今朝は、寝不足だろうか、・・・ずっと重苦しい雰囲気が続いている。
昨日、早めに打ち合わせを切り上げて、劇場の最終回に滑り込んだ。
そして、観てみたかった韓国映画「私の愛、わたしのそばに」を鑑賞した。
映画がどうのこうの・・というのではなく、あまりにも壮絶な映像に衝撃を受けて、
介護人として病院で母に付き添っていた頃の気持ちが、映画の6人部屋の病室から
感じられて、まるで昨日の事のように思い出してしまった。
主人公ジョンウのベッドは窓際で、まさに母と同じ位置だったし、
あの場所(窓際)にいるということは「入院の長さ」を、歴然とあらわしている。
韓国の状況は分からずとも、少なくとも日本ではそういうことが多い。
私の介護は、ほぼ17年にわたったので、東京と田舎の行ったり来たり・・・や、
独り暮らしだった父と同居してからの生活と、父の最期の見送りまで・・・
それなりの密度の濃い時間を過ごしてきたように思う。
介護は、本当に大変なことだ。
今更ながら、しみじみと感じる。
また、心から愛する人が「死」というものによって、
突然に自分の周りからいなくなってしまう・・・
そんな現実と、その後に襲ってくる「喪失感」「虚脱感」「孤独」。
私は、こういう現実を、何度となく繰り返してきた。
だから・・・
映画のあらゆるシーンが、私の経てきた生活(経験)と、
微妙にダブって感じられた。
もともとは主演俳優の演技と、映画の仕上がりに興味があって、観に出かけたのに・・・
手にしたものは、とても言葉で表せない「過去の自分との出会い」。
今は、ごくごくフツーに生活している。
昨夜、映画を鑑賞後もフツーに電車に乗っていたのに・・・・
涙だけがツツーっと頬をつたって落ちてしまう。
感情とは分断したような感じで、自分でも抑えられない状態。
花粉症のふりをして、下を向いていたけれど、1時間ほど涙が止まらなかった。
久しぶりの現象。
「何だ?!これは・・・」
自分で自分に驚き、起こっている現実が理解できず、
帰宅してからは胸の上に「大きなボール(あるいは石)」がのっかっているような
雰囲気を感じて、また「涙」。
夜中、すっきりと寝られず・・・久しぶりに悶々としてしまった。
今朝は、ほどよき頭痛で目覚め、まだそれが癒えない。
そして・・・ くしくも、今日は「母の誕生日」だと、あらためて気がついた。
まるまるとしていた母が長きにわたる“寝たきりの入院”で、
徐々に(映画のジョンウのように)がりがりにやせていき・・・大学病院の病室では、
ベッド横にパイプ椅子を三つ並べて、毎夜寝ていた「あの頃の私」。
ジョンウの気持ちも、介護する側のジスの気持ちも、病人を抱える家族の気持ちも、
すべて私の想いとリンクした。
長期入院にからんで派生する金銭問題、行き詰まっていく様々な現象、
それらを受け止めなければならない境遇、自分の想い、
家族との関係、病室の人々との人間関係(共感的交流)、などなど・・・
忘れていたことが全て「リフレイン」した。
今日は、この頭痛と、この感覚から逃げることなく・・・
ともにいて・・・
亡き母の誕生日を祝い、この世に存在した「母」に感謝の念を捧げる日としよう。