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体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

「朽ちていった命―被曝治療83日間の記録―」(NHK「東海村臨界事故」取材班」)

2008年12月05日 23時07分14秒 | Weblog
東海村の臨界事故があった翌朝のことはよく覚えている。
私の内定式の日だったから。
茨城県で起きた事故なのに、翌朝の、しかも栃木県からの上り電車にも影響があったのでよく覚えている。
リクルートスーツを着た私は、「内定式に間に合うんだろうか」と思いながらも、放射能の影響を怖く感じていた。

1999年9月30日。

茨城県東海村の核燃料加工施設で臨界事故が起こった。
本書は、その被害者の一人・大内さん(35歳)の、事故発生から息を引き取るまでのドキュメントが綴られている。
ニュースでは解らない「事実」がそこにはあった。
大内さんの命はまさしく「朽ちていった」のだ。
この表現は、あまりにもはまりすぎていて、読んだあと、しばらくは頁を再び捲るのが怖かった。

それほどまでに、静かに、そして確実に大内さんの体を蝕む放射能の恐ろしさがリアルに書き記してあった。


被曝した瞬間、大内さんの染色体はばらばらになり、いわば設計図を失った。
それは新しい細胞を作れないことを意味する。

本の中には、東大病院に運ばれたときと被曝26日後に撮影された大内さんの右手のカラー写真がある。
前者は赤く腫れているだけだったんだが、後者は皮膚が失われて赤黒く変色している。
…これを見た私は、絶句をしてしまった。

皮膚を失った大内さんは全身をガーゼで包まれていた。
体液が染み込んだガーゼを毎日2時間がかりで交換したり、次々に起こる症状に為す術もなく途方に暮れながらも、大内さんの命を守ろうと必死な医師たちの苦悩…彼らの「ここまでして大内さんは生きたいのか?」という想いもありのまま描かれている。


大内さんは、きっとあの事故の朝、「今日もいつもと変わらない日」だと思い、出社し、仕事をしていたんだと思う。
まさか、被曝して83日も不安や痛みや苦しみ、そして「なんで俺が!」という悔しさに苛まれるとは思ってもいなかっただろう。

私が毎日普通に生きていられるのも、きっと奇跡の連続なのかもしれない。


あの内定式のあと、私の身の上にも様々なことが起こった。
その一つ一つが細胞のように連鎖・蓄積されていき、今の自分を形成している。

「一日」という名の細胞。
小さな細胞が集まってできた「人生」。
自分、人生…それらを一瞬で失うこともあるということを本書を通して私は学べた。

大切に生きないと、と思った。
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