洋楽ロック一辺倒ではない。たまにはそれ以外のジャズなんかも聴く。と言っても、ジャズの場合、その入口近辺をうろつく程度の初心者である。
ここにジャズの名門レーベル、ブルーノートから出された、レコード番号1595番のキャノンボール・アダレイのリーダー・アルバム、SOMETHIN’ ELSEがある。
演奏は、CBSレーベル所属のマイルス・ディビスがリーダーで当時結成していたバンドによるものだが、契約の関係でリーダーとしてマイルスの名義では発売できなかったらしく、リーダーのキャノンボールと影のリーダー、マイルスのコラボ・アルバムと言って良いのかも…
“ああだ”、“こうだ”とレビューするほどの知識もなく、バック・グラウンドで流して楽しむ。これぞ古き良き時代のジャズというイメージ。
但し再発のバーゲン価格で買ったCD盤ではあるが…
ブルーノート・レーベルは1933年に設立され、44年にニューヨークのLEXINGTON AVENUEに社屋を構えた。その後、1957年に47 WEST 63RD STREETに移る。
なんでも、この頃に発売された1500番台の98枚のレコードに名演が多く、オリジナル初回盤はファンの間では人気の高いコレクター・アイテムになっているそうな… レコードのレーベル部分に印刷されたブルーノートの社屋の住所の表記はオリジナルのレコードかどうか見極めるために重要だそうだ。なぜなら、その後リバティ社に買い取られてしまい、再発盤には住所の表記がなくなってしまったからだとか…
詳しくはその道の専門家に~♪
ところで海外での住所の表記と言えば、日本のブロック単位ではなく、通りの名称が使用されている場合が多い。
通りの片側に奇数の番地、反対側は偶数の番地が割り振られ、番地と通りの名前がわかれば、番地が奇数か偶数かで、通りの一方側の番号のみを順に追って行けば、目的の地所にたどり着くという合理的なものである。
ニューヨークの場合、マンハッタン島の中心街は、碁盤の目に道路が引かれ、南北の道にはアベニュー(日本流では、XX街)、東西に横切る道にはストリート(日本流では、XX丁目)と呼称されている。すなわち、47 WEST 63RD STREETは西63丁目47番となる。
何故、頭に西が付くかと言うと、ニューヨークの場合は、フィフス・アベニューもしくはセントラル・パークの縦のラインで市街地を東西に別けており、63丁目の場合は、その中心にセントラル・パークがあるからだ。ストリートの延長上のセントラル・パークの反対側には、EAST 63RD STREETなるものが存在するというわかり易い配置となっている。
日本の場合は、道が地域の境界線となることが多く、通りに面した反対側は、異なった地名になることが多い。そして4方道路に囲まれたブロックを時計回りに地番号を振っていく。地名が通りの名前と必ずしも一致しないので地図を一瞥するだけでは目的地探しにくい。
京都市内中心部は他の地域と同じように町ごとに分割されているが、街全体が碁盤の目になっているため、道案内をする際、東西と南北に交わる交差点を起点とし、そこから上る(北に)、下る(南に)、もしくは東入る(地図上では右の方向)とか西入る(地図上では右の方向)と表現するらしい。
例えば“四条河原町上る”と言えば、四条通と河原町通の交差点を北の方向に向かうという意味である。碁盤の目のように配置されたニューヨークの街並みみたいに、”どこそこの交差点を西に2ブロック行く”とかわかり易い。
それから、京都には結構難読ではあるが昔ながらの地名が数多く残り、今もそれらの地名発音する響きから、町の長い歴史の雰囲気を感じ取ることは出来る。
そして、この後ニューヨークつながりで久々に日本のバンドのアルバムを聴いてみた。
甲斐バンドの1983年のアルバム、ゴールドである。
ジャケットにはニューヨークのマンハッタンの景色をハドソン川から撮った金色に輝く写真が使われている。そのころレコード・プレーヤは故障で廃棄してしまい、カセットを買って車の中で聴いていたような覚えがある。
ミキシング・エンジニアにボブ・クリアマウンテン、マスタリング・エンジニアにボブ・ラドウィックとアメリカ最強の超大物二人を起用しアルバムの最後の仕上げをニューヨークで行った。すっきりくっきりサウンドとでも言うのか… ボブ・クリアマウンテンは当時ストンーズ、スプリングスティーンや他の有名処と仕事をしていたそうなので、お金かかっただろうね。
そのミキシングを行ったのはニューヨークにあるレコード・プラントのスタジオで、住所は321 WEST 44th STREETと、当時のブルーノートの社屋とそれほど離れていない。
今や、ブルーノートの社屋もその地になく、レコード・プラントのスタジオも廃止されこの世に存在しないのであるが、両アルバムの音楽だけはレコード(記録)として後世に残り、今も当時の雰囲気や面影を伝え続けるのである。
ここにジャズの名門レーベル、ブルーノートから出された、レコード番号1595番のキャノンボール・アダレイのリーダー・アルバム、SOMETHIN’ ELSEがある。
演奏は、CBSレーベル所属のマイルス・ディビスがリーダーで当時結成していたバンドによるものだが、契約の関係でリーダーとしてマイルスの名義では発売できなかったらしく、リーダーのキャノンボールと影のリーダー、マイルスのコラボ・アルバムと言って良いのかも…
“ああだ”、“こうだ”とレビューするほどの知識もなく、バック・グラウンドで流して楽しむ。これぞ古き良き時代のジャズというイメージ。
但し再発のバーゲン価格で買ったCD盤ではあるが…
ブルーノート・レーベルは1933年に設立され、44年にニューヨークのLEXINGTON AVENUEに社屋を構えた。その後、1957年に47 WEST 63RD STREETに移る。
なんでも、この頃に発売された1500番台の98枚のレコードに名演が多く、オリジナル初回盤はファンの間では人気の高いコレクター・アイテムになっているそうな… レコードのレーベル部分に印刷されたブルーノートの社屋の住所の表記はオリジナルのレコードかどうか見極めるために重要だそうだ。なぜなら、その後リバティ社に買い取られてしまい、再発盤には住所の表記がなくなってしまったからだとか…
詳しくはその道の専門家に~♪
ところで海外での住所の表記と言えば、日本のブロック単位ではなく、通りの名称が使用されている場合が多い。
通りの片側に奇数の番地、反対側は偶数の番地が割り振られ、番地と通りの名前がわかれば、番地が奇数か偶数かで、通りの一方側の番号のみを順に追って行けば、目的の地所にたどり着くという合理的なものである。
ニューヨークの場合、マンハッタン島の中心街は、碁盤の目に道路が引かれ、南北の道にはアベニュー(日本流では、XX街)、東西に横切る道にはストリート(日本流では、XX丁目)と呼称されている。すなわち、47 WEST 63RD STREETは西63丁目47番となる。
何故、頭に西が付くかと言うと、ニューヨークの場合は、フィフス・アベニューもしくはセントラル・パークの縦のラインで市街地を東西に別けており、63丁目の場合は、その中心にセントラル・パークがあるからだ。ストリートの延長上のセントラル・パークの反対側には、EAST 63RD STREETなるものが存在するというわかり易い配置となっている。
日本の場合は、道が地域の境界線となることが多く、通りに面した反対側は、異なった地名になることが多い。そして4方道路に囲まれたブロックを時計回りに地番号を振っていく。地名が通りの名前と必ずしも一致しないので地図を一瞥するだけでは目的地探しにくい。
京都市内中心部は他の地域と同じように町ごとに分割されているが、街全体が碁盤の目になっているため、道案内をする際、東西と南北に交わる交差点を起点とし、そこから上る(北に)、下る(南に)、もしくは東入る(地図上では右の方向)とか西入る(地図上では右の方向)と表現するらしい。
例えば“四条河原町上る”と言えば、四条通と河原町通の交差点を北の方向に向かうという意味である。碁盤の目のように配置されたニューヨークの街並みみたいに、”どこそこの交差点を西に2ブロック行く”とかわかり易い。
それから、京都には結構難読ではあるが昔ながらの地名が数多く残り、今もそれらの地名発音する響きから、町の長い歴史の雰囲気を感じ取ることは出来る。
そして、この後ニューヨークつながりで久々に日本のバンドのアルバムを聴いてみた。
甲斐バンドの1983年のアルバム、ゴールドである。
ジャケットにはニューヨークのマンハッタンの景色をハドソン川から撮った金色に輝く写真が使われている。そのころレコード・プレーヤは故障で廃棄してしまい、カセットを買って車の中で聴いていたような覚えがある。
ミキシング・エンジニアにボブ・クリアマウンテン、マスタリング・エンジニアにボブ・ラドウィックとアメリカ最強の超大物二人を起用しアルバムの最後の仕上げをニューヨークで行った。すっきりくっきりサウンドとでも言うのか… ボブ・クリアマウンテンは当時ストンーズ、スプリングスティーンや他の有名処と仕事をしていたそうなので、お金かかっただろうね。
そのミキシングを行ったのはニューヨークにあるレコード・プラントのスタジオで、住所は321 WEST 44th STREETと、当時のブルーノートの社屋とそれほど離れていない。
今や、ブルーノートの社屋もその地になく、レコード・プラントのスタジオも廃止されこの世に存在しないのであるが、両アルバムの音楽だけはレコード(記録)として後世に残り、今も当時の雰囲気や面影を伝え続けるのである。