春雨にやきもきである。今週末は花見をする予定なので、雨で桜が散ってしまわないか、そわそわ。本当、桜の時期って心が落ち着かない。
仕事のほうもだいぶ落ち着いてきた。
夕方、人事部から新卒の配属先店舗のデータをもらい、さっそく注文表を作成した。IF関数を駆使した渾身の注文表。
久々にプチ残業で帰ることができた。
昨日の歴史秘話ヒストリアは清少納言の枕草子。
清少納言・・・忘れられぬ名前。
小学校5年生のとき。
「今日の宿題は百人一首で好きな歌を1首覚えてくること」
と担任の福田先生に言われた。
その時私が覚えたのは清少納言の歌だった。
福田先生は28歳の男の先生で、熱血感溢れる人だった。市の中心部より移動してきた。
正直、ちょっと怖かった。男性の担任は初めてだったので。
事実、4月の初めてのテストで、テスト前の休み時間に遊んでいたら
「おめーら信じられねぇ!なんでテスト前なのに遊んでるの?」
と怒号が飛んだ。
「嗚呼、大変な先生のクラスになってしまったなあ」
と、私は心が暗くなった。
福田先生はそれまでの自分が知らなかったものをたくさん教えてくれた。
・ドイツ語で「喜びの歌」を教えてくれた。
・難しい漢字を教えてくれた(蛤、蛾、蝶、蜻蛉、鮫、鰊、案山子、月極、予め、糞)。
・また漢字ドリルの漢字を一人一つずつ請負い、その漢字について「説明」をさせる、とか。仕事で言うとプレゼンに位置するのだろうか。意味とか書き順などを生徒が先生に変わって説明するんである。(ちなみに私は「編」だった。「変」ではない)
・屋上で給食を食べさせてくれた
・ラジオ体操の動き一つ一つの「意味」を教えてくれた。
・ノアの箱舟(「お前ら馬鹿だからノアの箱舟に乗れねーぞ」と言われた)
・「雨ニモ負ケズ」
・課題を与えられ、できないと帰れない。私は18時まで残ったことがある。たしか速さ・時間・道のりの問題。
他の学年での授業はほとんど忘れてしまっているが、5年生での出来事だけはやけにリアルに覚えている。
福田先生は厳しかったが、その後の私の人生に多大な影響を与えてくれた。
その最たるものが百人一首だ。
ある日突然百人一首が書かれたプリントを渡された。
「明日までに一首おぼえてくるように」
という宿題が出された。
それまで百人一首なんて見たことも聞いたこともなかった。
放課後、クラスの半分ぐらいの子が覚えやすいという理由で
「いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふ九重に にほひぬるかな」
を覚え始めていた。
私は目をつぶって指差したものを覚えた。
それが清少納言の歌。
「夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも
よに逢坂の 関は許さじ」
意味なんて分からなかった。
帰宅後、母ヨーコたんにも
「なんでそんなのを覚えようとしたの?八重桜のやつにすればいいのに」
と言われた。言われれば言われるだけ私は意固地になり、必死でその清少納言の歌を覚えた。
翌日のお披露目。一人一人立たされて覚えてきた歌を言う。
やはり八重桜の歌が人気。
その度に、
「おめーもか!」
と声を上げる福田先生。
私は緊張した面持ちで暗記してきた
「夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも
よに逢坂の 関は許さじ」
を早口で言った。
そのときの福田先生の感想などは忘れてしまったけれども「私はみんなとは違う」という、優越感があったのは覚えている。
「夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも
よに逢坂の 関は許さじ」
夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、
函谷関ならともかく、この逢坂の関は決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して逢いませんよ)
改めて考えると、すげー高慢ちきな歌だよな。
先述の「私はみんなとは違う」という幼き私の優越感と若干かぶらないでもない。
そんなこんなで、昨日の放送では、そんな小学校5年生の日々を思い返した。
放送では「枕草子は女子ブログのようなもの」と説明されていた。
この吉熊ブログもいずれ・・・。「それが、のちの『熊草子』だった」(「その時歴史が動いた」ふうに)。
上村松園筆 『清少納言-褰簾ノ図』
仕事のほうもだいぶ落ち着いてきた。
夕方、人事部から新卒の配属先店舗のデータをもらい、さっそく注文表を作成した。IF関数を駆使した渾身の注文表。
久々にプチ残業で帰ることができた。
昨日の歴史秘話ヒストリアは清少納言の枕草子。
清少納言・・・忘れられぬ名前。
小学校5年生のとき。
「今日の宿題は百人一首で好きな歌を1首覚えてくること」
と担任の福田先生に言われた。
その時私が覚えたのは清少納言の歌だった。
福田先生は28歳の男の先生で、熱血感溢れる人だった。市の中心部より移動してきた。
正直、ちょっと怖かった。男性の担任は初めてだったので。
事実、4月の初めてのテストで、テスト前の休み時間に遊んでいたら
「おめーら信じられねぇ!なんでテスト前なのに遊んでるの?」
と怒号が飛んだ。
「嗚呼、大変な先生のクラスになってしまったなあ」
と、私は心が暗くなった。
福田先生はそれまでの自分が知らなかったものをたくさん教えてくれた。
・ドイツ語で「喜びの歌」を教えてくれた。
・難しい漢字を教えてくれた(蛤、蛾、蝶、蜻蛉、鮫、鰊、案山子、月極、予め、糞)。
・また漢字ドリルの漢字を一人一つずつ請負い、その漢字について「説明」をさせる、とか。仕事で言うとプレゼンに位置するのだろうか。意味とか書き順などを生徒が先生に変わって説明するんである。(ちなみに私は「編」だった。「変」ではない)
・屋上で給食を食べさせてくれた
・ラジオ体操の動き一つ一つの「意味」を教えてくれた。
・ノアの箱舟(「お前ら馬鹿だからノアの箱舟に乗れねーぞ」と言われた)
・「雨ニモ負ケズ」
・課題を与えられ、できないと帰れない。私は18時まで残ったことがある。たしか速さ・時間・道のりの問題。
他の学年での授業はほとんど忘れてしまっているが、5年生での出来事だけはやけにリアルに覚えている。
福田先生は厳しかったが、その後の私の人生に多大な影響を与えてくれた。
その最たるものが百人一首だ。
ある日突然百人一首が書かれたプリントを渡された。
「明日までに一首おぼえてくるように」
という宿題が出された。
それまで百人一首なんて見たことも聞いたこともなかった。
放課後、クラスの半分ぐらいの子が覚えやすいという理由で
「いにしへの 奈良の都の 八重桜
けふ九重に にほひぬるかな」
を覚え始めていた。
私は目をつぶって指差したものを覚えた。
それが清少納言の歌。
「夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも
よに逢坂の 関は許さじ」
意味なんて分からなかった。
帰宅後、母ヨーコたんにも
「なんでそんなのを覚えようとしたの?八重桜のやつにすればいいのに」
と言われた。言われれば言われるだけ私は意固地になり、必死でその清少納言の歌を覚えた。
翌日のお披露目。一人一人立たされて覚えてきた歌を言う。
やはり八重桜の歌が人気。
その度に、
「おめーもか!」
と声を上げる福田先生。
私は緊張した面持ちで暗記してきた
「夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも
よに逢坂の 関は許さじ」
を早口で言った。
そのときの福田先生の感想などは忘れてしまったけれども「私はみんなとは違う」という、優越感があったのは覚えている。
「夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも
よに逢坂の 関は許さじ」
夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人をだまそうとしても、
函谷関ならともかく、この逢坂の関は決して許しませんよ。(だまそうとしても、決して逢いませんよ)
改めて考えると、すげー高慢ちきな歌だよな。
先述の「私はみんなとは違う」という幼き私の優越感と若干かぶらないでもない。
そんなこんなで、昨日の放送では、そんな小学校5年生の日々を思い返した。
放送では「枕草子は女子ブログのようなもの」と説明されていた。
この吉熊ブログもいずれ・・・。「それが、のちの『熊草子』だった」(「その時歴史が動いた」ふうに)。
上村松園筆 『清少納言-褰簾ノ図』