子供の時には何も思わなかった事が、大人になると他人事には思えない…という事がよくあります。
事故で子供が亡くなったりすると、なんかもう、親御さんの気持ちとかいたたまれない…。加害者の方も、もらい事故で飛ばされた自分の車が横断歩道に突っ込んで人が亡くなったりすることもあって、加害者の方でも可哀そう…と思うこともあるんですよねぇ…。
自分が被害者にもなれば、加害者にもなる。
ほんと、ニュースを見ていて他人事とは思えません。
そして何とも思わなかった事の一つに、天皇家の事もありました。
子供のころは、天皇陛下っていったい何をしてくれるんだろうか、そんなに敬うことなのだろうか…と思っていましたが、大人になるとその思いもガラッと変わりました。ゆっくりとお話しされるのも、子供には「もっと早く話してほしい」なんて思いましたが、今はそんな事はこれっぽちも思いません。
私たちに直接何かをしてくれるわけではありませんが、国民のために祈ってくれている、それだけでもう、何だかすごくありがたい…。誰かのために祈るって あまりない事なのに、天皇皇后両陛下は全ての国民が幸せになってほしいと心から願ってくれる方なんですよね…。
もちろん公務での功績というか、天皇陛下の公務あっての国と国との繋がりなどもありがたい事だなぁ…と思います。
ただ、やっぱり強く思うのは、天皇という存在は心の拠り所なんだなぁ…という事。
神様だってそう。直接何かをしてくれるわけじゃないけれど、その存在があるから頑張れるというか、一国民として恥じない生き方しなきゃ…という、心の重しみたいなものがあるような気がします。
まぁ、それも度を越すと戦時中の思想になるのかもしれませんが…
でもね、なんかお二人の愛情深さを感じて、心からありがたい存在だと思うようになったんですよ。
200年ぶりの生前退位。
普通の人なら、とうに引退して余生を穏やかに過ごされている年齢です。
一代限りと言っていますが、国が喪に服すより、お祝いムードの生前退位の方が全ての人にとって幸せな気がしてなりません。
最後に天皇皇后両陛下を一目見ようと沿道に集まる人。
これまでにも「天皇陛下、ばんざーい!」という言葉を聞くと、戦時中の思想を思い出しよく思わなかったのですが、今回の事で分かった気がします。
あれ、天皇陛下に「ありがとうございます」とか「大好きです!」とか「お疲れ様です」なんて思いを伝えたいという、裏返しの言葉なんじゃないかと。
考えてみれば、天皇陛下に掛ける適切な言葉ってなかなかないですよね。
どう言っても失礼な気がして…
だからもう、この「ありがたや、ありがたや…」と拝みたいくらいの気持ちや、歓迎の気持ちを表現するのに、あの言葉しか思いつかないのでしょう…(笑)
そう思ったら、何だかしょうがないなぁ…と思えるようになりました
4月30日の最後のお言葉…。
テレビの前で、しっかりと聞きたいと思います。
「今までありがとうございました」
「お疲れさまでした」
「残りの時間をゆっくりと過ごされてくださいませ」
そんな思いで一杯です
そして、翌日から始まる令和の時代。
どんな時代になるのか、ちょっとワクワクしています