートニーのガール・フレンドであったことから、デュオはポールから”愛なき世界”という曲を提供されヒットさせました。その後歌手活動をやめて、アップルの新人発掘の担当となりました。

一方ジェームスは、友人の紹介でイギリスにいたピーターと会うことになり、その後ピーターが彼をポールに紹介したことからアップルとの契約に至ったようです。

出来の良いアルバムと思います。しかしチャート的には不発で、もともとイギリスではカントリー系の音楽はあまり受けなかったのと、当時のアップルの経営のゴタゴタから充分なプロモーションが出来なかったことが原因と思われます。何故なら、アップルとの契約解除後、アメリカに戻り再度ピーターのプロデュースで制作されたSWEET BABY JAMESがアメリカで大ヒットしたからです。その影響を受けて、このデビューアルバムも再評価されたとか。個人的には、アメリカに戻ってからのジェームス・テイラーの歌い方がさらにソフトになったような気がします。この耳触りの良い歌い方がアメリカで癒し系のサウンドとして受けたのかもしれません。

ピーターも一連のジェームスのアルバムをプロデュースし大成功に導いた後、ジェームスの妹のケートの紹介でリンダ・ロンシュタットのプロデュースも手掛けました。リンダの大ブレークによりピーターのアメリカでのプロデュースの実積は確固たるものとなりました。

このアルバムのSOMETHING IN THE WAY SHE MOVES(ジョージが出だしの言葉を拝借?)とCAROLINA IN MY MIND(オリジナルには、ポールとジョージがレコーディングに参加)は1976年のベスト アルバムで再録。また、NIGHT OWLはその後ジェームスと結婚することになるカーリー・サイモンがNO SECRETS のアルバムでカバーしました。(リチャード・ペリーのプロデュースとジェームスの繋がりで、ポールとリンダがバック・コーラスに参加)

簡単に言い換えれば、 善意の紹介に繋がる有益なコネはダメ元でも積極的に利用すれば、いつかそのネット・ワークを通してツキが回ってくるかもしれない、というお話でした。