祖母が他界した。
95歳。
1912年7月5日から始まり、明治・大正・昭和・平成を生き抜いた彼女のストーリーは、今朝、8時23分で幕を下ろした。
「おばちゃん、亡くなったから」
知らせは母からの電話だった。
普段、私は電車内では携帯を取らない。
今朝は電車遅延で、周囲の乗客も携帯で話していた。
私は、あまり後ろめたさを感じずに、そして少しだけ嫌な予感を持って電話に出た。
おばちゃんが死んだ
おばちゃんが死んだ
彼女はもうこの世にいない。
その実感をいまだに自身の中に介入させることができない。
今日は溜まった稟議決裁の処理を淡々とこなした。
気を紛れさせようと手元の書類に没頭しようとするが、気づくとおばちゃんのことばかりを考えていた。
「お勤め、頑張ってください」
10年前、私がバイトに行くときも、彼女は玄関先までそう言いながら送り出してくれた。
そんな彼女だから、きっと
「おばちゃんのことはいいから、お勤め、頑張りなね」
と言うに違いない。
負の自分を何とかして奮い立たせた。
明日が通夜、明後日が告別式。
私は経費のデーター加工をするべく出社し、午後過ぎに宇都宮に帰る。
おばちゃんの死に顔が、どうか安らかでありますように。
95歳。
1912年7月5日から始まり、明治・大正・昭和・平成を生き抜いた彼女のストーリーは、今朝、8時23分で幕を下ろした。
「おばちゃん、亡くなったから」
知らせは母からの電話だった。
普段、私は電車内では携帯を取らない。
今朝は電車遅延で、周囲の乗客も携帯で話していた。
私は、あまり後ろめたさを感じずに、そして少しだけ嫌な予感を持って電話に出た。
おばちゃんが死んだ
おばちゃんが死んだ
彼女はもうこの世にいない。
その実感をいまだに自身の中に介入させることができない。
今日は溜まった稟議決裁の処理を淡々とこなした。
気を紛れさせようと手元の書類に没頭しようとするが、気づくとおばちゃんのことばかりを考えていた。
「お勤め、頑張ってください」
10年前、私がバイトに行くときも、彼女は玄関先までそう言いながら送り出してくれた。
そんな彼女だから、きっと
「おばちゃんのことはいいから、お勤め、頑張りなね」
と言うに違いない。
負の自分を何とかして奮い立たせた。
明日が通夜、明後日が告別式。
私は経費のデーター加工をするべく出社し、午後過ぎに宇都宮に帰る。
おばちゃんの死に顔が、どうか安らかでありますように。