世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

男と女

2008年04月09日 | Weblog
思ったときにしか書けない。
だから思った今、思ったことを書いておこうと思う。

私は他人から受ける恋愛感情が怖い。
他人との密接な距離感が苦手なのもあるが、今の気ままな生活スタイルを崩したくないのが主な理由だ。

相手が小室哲哉でも鷲津政彦でも私は変わらないと思う。

相思相愛で恋愛をすると、この大切な生活スタイルが崩壊するということはおおよそ検討がつく。

会社帰りに珈琲を飲みながら本を読み耽り、週末は気の向くまま出掛けたい。
もちろん一人で。

掃除や洗濯はやりたいときに最低限やる。できればメイドが欲しい。

残業が終わり、職場のタイムカードを押した瞬間から、あまり人と喋りたくないし、好きなことしかやりたくない。

たまに恋をする。
しかし、妄想を逸脱することは近年ない。
現実化を目指したり、アクションを起こすことはない。
自分の生活スタイルの崩壊に繋がりかねないからである。
妄想ほど楽なことはない。
妄想内で、私は憧れの君と京都の古い寺でデートをしたり、モンマルトルの丘で語らうことができるのだから。

「あ、風呂入ろう」
と思ったら、妄想を切りやめて東京の我が家の風呂にすぐに入ることができる。
そんな時空を越えた恋愛を度々して考察したことは、

私は
「京都でデートを楽しむ私」
「モンマルトルをバックにして、彼に見られている私」
が好きだということだ。

そんな私が
「君の手料理が食べたい」
とか言う殿方に遭遇すると
「嗚呼、この人とは一生深く交わることがないだろう」
と思う。

「好き」
ならまだ分かる。
「手料理が食べたい」
は、もう狂おしいほど絶望的だ。

元々食には興味がない私。
どうして他人の為に料理という労働、しかも無償行為をしなければならないのだろうかと思う。

評価と賃金が発生しない労働にも興味がない。

私が女性だから彼はそのような欲望を抱いたんだろう。
そういう欲望を当たり前のように抱き、そして口にすることができる彼の本質と私という人間の本質の狭間には果てしなく深い溝を感じてしまうんである。

「私、それをするために生まれてきたわけではありません」
ときっぱり言おうかとも思ったんだが、発言するのも面倒なので辞めた。

彼とは良い友達でいたいと思う。
彼の欲望が私の生活圏に侵入しなければの話だが。

性差ほど煩わしいものはないと思う。

三十路に入り、その思いは濃くなった気がする。

それが今日思ったことだ。
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桜と吉熊

2008年04月09日 | Weblog
日曜日、Iさんに撮影してもらった吉熊。
やっぱりプロに撮ってもらうと違う!
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