世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

編物

2006年08月17日 22時05分43秒 | Weblog
母が、吉熊にオーバーオールを編んでくれた。
「Y」の文字が何とも可愛らしい。

吉熊の周囲にいるのは、母の手作りの人形たち。
デレデレの吉熊。

…ハーレム状態?

母の編物の技能を、私は享受できなかった。
カギ編みを教えてもらったこともあったが、中学生のとき、3平方センチメートルの面積を編むのに、私は3時間もかかった。
母も教えることを諦め、そして私は興味を失った。

当然、「彼氏に手編みのマフラーを…うふ」という発想が、私になされたことがなかった。

今でも、母の編物をする過程を不思議な気分で眺めてしまう。

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宇都宮美術館

2006年08月17日 22時03分08秒 | Weblog
今日で休みも終り。
明日からまた殺伐とした毎日が手招きをしている。

母と宇都宮美術館へ行った。
ここは、宇都宮で私が一番好きな場所だ。
市街地からやや離れた高台にあり、緑も多い。

美術館のレストランでランチをしたあと、宇都宮美術館コレクション展を観た。
シャガールの絵が2枚あった。
「青い恋人たち」
「緑、赤、青の恋人たち(村の上で)」

「青い恋人たち」…シャガールの妻を亡くした悲しみを表現した作品らしい。
抱擁する男女を取り囲むように、キャンバス全体から滲出る青色が、なんとも悲しげで神秘的であった。

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夏のノスタルジー

2006年08月17日 22時00分30秒 | Weblog
8/16
実家に帰っていた。

夕方暇だったので、吉熊と散歩に出かけた。
三舛屋(大型スーパー)で買い物を済ませたあと、13年前に卒業した雀宮中学校に寄ってみた。

西日に光る校舎は、私を追憶の彼方へ誘った。

私の思春期を費やした場所。
たくさん笑い、たくさん泣いた。
幼い情熱を胸に秘め、夢らしきものも持っていた。

校舎のにおいが、ふと鼻をかすめた。
揺れ動く心。
蘇る思い出たち。

一日一日の思い出の多くは時間によって風化してしまったが、
においだけは忘れられない。

ここに来ると、夢見るパワーを貰える。




あの曲がり角をいつも奇跡を信じて歩いていく

2006年08月17日 21時55分36秒 | Weblog
8/15

さて、トリロジーの風に吹かれる旅も終わったわけだが。
旅のあいだは、現在・過去・未来について、深く考えている時間などなかった。

仕事の件で吉熊上司から問い合わせの電話を受けたり、株式指標を携帯からチェックしなければならなかった。

結局、それが現在・過去・未来を含め、「自分自身」なんだ。

瀬戸内海の風に吹かれながら、そう思った。

現在置かれた状況の後ろには過去がある。
生まれてから今に至る私の過程だ。

未来というものは現在の果てにある。
まだない。
これから作るものだということを実感として得られた旅だった。

今、この現在という時間を大切に生きないと、過去を慈しむことができないばかりか、未来も自分が望んでいないものになりかねないということだけ、おぼろ気に感じた。

そう考えると、今を生きるって、けっこうプレッシャーだ。

尾道の小道は入り組んでいる。
目指すべき寺に行き着く前に怪しげな小道があると、「何か綺麗な景色がありそう」と私は地図にはないそっちの道に進んでしまう。

行き止まりにあったり、今まで知らなかった景色にあたったり…そんなことを繰り返している尾道の旅だ。

生きることは大変なこと。
でも、あの曲がり角に奇跡があると、私は信じている。
期待ではない。
信じているんである。
それだけで、生きることに望みを持っていても良いような気がする。
プレッシャーなんて、クソくらえだ。

坂道でウロウロしていると「どこ探しとるんか?」と声をかけてくださったおばあちゃん。ありがとう。
私の人生も然りで、そんな皆さんのお言葉がどんなにか、ありがたいことか。

まだ私の「人生の旅」は終着駅を迎えてないっぽいので、今後とも宜しくお願い致します。