世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

ガラスの三十代

2014年04月20日 | Weblog
小学校時代からの友達わたと「栄西と建仁寺」展@東京国立博物館に行ってきた。

わたとは小学校3年生のクラス替えで同じクラスになった。4年生の終了と同時に引っ越してしまったが、アナログ通信(手紙)を交わしながら国交を深めている。
わたとは気が合う。4年3組のとき、「りょうこっこわた新聞」というものを地味に発行していたっけな。小学生なのにジャーナリスト気取りで公園で遭遇した他校の生徒のこととか書いていた。

1年半ぶりに会った。
「わた!」
「りょうこっこ、久しぶりー」
・・・やっと会えたね(By辻仁成)


栄西と建仁寺展




14時少し過ぎに入場。

一緒に同じ展示物を見る。
わたのレクチャー付き。
昔からしっかり者のわたは私のお姉さんみたいだ。
わたは小学生のときから頭がよい。
解説を読みながら展示物をただぼんやりと見ている私とは違い、英文の解説の方まで読んで
「この単語おかしくない?ニュアンスはいいんだけどさ」
と言う。
「わたー。亮子、英語読めない」
と言うと
「駄目だよ、りょうこっこ。中学校一年からやりなおせ」
と毒舌を吐く。
そんな雰囲気で30年弱、私たちは続いている。
しかもわたは日本史にも詳しい。よく覚えているよな。


「竹林七賢人図」(長谷川等伯)


左端、竹やぶからこちらを見ている童子がなんともいえない。マイルドストーカーじゃないか。しかもちょっとかわいい。これには二人で笑ってしまった。右端の人なんか豚鼻。等伯、はっちゃけすぎだろ。




「雪梅雄鶏図」(伊藤若冲)




これにはひたすら感動。
鶏の鶏冠と花の色がアクセントになっていて画面に引き寄せられる。同時に鶏のリアリティに驚かされた。






「百寿福禄図」(白隠)


百種類の字体で「寿」が百個書かれている。現代アートにも通ずるような斬新さである。
わたが凄く気に入っていた。





「雲龍図」(海北友松)


ダイナミックな龍に失禁しそうだった。
目がくりくりしててキュートだった。





「風神雷神図屛風」(俵屋宗達)


6年ぶりに見たが、やっぱりかっこいい。
ひゅるりりりり~
どど~ん
という風と雷の音が聞こえてきそう。

本館で尾形光琳の「風神雷神図屛風」も見られた。贅沢な鑑賞となった。





本展では、「不産女」の様子が描かれている地獄絵図が一番印象深かった。
トラのパンツを履いた赤鬼に怒られながら、上半身裸体の女子3人が座って(ヤンキー座り)竹に手をやりつつ、悲壮感を浮かべている顔をしている絵。

「不産女・・・これってうちらじゃん」
「だよな。てか、どんな罰ゲームを与えられてるんだろ」
「竹にすがっているだけじゃんね」
「楽勝じゃん」
「てかうちら、生きてるだけで罪人みたいよ」
「やべー。まじか」
「オワタ\(^o^)/ 」
という会話を展開。

我々は結婚や出産を避けたく、また極度の子供嫌いが故、この絵には衝撃を受けた。

調べてみると、この絵の彼女たちは灯心で固い竹の根を掘る罰ゲームを与えられているっぽい。産まなかったというだけで。柔らかい灯心で来る日も来る日も、竹の根掘りを続けなければならないって・・・どんだけ地味な罰ゲームだよ。産まないってだけでどうしてこんな屈辱的な罰を与えられなければならないのだろうか。



博物館を出たのが17時半。なんと3時間近くも鑑賞していたということになる!
美術鑑賞はいつも一人ぼっちで行っている。今日はわたと一緒に見てて楽しくて、つい時間を忘れてしまった。



その後ヲサレ居酒屋で語った。


・憲法19条について
・林真理子先生の「フェイバリット・ワン」について
・中学校のローカルルールについて
・4年生の県民の森への遠足。班分けのときの我々の策士っぷりについて
・マイノリティーは迫害される件について
・まずりんの「独身OLのすべて」最高


そのままカラオケへ♪1980、90年の名曲を歌い上げ、ストレス発散。


通称「寒カラ」。テーマは「ツンドラ気候」
鳥肌立つほど寒い曲を歌い、ひたすら凍えるというカラオケで会うと必ず行う。

わたの「2億4千万の瞳」、「ガラスの十代」、「ロマンスの神様」、「渚の「・・・・・」」、「デリケートに好きして」とか最高すぎて凍死寸前!
私は「愛撫」、「ドリームラッシュ」、「聖母たちのララバイ」、「宇宙刑事ギャバン」、「ロード」・・・寒気倍返し!!



締めは「CHA-LA HEAD-CHA-LA」「摩訶不思議アドベンチャー」・・・スパーキング!
ああ、すっきり。昇天。
「摩訶不思議アドベンチャー」は4年生のときの学級の歌だった。懐かしい。


零時過ぎに帰宅。


真っ赤なほっぺをして釣りスカートを履いて「雀宮中央小学校」の名札をしていた私たち。
小学校時代の私たちが今の私たちを見たらどう思うのだろう。
きっと安心するんじゃないだろうか。
一応大人になってるって。
しかも好きなことやってのうのうと生きているっぽいって。


もし、あの地獄絵図が本当のことで、将来わたと一緒にあの竹やぶに行くとしたら、私は嬉々として付いていくだろう。
わたと一緒だったら、竹やぶで鬼に監視されながらの地味な労働にも耐えられそうな気がする。
「これ、やることに意味あるんすか?」
と鬼に淡々と言っているわた、「そうだそうだ」と続く私が、容易に想像できる。


寂しそうな手(血色が悪い)をしている私を案じてわたがハンドクリームをくれた。
ありがとう。




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