CLASSIC ROCKを聴こう! PLUS

1960年から1980年代のロックを紹介していきます。またPLUSと言うことで、ロック以外の話題も!

テレビ、や~めた

2022年10月29日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

最近殆どテレビを見る事はなくなった。

見るとしてもスポーツ中継か興味のある分野のドキュメンタリー物ぐらいですか。ニュースにしてもネットの方が早いし事足りる。

特に最近のバラエティー番組なんて個人的には最悪ですね。

画面になんらかのビデオ映像が流れていて、画面の隅にワイプされた芸能人が台本通り何かを呟く。更に、あたかもスタジオに一般の観覧者を入れているが如く、エェ~とかオォ~とかのわざとらしい効果音を流し、そして大して面白くもないやり取りに対して、スタジオ内から関係者と思える仲間内からの笑い声。

こんな土曜日の夜は、レコードでも取り出しリラックスして鑑賞するに限るってことで、取り出しましたるはこのブログでも登場している、T.RexのThe Slider。

 

シングル・カットされたTelegram Samもカッコいいし、Metal Guruのイントロだけ何度もリピート。しかし一番このアルバムで良いと思ったのはBallrooms Of Marsですかね。

マーク・ボランの特徴でもあるアコースティックな味わいの演奏で単純なメロディーが繰り返され、これが妙にツボにハマる。

かくして、土曜の夜は集合住宅ゆえ音量絞ってロックで行こう!


癒しのデビッド・ボウイ

2022年10月27日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

1987年のアルバム、Never Let Mer Downの売れ行きが思ったものではなく、行き詰まりを感じたのか目先を変えてハード・ロック・バンド、ティン・マシーンを結成したものの成功を手にする事は出来なかった。

バンド活動を停止しソロに戻り1993年にはBlack Tie White Noseを制作、その合間にBBC TVのドラマのサントラ盤も制作し同年に登場。

それがアルバム、The Buddha Of Suburbia(郊外のブッダ)。

ただサントラ盤と言っても実際の映像にはタイトル・トラックのみ使用されたとのことで、ボウイのオリジナル・アルバムと言っても差し支えのない位置付けで後にジェケットのデザインを変えて欧米で再発された。

何故か当時日本盤が発売されなかった事から、日本では知名度の低いアルバムであるが、一聴してみると結構いけるじゃないの。

時折聴こえるジャズ・タッチのピアノや馴染みのフレーズなどアルバムのアクセントになっていて、彼の70年代を思わせる。

インスト・ナンバーが多いこのアルバム、ただ70年代と言っても個人的にはベルリン三部作時代のようなその当時の暗さや翳りを特に感じず、更にいえば全体的には安らぎと言うか穏やかな明るさを見出すわけで...

ボウイ的には不発に終わったティン・マシーンのプロジェクトはソロ・スタート再開のためのリハビリ的なものだったのですかね。

シーッ、聴けばわかるって。

 


視覚で勝負!

2022年08月19日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

デビッド・ボウイーのファンならばこのアルバムは絶対無視できない存在。

個人的には彼のアルバムの中ではベスト3に入る。

1972年に発売されたThe Rise And Fall Of Ziggy Stardust And Spiders From Mars。邦題は ”屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群れ”と言う一歩引く様なおどろおどろしいタイトルだった(後年にジギー・スターダストと単純化された)。

このブログでも何度かこのアルバム登場しているので本日は別バージョンで聴いてみる事に。

因みに、2002年30周年記念盤としてリマスター音源とアウト・テイクを含んだ2枚組CDが発売。そして翌年にはステレオと5.1chマルチ音源を収録したハイブリッドSACDがヨーロッパで発売された。5.1chマルチ音源はこのアルバムをボウイと共同プロデュースしたケン・スコットによってリミックスされた訳であるが、残念ながら我が家にはSACDのマルチ音源を再生する機材が無かったので猫に小判って感じになってしまった。

時は流れて、2012年にボウイの全作品の再リマスター企画がスタートした際、なんと2003年ケン・スコット・ミックスの5.1chマルチ音源がステレオ化されLPとして登場。

本日はオリジナル音源と聴き比べてみようって事で早速ターン・テーブルに乗せてみた。

むむ~、よく分からない。多分音の広がり方とか音圧に差があると思うのだが、老化現象による聴力の衰えでイマイチその差を明確に聴き取れないし、さらに記憶力の低下もある。DJスタイルで同じターンテーブル2台をミキサーと繋いで交互に聴けば、何とかなるのかも…

それでは本日は聴覚ではなく視覚で楽しむことに。

なるほど、あの電話ボックスってこんな所にあったのね。


これがいいのだ!

2022年07月23日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

何事でも常に一流のステイタスを保ち続けるには相当のプレッシャーを覚悟せねばならない。

そのプレッシャーに耐えられず大きなストレスを抱え込み、酒や薬に逃げ込むことも多々ある。緊張をほぐすために少量からスタートするもやがて自身でコントロールできない容量を摂取する状態に落ちってしまう場合もある。

ボウイさん、新しい芸風であるプラスチック・ソウルでアメリカで大活躍も長年のドラッグ中毒で精神的に辛い思いをしたのだろうか、ドラッグと決別という思いなのかは定かではないが、アメリカからヨーロッパに活動の拠点を移し心機一転。

ブライアン・イーノと組んで新たの方向性を模索、その回答が1977年の通算11枚目のオリジナルアルバム、ベルリン三部作の第一部とも言われたLow。

(2018年のリマスター盤。RCAでは無くBOWIEのロゴGAレーベルに。)

サイド1はボウイの従来の雰囲気を少し引き締めた感じのポップ路線ですかね、ただサイド2は暗く冷たい、無機質なイメージで殆どがインスト・ナンバーで構成。イーノのシンセから紡ぎ出されるアンビエント、即ち空気のような味わいがそこかしこに…

確かに無の境地で薬なしにメンタルを落ち着かせる効果はあるかも... 

ただもうこれはロックと言えるのだろうか? とは言え、この実験的なアルバムが結構売れたのである。

当時の世の中疲れ始めていたのかも。よって、癒しが求められたのかな?

さすがボウイさん、今更ながら時代を一歩先取り。

凡人の私には聴いてびっくりで到底その発想など思いもつかなかって、時代がひと回りして今更ながら、これがいいのだ!と感じた次第。

因みに、ボウイの盟友イギー・ポップとメリー・ビスコンティなる人物がバッキング・ボーカルでこのアルバムに参加。

メリー・ビスコンティといえば、このアルバムのボウイとの共同プロデューサーであるトニー・ビスコンティの嫁さんで、多分そのつながりでアルバムに参加したのだろうか?

メリーとは、その昔ポールが売り出しに力を注いでいたウエールズ出身のフォーク・シンガーでアップル所属のアーティスト、メリー・ホプキンのこと。確かデビュー当時ポールのポップ路線とは相容れずGood Bye、そしてフォーク路線を貫いていくことに。

その彼女がフォーク路線とは全くかけ離れたボウイのSound And Visionでコーラスつけているとは!

彼女もこれがいいのだ!と思ったのかも...


またまたシングル盤、その3

2022年07月16日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

この世の中、何でもそう簡単に物事は思い通りにはいかない。簡単に思えても何かしら色々と手間かかってしまう。

誰か最強かつシンプルな一手を授けてくれないかな?

そんな時は、コレを聴いてみる。何かヒントになるような事歌っているかも…

ああ~ Solid Gold Easy Actionの事? 

(1972年、シングル盤のみで発売された)

何を寝ぼけたこと言っているの。

当時人気絶頂だった無敵のボランさんでも、それが欲しいって言ってるくらいだから、我々凡人はただ努力の上に努力のみ!

あなた、分かった?

Hey, Hey, Hey

おちゃらけの合いの手入れるようでは、あまり分かっていないような...

発売当時、何故かやっつけ仕事かのようなこのシンプルな曲に凄くひかれた記憶が...  

爆音でどうぞ。

Hey, Hey, Hey


イアンの個性が強すぎたかな

2022年03月18日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

アイランド・レーベル時代から数えて通算7枚目にあたるモット・ザ・フープルのスタジオ・アルバム、The Hoopleが1974年に登場。

このアルバムはシングル・ヒットしたAll The Way From Memphisを収録した前年のアルバム、Mottと対になっているみたいで作風は同じ方向を向いている。

ちなみにバッド・カンパニーに移籍したギターのミック・ラルフスの代わりにエリアル・ベンダーが加入、サポート・メンバーだったキーボードのモーガン・フィッシャーが正式メンバーに昇格し5人組で再スタートを切った。

イアン・ハンターのボーカルはディランがハードなパンク・ロックをガチで歌うが如く、そのインパクトは強烈。

豪快な歌いっぷりが魅力のロックンロール黄金時代!

残念ながらこの後メンバーが脱退しミック・ロンソンらが加入するも、結局イアンがミックを連れてバンドから脱退しソロ活動へ。

残りのメンバーがさらなるメンバーの補充をおこない、さらにバンド名をMottと改名して活動を続け2枚のアルバムを出したものの解散。

メンバーの出入りの激しいバンドだったが、やっぱりイアンなしではモット・ザ・フープルは成り立たない。

せめてもう一枚このメンバーでアルバム作って欲しかった。


LP諦め、エア・チェックしたカセットからCDへ

2021年11月04日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

70年代中頃になると値上げに次ぐ値上げでLP一枚が2500円程度で販売され、当時の一般的な所得から考えるとLPの購入って結構割高な商品だった。

ただその頃はカセット・デッキが比較的安価で高性能となり、録音テープもダイナミック・レンジの広いハイ・エンドなスペックものが投入された事から、LPを購入して直ぐにカセット・テープにダビングして聴くことが流行った。

さらに週刊でFMラジオの番組表を掲載した雑誌も発行されたことから、大ブームとは言えないもののエア・チェックもオーディオ・マニアの間では流行った。

これだとガチのファンでない限り特にLPを買う必要も無くなってくるわけで...

本日はデビッド・ボウイの1974年の8枚目のアルバム、Diamond Dogs。

当時土日を除いた毎日夕方、新譜アルバムを丸ごとオン・エアーするFMラジオ番組があって、このアルバムをエア・チェック。

テープに録音されていることによってから、LPで再生するよりは手軽に再生でき何度も繰り返し聴いていた。

てな事で、ジャケのセンスがイマイチでグロテスクだとか内容も他の作品と比べれば劣るなんて辛口な批評もあったが、個人的には耳に馴染むアルバムとなった。

しかしそのテープも劣化して廃棄処分と相成る。

2004年になると30周年記念盤Diamond Dogsが発売されたので、当時住んでいたシンガポールのCDショップで懐かしさに誘われて購入に至る。

ボートラ音源が収録されたCDを含む2枚組として発売されたものの、ダビング出来ないCopy Controlled CDと言うスペックだった。

(ダビング出来ないって事は無いけれど、PC使ってダビングしている最中にPCもしくはメディアが壊れてもわしゃ知らんって感じかな?)

当時シンガポール、香港やマレーシアは英国のレコード会社の販売テリトリーでEMI系の新譜はほぼCCCDだった様に記憶する。

不評によりCCCDはその後すぐに廃止され、また新たなフォーマットのDVD Audioもさほど話題にならず、まさか1周回ってレコード・ブームになろうとは…


今でも何がなんやら

2021年08月15日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

ロンとラッセルのメル兄弟が中心となってアメリカで結成されたバンド、スパークス。

アメリカで成功しなかった彼らが渡英し完成させたのが1974年の3作目のアルバムがキモノ・マイ・ハウス!

(外人さんが着物を自己流で着たらこんな風になるってのを写してみたかったのかな?)

(英国でリクルートしたバンド・メンバー3名を加えて完成)

女性ボーカルかと勘違いしてしまう様なハイトーン・ボーカルをブリティシュ・ロックビートに乗せてオペラチックでかつ前衛的に展開。

付いて行くのに精一杯。

因みにアルバム・タイトルは他のアーティストの曲名、Come On My HouseだとかKimona My Houseなどを捩ったものだとか…?

さらにアルバム・ジャケに配した目を引くポップな写真はバンドとは関係のないモデルさんらしい。

てな事で音だけでなくアルバム全体が洒落っ気たっぷり。

このアルバム当時英チャートでは4位とそこそこ売れたらしいのだが、私とは少々波長が合わなかったのか結局所有する彼らのアルバムはこの一枚だけ。

今宵オジンの身になった私が、今一度聴いてみる。

むむ〜 まだまだ修行が足りんわい!

メル兄弟のこの容姿、確かに只者ではない!


グラムの終焉

2021年02月04日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

な、な、なんじゃ〜 これは〜!

新譜のマスター・テープを聴いて、リプリーズ・レーベルの幹部が飛び上がったかどうかは定かでは無い。

アメリカでの発売が却下となったMarc Bolan & T.Rexの一味が制作した1975年のニュー・アルバム、Zinc Alloy And The Hidden Riders Of Tomorrowのアメリカでのプレスは却下され、ヨーロッパ、日本その他一部地域のみでの販売となった。

(邦題はズィンク・アロイと朝焼けの仮面ライダー、ズィンク・アロイは亜鉛合金で何と無くアメコミに出てくるような怪人のイメージか? Hidden、隠されたという意で顔が隠されたライダー、すなわち仮面ライダーとなる。Tomorrowは明日を象徴する明け方と考えて朝焼けって言葉が登場。ネット上ではマークが来日した時仮面ライダーの番組を見て思いついたそうな。ホンマかいな〜?)

(Marc Bolan & T.Rexの一味)

1974年David Bowieがアルバム、Diamond Dogsを出した後アメリカ・ツアーを敢行、そこで徐々に芸風がソウルへと転換し、翌年プラスチック・ソウルと呼ばれたアルバム、Young Americanを出して大ヒットを飛ばす。

グラムの終焉を感じ始めたMarcがこれに感化されたかどうかこれまた定かでは無いが、このアルバムのベクトルが同じような方向だと感じた。

かってのヒット・シングル、Telegram Sam、Metal Guruや20th Century Boyなどのグラム特有の怪しい雰囲気の素がパラパラ振りかけられたお馴染みのロック・ナンバーをこのアルバムに期待してはいけない。

ここにはスローからミディアム・テンポの甲高いバック・コーラスに彩られた少々地味な味わいのグラム風ソウル・ナンバーがずらりと。

このノリにハマることが出来るかどうかで、このアルバムの評価が決まる。

ちなみにアメリカでは、レーベルをカサブランカに変更して、このアルバムから3曲そして次作のBolan’s Zip Gunから8曲調達して合併アルバム、Light Of Loveが発売されたとの事。

Bolan:あんさん、商売上手でんな〜

Bowie:なんの、なんの。アメリカ・ツアーでオーティスのR&B、Knock On Woodのカバーをサービスのつもりで演ったら意外に受けてね、ツアー自体も最後あたりは自然にソウル・ツアーに変わって行ったからね。もうホント、ラッキー!

Bolan:こっちなんか、プレス拒否られオマケに必死で作った2枚の新譜1枚に編集しやがって! もうホンマにわやや!

Bowie:ワシが思うに、あんさんグラムのスパイスかけ過ぎたんと違いまっか? ツアーして分かったけど、アメリカではとっくにグラム終わってましたで〜

万人ウケする世界の味の素かけときゃよかったのに... いつでも〜、どこでも〜♪♪  中略  マイ・ファミリ〜 アジノモト〜♪♪ ってアンディさん歌ってましたで〜

てな会話があったかどうかは定かでは無い。

ロックは各々の感性の問題。誰がなんと言おうと良いと思えばそれでよし。

ただ、商売として考えると流行の波に乗らなければ、全く売れないで終了てなことも。

このアルバムはその後一周回ってようやく評価されたものの、ボランさんはもうおらんかった。

(2014年の再発LP)


誰がB級やねん! その3

2020年10月22日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

70年代前半の頃と言えば英ハード・ロック黄金期。新しいバンドが続々。

本日は新鋭英ハード・ロック・バンド、Silverhead の1973年のセカンド・アルバム、16 And Savaged(アルバムの邦題は凶暴の美学)でも。

また16 And Savagedという曲がアルバムに個別に収録されていて、その邦題が “16才で犯されて”とこれまた少々過激な印象で当時このアルバムの購入に躊躇された紳士淑女のお方々も多かったのでは…

ジャケのデザインやリーダー格のボーカル、マイケル・デ・バレスから醸し出る妖気から何と無くグラム系のサウンドと想像するも、開けてビックリ、中身は英国の誇る純正ハード・ロック。

1曲目のHello New Yorkなんてキャッチーで凄くカッコ良い。

ただバンドはこの後当時日本限定で発売されたライブ・アルバムを出してあっけなく解散。

どの様な理由があったのか定かでは無いが、やっぱりアルバムの売れ行きに問題があったのだろう。

その理由としてバックの演奏が迫力にかけマイケル・デ・バレスの個性あるボーカルを生かしきれなかったのでは無いかと…

特にリズム・セクションが軽すぎ! もっとヘビーなサウンドで勝負しても良かったかな?

で、私の最終評価は、

あのディープ・パープルが所属するパープル・レコードからの発売は期待度満点のA級レベル + ハードさが足りぬプロデュースは C級評価 = B級となり、ここで巷の意見と一致する。

(日本は東芝がオデオン・レーベルから発売、当時結構プロモーションに力を入れていたこともあって日本では人気が結構あったそうな...)

Silverhead:誰がB級やねん! 毎度適当な事言って、このトウシロが!

どうもすいません。


ロックの殿堂、2020

2020年10月12日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

い先日Rock & Roll Hall Of Fameの2020年受賞が発表された。

今年アーティスト部門では5組選ばれたそうですが、その中で我が全日本クラシック・ロック聴くだけ友の会の70年代部門で推薦リストに入っているグループ、ドゥービー・ブラザーズとT.レックスが遂に選出!

特にドゥービーズが今まで選出されなかったことが、ずっと由々しき問題だと思っていたが、今回選ばれたことでその憤りもは少しは収まったかと…

ただ、T.レックスの場合はアメリカでは大成功したとは言えないので、そんなものかとは思ってはいたが、それでも歴代の受賞者と比較するとやっぱり遅かったと個人的には感じる…

それはさておき、今宵は殿堂入りのお祝いを兼ねて、T.レックスのベスト盤でも。

(2016年、英Demon Recordsから出た編集ベスト盤)

リスナーの記憶に残るようなギター・リフやシンプルなフレーズの繰り返しの手法などが使われていて、また飽きのこないようにどの曲も比較的短く2から3分程度の長さに編集されている。

英シングル・ヒットの王様ですかね。

助手:ついに殿堂入りかですね。いや〜 少々遅かった気はしますが喜ばしいことですね。

博士:ワシなんか、40数年前にすでに何度も殿堂入りを果たしておる! キリッ

助手:えっ! 本当ですか?

 

いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。

本日お足元の悪い中、娯楽の殿堂!当ホールにご来店いただきまことにありがとう御座います。

どちらのお客様も、日頃鍛えたその腕と粘りそして根性を発揮していただき、ドンドンバリバリお出しくださいませ!


金髪はハード・ロックがお好き?

2020年09月10日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

4枚のスタジオ・アルバムを発表後、Mott The Hoopleは1972年アイランド・レーベルからCBSレーベルに移籍。

(日本ではキング・レコードから1973年に発売)

同年、アイランド時代の総括として過去4枚のアルバムから代表曲をまんべんなく収録しイギリスで発売されたのがRock And Roll Queenなるサンプラー的コンピ・アルバム。

1969年、敏腕プロデューサー、ガイ・スティーブンスに見出され、ディランがストーンズを歌うと言うようなコンセプトで結成されアイランドからデビューしたハード・ロック・バンド。

当時の彼らは、ワイルドなライブは定評があったものの、レコードの売れ行きはそれほどでもなく活動に行き詰まりを感じ解散一歩手前までいった。

ストレートでガッツある演奏。

なかなかよろしおます。

今更ながら、何でこれが当時それほど受け入れられなかったのかな?

むむ〜

多分、今じゃビゲンで簡単に大量生産出来るけど、当時金髪人口が少なかったからかも...

んなわけない!

モデルはやっぱり金髪女性のシンボル、モンローさんでしょう。


お次は何処へ?

2020年08月15日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

ジギーはもうお終い。これからは新しい物語が始まると、お口直しのPin Upsを挟んで登場したのがSFチックなダイアモンドの犬。

なるほどなるほど、そう来るのねとこちらも仰せに従って方向転換。

と思いきや、なんと今度はソウル、若きアメリカ人!

むむ〜、これはついていくのがなかなか大変と思っていたら、1976年にStation To Stationが出る。

(ギタリストはカルロス・アロマー、キーボードにはスプリングスティーンのEストリート・バンドからロイ・ビタン)

前作、若きアメリカ人と同じ方向性のアルバムかと思っていざ聴いてみると、少々様子が違う。

せっかくソウル・モードに順応したらお次はプログレ・エレポップか!

まるで次のベルリン三部作の予告編みたいに、出だしの一曲目のStation To Stationの頭からエレクトロ・サウンドが鳴り響きプログレし、さらに3次元テレビが登場するTVC15ではTransitionなる言葉が飛び交い変革を呼びかける。

前半のエレポップから後半力強くロックするStation To Station、お次は脱力感が満喫できるディスコ調のGolden Yearでド〜ンと落として、通常運転のソウル調Word Of A Wingに繋がる結構上げ下げが激しい構成は、これはこれで楽しめる過渡期のアルバムですかね。

(2016年の再発盤、RCAからBOWIEレーベルに)

ここまでやられると反対にもうお好きにどうぞと肯定する自分がいる。

とは言え、個人的に一番楽しめるのはミック・ロンソン率いるスパイダースをバックにロックするボウイに一票かな?

(90年代再発時に登場したカラー・ジャケット)


戦車軍団、出撃開始!

2020年08月13日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

我々遥か彼方の極東の地に暮らす者としては、生活でほぼ同じ言語を操るアメリカ人とイギリス人は同じような考え方とか意識を持っていると子供の頃からずっと思ってきたのだが、後に仕事の関係で彼等と知り合うと全く別の人種ではないかと思うことが多々あった。

もちろん、人それぞれでこの国に生まれたからこの人はこうだと型に嵌めて色付けするつもりはさらさらないが、やっぱり違うなって…

特に音楽の好みなんかは、顕著な差があると思える。イギリスで流行ったからといってアメリカで必ず受けるとは言えない。

本日はT.Rexの1973年のアルバム、Tanx!

(立体図は旧ソ連のT-62戦車かな?と戦車オタクの血が騒ぐ)

T.Rexは1971年に出したアルバム、Electric Warrior(全英1位)と翌年のSlider(全英4位)にて全英で頂点の人気を確実にしたわけだが、アメリカに於いてElectric Warrior(全米32位)と Slider(全米17位)の売れ行きは英国での人気に比例したものでは無かった。

おおまかに英米の好みの違いを比べてみると、イギリスでは少しばかり翳りのある音楽が好まれ、アメリカでは元気百倍な明るいものが好まれるように個人的に思うのだが...

当然のことながら、アメリカでも成功したかったマーク・ボランは新たな試みを次作に取り入れようと考え、その回答が1973年に出したアルバム、Tanxだったのでは?

基本的にはそれまで通りの制作路線であるシンプルなギター・リフ中心の2−3分程度の短いポップ曲が収録されてはいるが、全体的にアメリカ受けするよう前作より ファンキーで明るい雰囲気の曲調でアルバムを制作。

特にソウル・ゴスペル調の女性コーラスを配したLeft Hand Luke And The Beggar Boysはそれまでに無かったアメリカ志向で5分を超える長尺な曲だった。

(2014年英Demonレーベルからの再発LP)

SliderとTanxの発売の間にシングルとして発売され大ヒットした、Children Of The Revolution、Solid gold Easy Actionと日本で録音されたT.Rexの代名詞とでも言える 20th Century Boyなどは若干アルバムの方向性と異なっていたからなのか、アルバムには収録されず初出の曲だけでアルバムが作成されまたアルバムからのシングル・カットもなかった。

マークが本作にかなり自信を持っていたのだろうと推測するのだが、残念ながら結果は全米102位と惨敗。

やっぱり、アメリカ攻略は、先ず飛び道具としてシングル・カットされた曲で先制攻撃をかけ、地ならしをした上で戦車での侵攻作戦を開始すべきだったのではないかと…

もし、上記3曲のシングルが当時Tanxに収録されていたならどうなっていただろうか?

サイド1の一曲目に破壊力抜群の20th Century Boy、中盤にChildren Of The RevolutionとSolid gold Easy Actionそれぞれ配置し、最後にLeft Hand Luke And The Beggar Boysでアルバム締めればすごいことになったのではないかと今更ながら思うのである。

マーク氏:あなたの助言にTanx、いや違った、Tks。

なぬ〜、これを言いたいがために回りくどい話を!!

どうもすみません。


本当に下らない小ネタアゲイン・アンド・アゲイン

2019年05月18日 | Bowie, T.Rex, Hoople and Glam.

1972年の大ヒット・アルバム、Sliderを出した後も、72年から73年にかけてChildren Of The Revolution、Solid Gold Easy Action、20thCentury Boy、The GrooverにTruck Onとヒットシングルを立て続けに出し、待望のニュー・アルバム、Tanxも73年に発売された。

(レコード収納のスリーブはタンクで一杯)

(Demonレーベルからの再発盤) 

作風は前作の延長上にあるものの、アメリカ・マーケットを意識してかFunkや女性コーラスを起用したSoul調の味付けが施された曲も登場。 

チャート的には、イギリスでは前作と同じ4位となったが、一番売れてほしいアメリカではなんと17位から102位と後退。 

このアルバムには一連のヒット・シングルが1曲も収録されていなく、しかもそれらシングルはどの様な理由からかアメリカでは発売されなかった模様。 

これじゃ売れない。 

今聴いても血湧き肉躍るあの20thCentury Boyが収録されなかったとはね…. 

元々アメリカ・マーケットではアンダー・グラウンド的なグラム・ロックは幅広く受け入れられる土壌はなかったし、当時グラムロックも賞味期限切れ間近と言う状況だったけれど…. 

キャッチーなヒット・シングル、2−3曲余分に収録すればアメリカで前作同様にヒットしたアルバムと思うのだが。 

その数年後、デビッド・ボウイーがダイヤモンド・ドック・ツアーのアメリカ公演で芸風がグラムから徐々にソウルへと変遷して行き、その総決算として出されたのが次作アルバム、Young Americanだったと思えば、ボランさんあんたは一歩先んじていたんだね。 

この様な素晴らしいアルバムを残してくれて感謝! 

Thanks! 

いや違った。 

Tanx!