世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

「調子の良い鍛冶屋」

2006年08月29日 | Weblog
処方されている精神安定剤ソラナックスを飲むと、生理前でもイライラしない。
嫌なコトバを投げ掛けられても、どうでもよくなり、自分でも驚くほど陽気に過ごせる。

仕事にも集中できる。
人と会話が楽に出来る。

生理痛は、精神的なものからも起こるらしい。
「生理、嫌だなあ。」と思い、生理前から恐怖を感じていると余計痛みが増すと何かに書いてあった。

今日、生理が来たのだが、激しい痛みはなかった。
やはり前々からソラナックスを飲んで
「めんどいけれど、…まぁ、どうでもいいや」と、おおらかに構えていたのが良かったのだろう。一応、鎮痛剤も服用し、様子を見ている。

夜のマイスリーも併せ、それらのケミカルな薬剤を使わないと、もはや社会人としての私の生活は成り立たない。

他人が言うほどこの薬生活に、後ろめたさを感じられない。
いちいち悩むことには疲れた。
生きるなら、楽しく生きたい。

それを遂行するために薬を服用することは、現代人の特権だと思う。
(飛鳥時代に鬱病だったヒトって、どういうふうに治療していたんだろう。)

薬を飲まないで済むなら、飲まない方が良い。
そのぐらい私にも分かるのだが、頼らずにはいられない。
今の生活を死守するためには。

私にとって、薬とは何なのだろうか?
私の前にある壁らしきものを乗り越えるられる切欠だと、今のところ信じている。
だからこそ、私は躊躇わずに服用できるんである。

ヘンデル作曲の「調子の良い鍛冶屋」という曲がある。
流れるような旋律が心地良い、バロック時代の清潔さが漂ってきそうな曲だ。

ソラナックスを飲んだあと、妙なこだわりを捨てて「もう、どうでもいい」という思いが胸中を占める時、私の頭にはいつもこの曲が流れる。

「調子が良い」とは、誰にも合わせることができる八方美人の意味ではなく、
この場合に限っては「体の調子が良い」というときに使用されるニュアンスのものだ。そう勝手に解釈して、脳内に流している。

精神科で処方された薬をいつまで飲むかは分からない。
ピュアな体で、自然に「調子の良い鍛冶屋」が響いてきら、
そのときが薬を卒業できる日なのかもしれない。

早くも月末。
しかも、明日の午前中、大切な打ち合わせがある。
生理痛だからといって、じっと腹を抱えているわけにはいかないんである。
吉熊上司は不在らしいから、自分ひとりでどうにかしなければならない。
話をまとめて、カタチにしなければ。
また、他部署の人々に色々言われるんだろうな…。
怖い。

けど、大丈夫。
脳内に「ワルキューレの騎行」を流して、戦うぜ。
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