マイミクあやみちゃんのカキコミを見て、中学時代を懐古。
我々の担任はB型水瓶座の、陽気で自由主義な男性教師だった。
名前はツネヲ。
しかも、彼、ずっと1年から3年まで私の担任だった。
チョークを片手で弄びながら、「…な、…ね、…な?」と生徒の反応を見るという特技を持っていた。
ちなみに教科は理科。私は理科が大の苦手で、3年生の夏の実力テストで44点を取り、彼をがっかりさせた。
(だってイオンとか分からないんだもの)
彼にはサラリーマン時代があったそうだ。東京で毎朝満員電車に揺られていたとかなんとか。入社試験の面接で「特技は木登りです」と言ったとか。
兎に角、変な人だった。
普段は軟式なツネヲだったが、進路相談は、かなりクールだった。
「○○高校なんてどうでしょうか?」
とちょっと上の学校を言おうものならば、
「あ、無理ですね」
と、きっぱり。
彼はそんなにガミガミ言うタイプの人間ではなかった。
風紀検査とか、やらされている感がアリアリだった。
それに、校則を犯してまで何かをやらかすっていう生徒は皆無だった。
私たちの意見を第一に考えていたツネヲだったが、唯一、譲らなかったものがある。
合唱コンクールの自由曲の選曲だ。
頑として「『ハレルヤ』にしような、ね?な?」と、ツネヲの一存で決めてしまったのである。女子の大半は「遠い日の歌」が良いと言っていたのに。当然、女子の間ではブーイングが起こった。しかし、我々は放課後も練習を重ね、時には朝練までした。
結果は11クラス中、3位に入れなかった。
でも、「ハレルヤ」で良かったのだと、今になって思う。
まだソプラノの部分、歌える。
たまに、高校時代、アルトを歌った母とカラオケで一緒に歌える。
Handel - Messiah - Hallelujah Chorus
卒業式のあと。
最後のホームルームで、
「こんなに良いクラスは初めてだった~」
と泣いたツネヲ。
「ハレルヤ」を聞きながら、あの春の日を思い出した。
我々の担任はB型水瓶座の、陽気で自由主義な男性教師だった。
名前はツネヲ。
しかも、彼、ずっと1年から3年まで私の担任だった。
チョークを片手で弄びながら、「…な、…ね、…な?」と生徒の反応を見るという特技を持っていた。
ちなみに教科は理科。私は理科が大の苦手で、3年生の夏の実力テストで44点を取り、彼をがっかりさせた。
(だってイオンとか分からないんだもの)
彼にはサラリーマン時代があったそうだ。東京で毎朝満員電車に揺られていたとかなんとか。入社試験の面接で「特技は木登りです」と言ったとか。
兎に角、変な人だった。
普段は軟式なツネヲだったが、進路相談は、かなりクールだった。
「○○高校なんてどうでしょうか?」
とちょっと上の学校を言おうものならば、
「あ、無理ですね」
と、きっぱり。
彼はそんなにガミガミ言うタイプの人間ではなかった。
風紀検査とか、やらされている感がアリアリだった。
それに、校則を犯してまで何かをやらかすっていう生徒は皆無だった。
私たちの意見を第一に考えていたツネヲだったが、唯一、譲らなかったものがある。
合唱コンクールの自由曲の選曲だ。
頑として「『ハレルヤ』にしような、ね?な?」と、ツネヲの一存で決めてしまったのである。女子の大半は「遠い日の歌」が良いと言っていたのに。当然、女子の間ではブーイングが起こった。しかし、我々は放課後も練習を重ね、時には朝練までした。
結果は11クラス中、3位に入れなかった。
でも、「ハレルヤ」で良かったのだと、今になって思う。
まだソプラノの部分、歌える。
たまに、高校時代、アルトを歌った母とカラオケで一緒に歌える。
Handel - Messiah - Hallelujah Chorus
卒業式のあと。
最後のホームルームで、
「こんなに良いクラスは初めてだった~」
と泣いたツネヲ。
「ハレルヤ」を聞きながら、あの春の日を思い出した。