CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

お次は何処へ?

2020年08月15日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

ジギーはもうお終い。これからは新しい物語が始まると、お口直しのPin Upsを挟んで登場したのがSFチックなダイアモンドの犬。

なるほどなるほど、そう来るのねとこちらも仰せに従って方向転換。

と思いきや、なんと今度はソウル、若きアメリカ人!

むむ〜、これはついていくのがなかなか大変と思っていたら、1976年にStation To Stationが出る。

(ギタリストはカルロス・アロマー、キーボードにはスプリングスティーンのEストリート・バンドからロイ・ビタン)

前作、若きアメリカ人と同じ方向性のアルバムかと思っていざ聴いてみると、少々様子が違う。

せっかくソウル・モードに順応したらお次はプログレ・エレポップか!

まるで次のベルリン三部作の予告編みたいに、出だしの一曲目のStation To Stationの頭からエレクトロ・サウンドが鳴り響きプログレし、さらに3次元テレビが登場するTVC15ではTransitionなる言葉が飛び交い変革を呼びかける。

前半のエレポップから後半力強くロックするStation To Station、お次は脱力感が満喫できるディスコ調のGolden Yearでド〜ンと落として、通常運転のソウル調Word Of A Wingに繋がる結構上げ下げが激しい構成は、これはこれで楽しめる過渡期のアルバムですかね。

(2016年の再発盤、RCAからBOWIEレーベルに)

ここまでやられると反対にもうお好きにどうぞと肯定する自分がいる。

とは言え、個人的に一番楽しめるのはミック・ロンソン率いるスパイダースをバックにロックするボウイに一票かな?

(90年代再発時に登場したカラー・ジャケット)


戦車軍団、出撃開始!

2020年08月13日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

我々遥か彼方の極東の地に暮らす者としては、生活でほぼ同じ言語を操るアメリカ人とイギリス人は同じような考え方とか意識を持っていると子供の頃からずっと思ってきたのだが、後に仕事の関係で彼等と知り合うと全く別の人種ではないかと思うことが多々あった。

もちろん、人それぞれでこの国に生まれたからこの人はこうだと型に嵌めて色付けするつもりはさらさらないが、やっぱり違うなって…

特に音楽の好みなんかは、顕著な差があると思える。イギリスで流行ったからといってアメリカで必ず受けるとは言えない。

本日はT.Rexの1973年のアルバム、Tanx!

(立体図は旧ソ連のT-62戦車かな?と戦車オタクの血が騒ぐ)

T.Rexは1971年に出したアルバム、Electric Warrior(全英1位)と翌年のSlider(全英4位)にて全英で頂点の人気を確実にしたわけだが、アメリカに於いてElectric Warrior(全米32位)と Slider(全米17位)の売れ行きは英国での人気に比例したものでは無かった。

おおまかに英米の好みの違いを比べてみると、イギリスでは少しばかり翳りのある音楽が好まれ、アメリカでは元気百倍な明るいものが好まれるように個人的に思うのだが...

当然のことながら、アメリカでも成功したかったマーク・ボランは新たな試みを次作に取り入れようと考え、その回答が1973年に出したアルバム、Tanxだったのでは?

基本的にはそれまで通りの制作路線であるシンプルなギター・リフ中心の2−3分程度の短いポップ曲が収録されてはいるが、全体的にアメリカ受けするよう前作より ファンキーで明るい雰囲気の曲調でアルバムを制作。

特にソウル・ゴスペル調の女性コーラスを配したLeft Hand Luke And The Beggar Boysはそれまでに無かったアメリカ志向で5分を超える長尺な曲だった。

(2014年英Demonレーベルからの再発LP)

SliderとTanxの発売の間にシングルとして発売され大ヒットした、Children Of The Revolution、Solid gold Easy Actionと日本で録音されたT.Rexの代名詞とでも言える 20th Century Boyなどは若干アルバムの方向性と異なっていたからなのか、アルバムには収録されず初出の曲だけでアルバムが作成されまたアルバムからのシングル・カットもなかった。

マークが本作にかなり自信を持っていたのだろうと推測するのだが、残念ながら結果は全米102位と惨敗。

やっぱり、アメリカ攻略は、先ず飛び道具としてシングル・カットされた曲で先制攻撃をかけ、地ならしをした上で戦車での侵攻作戦を開始すべきだったのではないかと…

もし、上記3曲のシングルが当時Tanxに収録されていたならどうなっていただろうか?

サイド1の一曲目に破壊力抜群の20th Century Boy、中盤にChildren Of The RevolutionとSolid gold Easy Actionそれぞれ配置し、最後にLeft Hand Luke And The Beggar Boysでアルバム締めればすごいことになったのではないかと今更ながら思うのである。

マーク氏:あなたの助言にTanx、いや違った、Tks。

なぬ〜、これを言いたいがために回りくどい話を!!

どうもすみません。


本当に下らない小ネタアゲイン・アンド・アゲイン

2019年05月18日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

1972年の大ヒット・アルバム、Sliderを出した後も、72年から73年にかけてChildren Of The Revolution、Solid Gold Easy Action、20thCentury Boy、The GrooverにTruck Onとヒットシングルを立て続けに出し、待望のニュー・アルバム、Tanxも73年に発売された。

(レコード収納のスリーブはタンクで一杯)

(Demonレーベルからの再発盤) 

作風は前作の延長上にあるものの、アメリカ・マーケットを意識してかFunkや女性コーラスを起用したSoul調の味付けが施された曲も登場。 

チャート的には、イギリスでは前作と同じ4位となったが、一番売れてほしいアメリカではなんと17位から102位と後退。 

このアルバムには一連のヒット・シングルが1曲も収録されていなく、しかもそれらシングルはどの様な理由からかアメリカでは発売されなかった模様。 

これじゃ売れない。 

今聴いても血湧き肉躍るあの20thCentury Boyが収録されなかったとはね…. 

元々アメリカ・マーケットではアンダー・グラウンド的なグラム・ロックは幅広く受け入れられる土壌はなかったし、当時グラムロックも賞味期限切れ間近と言う状況だったけれど…. 

キャッチーなヒット・シングル、2−3曲余分に収録すればアメリカで前作同様にヒットしたアルバムと思うのだが。 

その数年後、デビッド・ボウイーがダイヤモンド・ドック・ツアーのアメリカ公演で芸風がグラムから徐々にソウルへと変遷して行き、その総決算として出されたのが次作アルバム、Young Americanだったと思えば、ボランさんあんたは一歩先んじていたんだね。 

この様な素晴らしいアルバムを残してくれて感謝! 

Thanks! 

いや違った。 

Tanx!


Ziggyの卒業アルバム

2019年01月18日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

1972年、デビッド・ボウイーはThe Rise And Fall Of Ziggy Stardust And The Spiders From Marsと言う長いタイトルの5枚目のオリジナル・アルバムを出した。



性別不詳、無国籍、もしかしたら宇宙人かも?と言う架空の人物、Ziggy Stardustを演じツアーのステージで歌った。そして翌年もこのキャラクターの延長で、アルバムAladdin Saneを出した。

Ziggy Stardust Tourは1972年にアメリカで開始、そして同年の12月クリスマス休暇からUK Tourをキック・オフ。

ただ、ボウイーもこの独創的なキャラクターに縛られることによって芸風が定まってしまい、今後の活動に窮屈な思いをするのではないかとの危惧を感じたのだろうか?

1973年5月12日から始まった第三期Ziggy Stardust Tourの最終日だった7月3日、ロンドンのハマースミス・オデオン会場での最後の曲、Rock N Roll Suicideを歌う直前にZiggyの卒業を表明した。

このライブの模様は、のちに映画化するために撮影と録音がなされていた。

しかしボウイーがZiggyを卒業したかったのと当時の録音の音質が悪かったため、お蔵入りだったそうな….

陽の目を見たのは1983年で、ようやく2枚組LPが発売された。

この時は購入に至らず、手元にあるのは2003年にトニー・ビスコンティーが音質改善のリミックスを行った30周年記念盤である。


(クラムシェル・タイプのボックスにCD2枚と下記のオマケ収納)


(CDのレーベル、悪名高かったコピー・コントロールのロゴがクッキリと)


(ボウイーの最後のコンサートを報道する当時の新聞の切り抜き)


(入場チケットのレプリカ)

21世紀になってデジタル技術の進歩と共に、昔では到底不可能だった音質の改善が最も簡単に。

このリミックス・アルバム、The Motion Picture、Ziggy Stardust And The Spiders From Marsは中々良い音質で、さらにボウイーの1969年のSpace Oddityから1973年のAladdin Saneのアルバムまでのベストな選曲が楽しめる。

それにミック・ロンソンのリード・ギターも中々ヨロシイ〜

ただ、2003年当時はコピー・ガードの議論が盛んに行われていた頃で、CDはコピー・コントロール仕様の代物。

まあ、iTunesにも問題なくリッピング出来たし、うちのCDデッキで再生しても今のところコピー・コントロール仕様のマイナスの影響はないので特に気にすることもない。

博士:わしも作風を変えて、この不人気なブログから早く卒業宣言したいと思うのじゃが、どうすれば…?

助手:博士! 良い手が見つかりました。このブログのコピー・コントロール機能を停止し、他の有名ブログからの記事をコピーし貼り付ければ読者倍増ですよ!

そうすれば、Ziggy Stardustではなく、ブログ界で、“じきに〜 スターだ〜す”てなことに。

どうもスイマセン(初代林家三平調で)

それにしても、アイドル物の卒業アルバムと違って、収録から10年もかかっても卒業アルバム発売出来るとはすごい余裕だね。


(2015年発売のLP)


(CDと異なるLPレーベルのデザイン)


ランダムにレコード紹介、その34 21世紀に20世紀少年はダサいか?

2018年12月19日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

T.Rexの1972年のアルバム、SliderからMetal GuruとTelegram Samの2曲がシングル・カットされ2曲とも大ヒット。

その後、その波に乗って立て続けに出したシングル、1972年のChildren Of The RevolutionとSolid Gold Easy Action、1973年の20th Century Boy、GrooverにTruck On (Tyke)がイギリスなどで大ヒット。

しかし、それらはシングルのみの発売で1973年に出たオリジナル・アルバム、Tanxには何故か一曲たりとも収録されなかった。



それらシングル・ヒット曲をLPでまとめて聞こうとすれば、何とその後同年に出されたマーク・ボラン存命中に出た唯一のベスト・アルバム、Great Hitsを追加購入しなければならなかった。少年のお財布には厳しい仕打ちだったような。そして後年CD化され再発されたオリジナル・アルバムにボーナス・トラックとして収録されたり、Great HitsそのものがCD化された事により、今では簡単に聴くことが出来るようになった。



しかし天邪鬼な私は、どうしてもLPでそれらを再生してみたかったのだ。

Great Hitsは10年ほど前にテイチクからLPで限定再発されたが、今や廃盤となりその新品価格はとても手の届かない プレミア価格となる。

でっ、それに似た選曲のLPが安価(ここがポイント)で手に入らないか、海外の通販サイトを眺めているとありました、ありました。

ちょうどバーゲン価格で買ったので安く手に入れる事が出来たのが2016年に出たこのベスト・アルバム、Solid Gold。さすが大人になるとお財布に余裕がある。まあ、大したことはないけどね....




(英国のデーモンレーベルによる再発LP)

しかしせっかく買ったものの、その存在をしばらくの間失念していて本日ようやく日の目をみる。

選曲は1972年から1977年のベストという事で、1973年時点のベスト・アルバム、Great Hitsとは異なるが、シングル盤のみでカットされた曲はすべて収録されているので問題なし。



このジャケットの写真やデザインが少々チープだけど、まあいいかっ〜。

それでは爆音で20th Century Boyから、ガァ〜ッ、ガァ〜ッ、アゥ〜

もうすぐクリスマス、厳かな雰囲気で年の瀬を迎えるはずが…

21世紀もすでに19年が過ぎ去ろうとするこの時期、 今も聴こえる爆音の20th Century Boy!

ホント、いい仕事してましたってば。


ランダムにレコード紹介、その31 トニー様様だったSlider

2018年12月16日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

レコード棚から一枚のLPが久しぶりに聴いてくれないかと語りかけているかの如く、その背表紙がふと目に止まった。

早いもので、1977年にマーク・ボランが不慮の自動車事故死を遂げてからすでに40年以上経つ。

今日は、そのマークの代表作である1972年の大ヒット・アルバム、Sliderを聴いてみた。

(今回聴いてみたのは、リマスターされた輸入盤。)


(オン・タイムで買った、日本盤のレーベル。ジャケは日本盤のみゲート・ホールドだった。)

マークの相棒、ミッキー・フィンのパーカッションとバッキング・ボーカルは申し訳程度の貢献で、スタジオ録音による実質的なサウンドの構築は、ギターとボーカル担当のマークにドラムスとベース担当の各1名ずつ、計3名によるシンプルな演奏が基本となる。

それに、プロデューサーであるトニー・ビスコンティがストリングスをアレンジしてミックスしている。

もちろんマークの独特なボーカル・スタイルも無視は出来ないが、この切れ味鋭いストリングスこそがアルバム、Slider に於けるT.Rex のサウンドの肝と言って良いのじゃないか….

また、ジャケの白黒写真は当時マーク出演の映画、Born To Boggieの監督をしたリンゴ・スターの名がアルバムにはクレジットされているが、トニー・ビスコンティ曰く、当時リンゴは映画製作で色々と忙しかった様で、その写真を撮る暇などなかったことから、トニーがマークから手渡されたNikonで前と後ろから撮影したとのこと。


(本当はトニー・ビスコンティが撮ったとされる白黒のポートレート)


(ジャケ裏の写真)

マークにとってはこのアルバムの成功は トニー様様だったのではないかと今回印象付けられた次第。


今日の一枚、ディスコのジョンって? YOUNG AMERICAN

2016年10月13日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

1975年発売のアルバム、俗にボウイーのプラスティック・ソウルと呼ばれる、YOUNG AMERICANには色々な意味で驚かされた。

後から思うと、1974年のスタジオアルバム、DIAMOND DOGは最後のグラム・ロックであった。


そして同年DAVID LIVEなるDIAMOND DOGのアメリカ・ツアーを実況録音したライブ・アルバムが実質的にFINAL DEATH OF ZIGGYとなる。


YOUNG AMERICANはファンクやソウル系のミュージシャンを起用して制作されたアルバムだったが、一年も経たずにこれほど簡単に音楽指向を変えることが出来るのか?と思った。

DAVID LIVEでなんとなく場違いな1966年のソウル系ヒット曲、KNOCK ON WOOD(エディー・フロイドとMG’Sのスティーブ・クロッパー作、オーティス・レディングのカバーも有名)を取り上げていたのは、当時アメリカの聴衆向けのサービスだったのでは思っていたのだが、なるほどそれは次作の方向性を示すイントロだったのかもしれない。

だが私が一番驚いたのは、ボウイーがこのグラムからプラスティック・ソウルへの急な変化についてではない。

それはジョン・レノンがこのアルバムの2曲のレコーディングに参加したことである。

ビートルズ時代のACROSS THE UNIVERSEのカバーは、ボウイーが頼めばジョンは演奏や歌唱に加わることは有り得ると事だとまあ理解出来たが、シングル全米1位になったこのアルバムの看板とでも言える、スローなディスコ・ナンバー、FAMEに作詞・作曲者としてボウイー、ギターのカルロス・アロマーと共にジョンが名を連ねていた。

ジョンがディスコだって!

ビートルズ・ファン友の会に入会していない、ごく一般的なファンとしては、未だに不思議に思う今日この頃である。


人生を怠惰に過ごす諸君!発信せよ!

2016年09月17日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

DAVID BOWIE がMOTT THE HOOPLEに1972年末に提供した曲に、ALL THE YOUNG DUDES(すべての若き野郎ども)がある。

ボウイーによるこの新曲(全英3位)の提供とニューアルバム(全英21位) プロデュースによって、解散寸前だったMOTT THE HOOPLEが息を吹き返した。

ちょっと歌の中身を検証と言うことで、いつもながらの下手な和訳で申しわけ無いが…

Well Billy rapped all night about his suicide
ところでビリーの奴、夜通し奴の自殺についてぺらぺら喋っていがった。
How he kick it in the head when he was twenty-five
25歳にでもなれば、どのように自殺ってのが頭に浮かぶのかを
Speed jive don't want to stay alive
奴らは生き続けたくないんだと
When you're twenty-five
あんたが25歳ならどうなんだ?

And Wendy's stealing clothes from marks and sparks 
ウェンディはマークス・アンド・スパークで服を万引き(注:イギリスの小売業のマークス・アンド・スペンサーからクレームが出ないようにと推測?、後日、車のなかから盗むと歌詞が改められた)
And Freedy's got spots from ripping off the stars from his face
フリーディーの野郎は顔から星の刺青を引っ剥がして痣だらけ
Funky little boat race
くだらね~ボートレースのようだ

Television man is crazy saying we're juvenile delinquent wrecks
テレビの奴、俺たちが不良のガキ共だってまくし立てている
Oh man I need TV when I got T. Rex 
まあ、T.Rex観るのにはテレビいるんだけどなー
Oh brother you guessed 
あんたが思った通り
I'm a dude dad
俺はやつらの親父みたいなものさ
All the young dudes (hey dudes)
すべての若き野郎ども!(野郎共!)
Carry the news (where are ya)
発信しろ!(何処にいるんだ!)
Boogaloo dudes (stand up come on)
のんびりした野郎ども!(さあ立ち上がれ!)
Carry the news
発信しろ!
All the young dudes (I want to hear you)
すべての若き野郎ども!(聴いて欲しい)
Carry the news (I want to see you)
発信しろ!(会いたいんだ)
Boogaloo dudes (and I want to talk to you all of you)
のんびりした野郎ども!(お前らみんなと話がしたい)
Carry the news
発信しろ!

と一番だけを訳してみたところ、25歳で自殺する奴や、周りでもまったくさえない若者が数多く見られる世の中で、大人たちも声を大にして彼らを非難するわけだが、その状況に埋没しないで、自身を現し主張せよ!、そう若者よ発信せよ!(CARRY THE NEWS)と唱える、若者に対する応援歌のようにも聴こえる。

2番以降の歌詞を吟味していないので良くわからないが、ルー・リードらよると、ゲイの賛歌としても捉えられているようだ。

だが、ボウイーによると、半年前に出したアルバム、ジギー・スターダストに収録された5YEARSと言う曲に、地球は5年以内に崩壊すると歌った内容に反応し色々な情報を発信した少年たちについて書いたものだとか…

1番の歌詞を素直に読めば、Boogaloo dudes、(ゆるゆるの野郎)という言葉に特に反応して、私としては怠惰に過ごす諸君!発信せよ!と聴こえる。

と言う訳で、シコシコと読んでもらえるかどうか解らない記事を不定期ではあるが発信しているのである。

何ですって!

ボウイーは若者(YOUNG)の野郎どもに対してそう歌っているのであって、決して不良のおっさん向けではないって!

では、タイトルをALL THE YOUNG DUEDSからOLD AND YOUNG DUDESに是非変えていただこう~

もしもし、ボウイーさんちょっとお話が。

あの~、ボウイーさんあちらで忙しくされていて、ちょっとコンタクト取れないんですが…

遅まきながら、R.I.P. ボウイーさん

David Bowie - All the Young Dudes


CCCDとデビッド・ボウイー

2016年03月02日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

デビッド・ボウイーが亡くなって、来週で2カ月となる。時が過ぎ行くのはなんと早きこと。

久々に手に取った彼のアルバムが1978年のライブ盤“ステージ”。

基本的に、グラム時代を締め括った“ダイヤモンドの犬”以降のアルバム、ヤング・アメリカンからヒーローまでを中心とした選曲されているのだが、そこに唐突ではあるが“ジギー・スターダスト”からも5曲が披露され、ノスタルジックな味わいも楽しんでもらおうと言う構成になっている。

プラスティック・ソウルやベルリン時代からファンとなりコンサートに来た人もいるかも知れないが、当然昔からファンだった人もそこに来ていただろうと思うわけで、 やっぱりライブには馴染みの曲も必要と考えたのだろう。

昔、よく尖っていると言われたアーティストであれば、“古い曲はやらねーよ、新しいのを楽しんでってくれー”と我儘を言ってしまうのだが、さすがはボウイー、よく分かってらっしゃる。

オリジナルは2枚組のレコードとして発売され、景気付けという意味なのか、懐かしのジギーからの5曲が、一枚目のサイドー1、すなわちアルバムの頭にすべて収められている。実際のコンサートのセット・リスト通りにベルリン時代の楽曲からスタートするアルバム編集となると、全体的に暗く地味に聴こえるのではと危惧したのだろうか?

2005年にボーナス・トラックを付けリマスターされたCD2枚組が発売された。それは、コンサートのセット・リスト通りの収録に変更され、一曲目のインスト・ナンバーのワルシャワがクラッシックの序曲のように静かにゆっくりと進行し、コンサートが始まる。

やはりコンサート通りの進行で収録されたCDは臨場感があり、徐々に盛り上がっていく様子が伝わるのではないかと…

アルバム・チャートを見ると、全英5位を獲得したのだがアメリカでは44位と振るわなかった。

1974年に“ダイヤモンドの犬”のツアーの模様を収録した“デビッド、ライブ”が8位だったことから、どうもアメリカ人は派手なボウイーを好むようであり、ヨーロッパのリスナーとの嗜好の違いがチャート・アクションによく表れていて興味深い。

ちなみに、発売当時購入したのはEMIから出たヨーロッパ仕様のCDで、米盤(バージン・レーベル)に付属していたブックレットはなく、蛇腹式の特殊パッケージの裏表に写真や解説を載せている。



また、英EMI盤は当時悪名高かった、コピー・コントロール・CD(CCCD)での販売で、意図的に間違ったエラー訂正コードをCDのデーター内に埋め込み、従来のCDプレーヤーの読み取り補正を十分に機能させない仕組みとなっていた。(読み取りエラー仕向けてPCにリッピングさせない仕組み)

当方所有のPCではこのCCCDは問題なくアイチューンに取り込むことが出来たのだが、それらの音源のデーターが正確にリッピングされたかどうかは定かではない。

10数年前、違法ダウンロードによりCDの売り上げが落ち込むことを業界は恐れ、CCCDなるものが登場したが、今や16ビットのCDは時代遅れの規格で、さらにハイレゾ・ダウン・ロードでさえ手間になるとのことで、ストレージ不要のストリーミング配信が今後主流となるかもしれない時代へと突入した。

10年ひと昔とはよく言ったもので、当時の最新のコピー防止機能を持ったCCCDの登場なんて今は昔、ボウイーのこのアルバムを手に取ると、時が経つのはあっと言う間だと実感する。

“ステージ”ってアルバム、ついこの間買ったような気がするのだが…


オツムが楽しく跳ね回っている連中って? BRAIN CAPERS - MOTT THE HOOPLE

2016年02月06日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

初めて聴いた時の印象は、アメリカン・バンドじゃないかと感じた。

1971年MOTT THE HOOPLEがアイランド・レーベルから出した4枚目のスタジオ・アルバムBRAIN CAPERSである。

当初の仮タイトルは、ロックなナンバーとスローなナンバーの2面性があるということでAC/DCであったが、収録後に、BIZARRE CAPERS(奇妙に跳ね回っている連中)とBRAIN DAMAGE(脳損傷)の二つのアルバム・タイトルが浮かび、中をとってBRAIN CAPERSとなったそうである。なんといい加減で意味不明な…

プロデューサーのガイ・スティーブンスが、個人的な意向でストーンズとボブ・ディランをミックスしたようなロック・バンドを作ってみたいということから、MOTT THE HOOPLEの前身バンドのボーカルを個性的な歌い方をするイアン・ハンターに差し替え、1969年にスタジオ・アルバム、MOTT THE HOOPLEを制作しデビューさせた。

今回のアルバムは、ライブ感の溢れるストレートでラフな演奏をするアメリカ志向のロック・バンドという印象である。

しかし、アメリカで受けてイギリスで全く受けないケースなどはよくあることで、残念ながらアルバムの出来の良さや熱狂的なライブ活動で、カルト的なファンは付いてきてくれたものの、アルバムのセールスには繋がらず、1971年の時点で解散する方向に向かっていた。

その後ファンだったデビット・ボウイーの助けも借り、解散せずにコロンビア・レーベルに移籍し出したアルバム、ALL THE YOUNG DUDESがイギリスでよく受けたみたいで大ヒットとなった。まあ、同じバンドでもプロデュースの仕方でこれほどまでに変化するのかと非常に興味深い。

彼らのどの時期のサウンドが好みかは、意見の分かれるところで、聴く人のそれぞれの音楽の嗜好によって変わるのであるが…

イアンは、たった5日間のやっつけ仕事のような期間で制作されたBRAIN CAPERSについては、セールスが良くなかった理由もあったのか、それほど気に留めなかったと言っていたのだが、 後日それを改めて聴いてみると意外にもご機嫌になり、今までの活動の中でも良い出来だと思い直したとも言っている。

ライブでの大騒ぎと穏やかなスタジオ録音の中間を狙った、HAPPY MEDIUMと彼は称している。つまり、スタジオ録音でありながらライブに近いMOTT THE HOOPLEを楽しむ事が出来るのではと言っている。

興味のある人は、是非御一聴をと言いたいところだが、オリジナルがほとんど売れなかったので、 再発CDのプレス量も多くはなく、名盤といわれている割にはなかなか手に入らないのが難点である。コロンビア時代のものは安価で結構出回っているのだが…

それから、びっくりしたのはイアンが1939年生まれだとわかったことである。何と御歳、76歳なのである。

2009年に40周年再結成ライブを行い、2013年にも同様のものをやっているし、自身のバンド活動も2015年時点で継続している。

歳を取っても楽器はこなせる人が多いが、この人の場合は昔と比べると声量は落ちたかもしれないが、ハード・ロック・バンドの現役ボーカリストなのである。

1959年にリッチー・バレンス(ラ・バンバで有名)とバディー・ホリーらが飛行機事故で亡くなった日をTHE DAY THE MUSIC DIEDと歌ったドン・マクリーンのアメリカン・パイという曲があった。

MOTT THE HOOPLEは、かって彼らのライブ・アクトでその曲をオープニングに持ってきて、THE DAY THE MUSIC DIEDという言葉を否定する形でTHE GOLDEN AGE OF THE ROCK ’N’ ROLL(ロックン・ロール黄金時代)に繋げ歌い上げた。

そして今でもイアン・ハンターは歌う、ロックン・ロール黄金時代なのだと。

ライブでのSWEET ANGELINEはアップテンポで歌われるハード・ロック・ナンバーのアレンジであるが、BRAIN CAPERSに収録されているスタジオ録音盤は、まるでボブ・ディランが歌っているかのようなミッド・テンポのアレンジとなっている。

Mott The Hoople - Sweet Angeline


デビッド・ボウイーの思い出

2016年01月11日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

ネットでニュースを見ていると、なんとデビッド・ボウイーが死去したニュースが飛び込んできてびっくりした。

ニュー・アルバム、BLACKSTARを出したばっかりで、健在と思っていたのだが…

コアなファンであれば、当時1969年の2作目のオリジナル・アルバム、SPACE ODDITYあたりから彼をよく知っていたと思うのであるが、私としてはやっぱり、72年にステレオを買ってもらった時に遭遇した、5作目の“屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群れ”と邦題がついたTHE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST AND SPIDERS FROM MARSであろう。

SPACE ODDITY (日本では、このジャケとは違っていた。)


THE RISE AND FALL OF ZIGGY STARDUST AND SPIDERS FROM MARS

おどろおどろしい邦題に腰が引けて、初回盤購入とならなかったのは今思うと非常に残念であったが、そのアルバムに収録されたSTARMANは私にとって非常に耳に馴染む曲で今でもよく聴く定番中の定番である。

ボウイーは、ファン離れを恐れず、いとも簡単に音楽の方向性やビジュアルを常に先取りし変化させ自身の道を突き進んでいったわけだが、私としてはジギーのスタイルをもう少し継続させてくれればと思った。

なぜなら、ZIGGY STARDUSTの次に好きなアルバムが1974年7作目の同路線最終作であるDIAMOND DOGSなのである。当時金欠で、レコードを購入する事が出来ず、深夜のFM放送をエヤ・チェックしアルバムをこの時のために採っておいたダイナミック・レンジの広いメタル・テープに録音した記憶がある。今ならアマゾンでの余裕のポチッでいとも簡単に購入できるわけだが、当時はこれしかなかった。

DIAMOND DOGS

ベルリン三部作がボウイーの頂点だと思っている人達からは、“何寝言言ってんの!このおっさん。寝言は寝てから”と言われるのだろうが…

それから、1971年作のHUNKY DORYも捨てがたい。

HUNKY DORY

その昔仕事でパリ郊外の客先にタクシーで向かっていた時、ラジオから不意にそのHUNKY DORY に収録されたCHANGESという曲が流れた。

“ヘェー、フランス人も結構英語の曲聴くんだな”とその時思った。

なぜなら、日本人が行かないような街のこじんまりしたレストランに入った時、そのレストランのお客も含めて全く英語が通じなく往生した経験があり、当然のごとく、大学の教養課程で選択したフランス語で覚えた怪しい発音のコマンタレ・ブー、コムシ・コムサー程度では全く使い物にならなかった。

通常仕事の場合は英語を使っていたので、自身の経験上フランス人はある程度英語を喋る事が出来るのでわざと使わないのかと思っていたのだが、実際のところはどうだったのだろうか?

とボウイー繋がりの回想で忘れていた古い話が一気に蘇った。

今夜は、追悼の意を込めてジギー時代のアルバムを一人静かに、いや! 音量は TO BE PLAYED AT MAXIMUM VOLUMEという指示に従いたいと思う。

RIP 、MR. BOWIE

Starman/David Bowie


ミュージシャンとマジシャン、マーク・ボラン

2015年12月05日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

T. REXの日本盤、SLIDERの付録のライナーには、大森康雄氏が調査及び編纂した年表が記載されている。

そこには、1964年マークは学校を 卒業後、ブティックで2週間働き、その後フランスで魔術師と過ごすと記載されていた。


このことが本当かどうか、今となっては確かめる術はないのだが、少なくともその後の活動において、魔術師絡みと言うかそれに準ずるようなイメージを出そうとしていたことは感じられる。

1967年に、リーガル・ゾノフォーン・レーベルからバンド名をティラノザウルス・レックスとして、パーカション担当のスティーブ・トゥックと2人組でデビューを飾る。

ファースト・アルバムは、MY PEOPLE WERE FAIR, AND HAD SKY IN THEIR HAIR… BUT NOW THEY’RE CONTENT TO WEAR STARS ON THEIR BLOWSと和訳しても何のことかわからないタイトルだが、ジャケットのイラストを見ると少し不気味な空想の世界が描かれている。


また、セカンド・アルバムは、PROPETS, SEERS & SAGES - THE ANGELS OF THE AGES(預言者、先見者と哲学者たち - 代々の天使たち) とこれまたよく分からないタイトルだが、ジャケットは放浪の魔術師という感じの出で立ちである。


アコースティック・ギターとパーカッションの2人組のシンプルなフォークサウンドであるので、エレキギターを使い始めた頃にファンとなった人には少し物足りなく感じるサウンドかもしれない。

しかし、現時点においてリーガル・ゾノフォーン時代に出したCDにアウト・テイクを付けた2枚組のデラックス・エディションなるものが出されていることから、ミュージシャンとマジシャンの境界に存在するようなマーク・ボランのイメージに惹かれるファンが、今尚多く存在するのではないかと想像するのである 。


T. REXの歴史の考察、と言ってもそれほど大した内容ではない。

2015年12月04日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

このブログが始まった今年の2月にすでに2度取り上げたのだが、急に彼らの音楽を聴きたくなりレコードを取り出した。

ご存知1972年発売で、オンタイムで購入したTHE SLIDER国内盤である。

1970年初頭に、所属レコード会社をリーガル・ゾノフォーン・レーベルからフライ・レーベルに変更し、バンド名もティラノザウルス・レックスから、T. REX に変わった。その後人気もさらに高まった頃、自身のレーベル、T. REX WAX COMPANYを設立。その際、 EMIと3年契約を結び、それによって東芝音工が彼らのレコードの日本での販売権を得ることとなった。

イギリスでビッグになったT.REXを日本でも成功させるため、販売プローモーションに力を入れることとなり、その結果日本独自のダブル・ジャケット仕様と大盤振る舞いとなった。

内ジャケットのデザインは、表ジャケットに記載されたバンド名と同じ朱色を全面に使い、 その上に英文の歌詞が記載されている。あまり強烈な色使いなので、長く眺めることは出来ない。


また、表紙を含めた12ページのジャケットと同じ色使いのライナーが付いてくる豪華な仕様である。しかしライナーの内側は、同じ朱色が使われているのでこれまた長時間眺めると目が痛くなる。


白黒のポスターもアルバムに封入されていたとか聞いたことがあるが、行方不明みたいで見当たらない。その代わり、女子中学生が描いたような意味不明のイラストが付いていた。


この特別版のライナーには、3ページに渡ってバンドのヒストリーが書かれていて、これが突っ込みどころ満載で興味深い。

1947年9月30日 マークボラン誕生:何~!もし生きていたら、68歳に成るのか…

1964年 学校を卒業。卒業後、ブティックで2週間働く。その後フランスで魔術師と過ごす 。:何~! わずか17歳でフランスに渡るのは、凄い行動力だが、魔術師と過ごすって、意味不明。

1968年9月 ピンク・フロイドとアメリカの大学に公演旅行:初期はアコースティックギターとパーカッションのみのシンプルでまったりしたフォーク調アレンジだったから、サイケ時代のフロイドと一緒に公演を行なったのはなんとなく分かる気がする。

1970年 12月 初めてのエレクトリック・アルバム、T. REXを発売。:オー! ここで、アコースティック・サウンドに別れを告げるのか…

1970年6月 イタリアのテレビ出演後、病気になる。:誰でも一度は病気になる。

1971年10-11月 イギリス・ツアー中にギター3本が盗まれ、これらのギターの発見者に500ポンドの賞金。:今なら9万5000円だが、当時の500ポンドは非常に価値があったかと…

1971年11月 搭乗した飛行機に爆弾が仕掛けられたという噂があり、飛行機が飛行場に引き返す。:御難続きで…

1971年11月 フライ・レーベルがマークの許可なしに、シングルJEEPSTARを発売:フライ・レーベルとの契約を更新しないことから、仕返しみたいな形で勝手に出されたみたいで、この業界ではよくあること。

1972年1月 T. REX WAX COMPANYを設立。:儲けを第三者に多く渡らないようにする自衛手段。

1972年2月 シングル、TELEGRAM SAM、英国で1位獲得:さすが!

1972年2月 アメリカ公演:シカゴ公演で前座のURIAH HEEPがメインのT.REXを食ってしまったとか? 確かに当時のURIAH HEEPの方がアメリカ受けすると思う。それに、ライブでは、トニー・ビスコンティの鋭いストリングスや例の甲高い裏声のコーラスが入らない、4人組のシンプルな編成(ギター、ベース、ドラムそしてパーカッション)だった。そのためURIAH HEEPと比べた場合、どうしても音のバリエーションに欠け、アメリカ受けしなかったのでは? と思う。

1972年5月 シングル、METAL GURU英国で3週間トップとなる。:確かに、この曲は何度聴いても飽きない。

1972年5月 カンヌのリンゴのヨットで、リンゴやジョージと一緒に休暇を楽しむ。:T. REXの映画にリンゴが登場したり、リンゴのアルバムにマークが参加したり、結構仲がいいみたい。

1972年7月 アルバム、SLIDER発売:先行シングル2作が1位獲得の後、満を持してのアルバム発売。 全英4位、全米17位。なぜか、イギリスでは、前作のアルバムELECTRIC WARRIER(全英1位)より順位を落とす。

この後、21世紀少年を含むシングル4枚を全英チャートのトップ5に送り込むが、アルバムは、SLIDER以降売り上げはパッとしなくなる。

今日の結論:学校卒業後、17歳でフランスに行き魔術師と過ごすなんて、プロになる前からぶっ飛んでいた、マーク少年であった。

SLIDERのジャケットに使われている朱色といえば、日本では神社の境内にある建築物に魔除けとして使われる色である。

マーク少年がフランスで魔術師から教わったことなのだろうか? といつも通りいい加減なことを言って終わることにする。

T. Rex - Metal Guru


IAN HUNTER、ロンソンの二刀流

2015年11月12日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

コロンビア・レーベル時代の3部作が、成功した後イアン・ハンターとミック・ロンソンが脱退し、その後、彼ら二人が中心となって、イアン・ハンターのソロ名義として出されたアルバムを紹介する。

それが、1975年のアルバム、IAN HUNTERで全英21位/全米50位、と、シングルONCE BITTEN TWICE SHYは全英14位とそれぞれランク・インした。

イアン・ハンターとミック・ロンソンのコラボは、残念ながらこれ一枚で終わる。

イアン・ハンターは、その後は完全なソロ活動に専念し、一方ミック・ロンソンは、この後多くのミュージシャンのアルバムのセッションに参加している。

有名なところでは、ジョン・メロンキャンプのアルバム、AMERICAN FOOLのJACK & DIANEやEX-BYRDS、1978年ロジャー・マッギンのソロ・アルバムCARDIFF ROSEなど典型的なアメリカン・サウンドのアーティストをサポートしている。

それから、特に驚いたのは、1972年、まだデビッド・ボウイーのアルバムに参加していた頃、アメリカのカントリー・ロック・バンド、PURE PLAILY LEAGUE のセカンド・アルバムにゲスト参加したり、1975-1976年のディランのローリング・サンダー・レヴューに参加し全米をディランと一緒に回っていたことだ。

このアルバムのアレンジはミック・ロンソンが担当していて、しっとりとしたデビッド・ボウイーが歌うような感じのスローな曲も数曲収録されてはいるが、基本的にアメリカを意識したサウンドで、MOTT THE HOOPLE のサウンドよりは軽い感じのロックン・ロールが中心である。

ミック・ロンソンの二刀流のアレンジがよく表れているアルバムではないかと…

IAN HUNTER - ONCE BITTEN, TWICE SHY


MOTT THE HOOPLE、黄金時代の終わり

2015年11月11日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

前作、MOTTに続くアルバム、THE HOOPLE が1974年に7枚目のアルバムとして出され、前作と同様に全英11位/全米28位とヒットした。

脱退したキーボードのヴァーデン・アレンの代わりに、サポート・メンバーであったモーガン・フィシャーが正式メンバーとなり、また同じく脱退したギターのミック・ラルフスもEX-SPOOKY TOOTHのギタリスト、エリアル・ベンダーに変わり、5人組となった。

モーガン・フィシャーのピアノも冴え、エリアル・ベンダーのドライブの効いたエネルギシュなギターもハードなMOTT THE HOOPLEのサウンドにはぴったりはまり、更なるバンドの成功が期待された。

しかしながら、イアン・ハンターの作るスローなバラードなどバラエティーに飛んだ楽曲にエリアル・ベンダーのギターが全てマッチするかというと、そうでもない。

結局、エリアル・ベンダーは脱退し、代わりにデヴィド・ボウイーのバックを務めたスパイダースのミック・ロンソンが新たに加入した。

当時のライブでは、“ロックは死んだ”とドン・マクリーンのアメリカン・パイを歌った後、メロディ形式でロックの黄金時代がやってきたとロックンロール黄金時代(THE GOLDEN AGE OF ROCK ‘N’ ROLL)を高らかに歌っていた。

しかし、その後、次作を作る前にイアン・ハンターとミック・ロンソンはバンド内の軋轢からか二人とも脱退し、残りのメンバーがバンド名をMOTTと変更し再出発したが不発に終わった。

MOTT THE HOOPLEの黄金時代は終わる。

いやちょっと待った!

ミック・ラルフスを含むオリジナルのメンバーが揃い、2009年と2013年(この時はドラムはサポート・メンバーが担当)にリユニオン・ツアーを催し健在をアピールした。

そう! 簡単にロックは死なないのである。

Mott the Hoople - The Golden Age of Rock and Roll