瞬間

2005年12月05日 | 雑感 -
気持ちの良い一日のはじまりだった・・・。

ひんやりした空気と、真っ青な空の色がとっても心地良くて、清々しくて・・・
足が止まった。
ゴミ出しのため、たった50歩ぐらいの外出だったのだが、
早朝の“空気感”に、“この瞬間”がとまった感じだった。

空を見上げて、ふんだんに“美しい色”を感じ、
ゆっくりと深く呼吸して、奇麗な空気をめいっぱい吸い込んで、
“気持ちいい~瞬間”を、浴びるように楽しんだ。
ひとしきり“その爽快な感覚”を楽しんだのが、“今朝の自分自身”だった。

なんとなく開かれた感じで、甘酸っぱいような心地良さ・・・
そんな気持ちを感じて、いつものように、朝メシをつくり、洗濯機を動かし、
一仕事の後に、メールを開いたら・・・・・。

   ものすごく気持ちがいい朝で幸せでした
   ほっぺをつたう、冷たい空気
   息子が空を仰いで、
   お空が、お風呂に入ったから、
   つるつるだといいました
   見上げると、真っ青な空に、風に乗って落ち葉がふわふわ
   雨で洗われた空は、ほんとにつるつるした感じです


同じ空を見ていたんだね・・・。
私の「こころ」がふわっと、宙に浮いた。
そして、じんわりと広がっていく感覚だぁ。

伝え合うことの大切さ―。
伝わることの意味―。
伝わったことを、また共有することの喜び―。


       「つながっている」という感覚・・・・・
         雄大な自然や、
         ある特定の誰か、
         そして、見知らぬ誰かとも、
         確実に、何かを通して “つながっている”。

何でもないことだけど、すごく“充実した感覚”だと思った。 
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こころ

2005年12月03日 | 雑感 -
どうして・・・
こんなにも・・・
自分自身の“半径3メートルぐらいのこと”しか
眼に入らなくなってしまったのだろう。

昔は・・・
日本の未来、地球の未来にさえも、この想いをはせて、
あらゆる物事をとらえることができていたのに――。

自分の意識を、もっとのびやかに!
自分の生活を、もっと自由に!

たとえ“縛り”があったとしても、
私の「こころ」が“ゆき場”を失うことがないように!
今はまず、そのことだけを意識してみよう。

“人とかかわること” “社会とかかわること”の大切さを、
今・・・
感じている・・・。
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里山

2005年12月02日 | 出来事 -
今夜の段階で・・・
やっと父の精神状態は、落ち着いてきた。

昨日の午前中は、本当に「どうしようか」と思ったけれど・・・
どうにか“いつもの状態”になってきたようだ。
(ふぅ~、ヒヤヒヤしたなぁ)

阿波踊りを一緒に踊ったヘルパーさんは、父の内在するものを引き出してくれた。
そのために結果として「徳島スイッチ」が入ってしまったけれど、それはある意味では
ヘルパーさんが“素晴らしい仕事をしてくれたからだ”とも言える。

昨日は、その彼女を前に、父は興奮状態で不平不満を叫んだ。
「叔母は迎えに来ない。もう信用できない」「お前も信用できない」などなど・・・。

あまりにも大きな声でどなったので、私自身もかなり“あたふた”としてしまった。
“危ない”と判断した私は、すぐに精神安定剤を飲んでもらった。
(そうしないと、ストレス状態で、胸が苦しくなってしまうのだ)
「薬は毒じゃ~」と叫びながら、父はどうにか服薬してくれた(ので、よかった)。

そして、ヘルパーさんに話題を変えてもらうように頼み、私はそそくさと外出したのだ。
何故なら、父が激しく反応して、攻撃してくるのは“私だけ”だから・・・。
親子の甘えだろうか。
私以外の人に、父が悪態をつくことは、ほとんどない。
本来の父は、生真面目で穏やかだから、暴力性などはまったくない。


しかし、私は・・・外出したものの、心配で心配で・・・
「どないしようか」と思った。
アポが午後からだったので、それまで「どうしようか」と・・・悩んでしまったが・・・
すぐに帰宅できる場所に短時間だけでも身を置いて、“その後の結果”を聞こうと決めた。
それだけ、心配だったのだ。


それで、(私自身もストレスをためて、かなり疲れていたので)
すっきりするために、自宅から徒歩10分ぐらいの「里山」に入って行った。
厳密に言うと、「森の中に泣きに行ったのだ」。
お天気の良い一日で、日差しも心地良く、紅葉も美しい色合いを呈していた。
しばらく歩いて、山に押し入って、「さぁ、ここいらで泣くかなぁ」と思っても・・・
泣けなかった。

    ~えっ、どうして?~

いつもなら、すっきりと泣けるのに・・・。
昨日は、一粒の涙も流れず、心が乾ききってしまったような感じだった。
~凍り付いてしまっている~
ある意味で、「ヤバイ!」―そう思った。

仕方がないから、泣くのをあきらめて(笑)、行き交う人と挨拶を交わしながら、
里山の自然を精一杯浴びるように歩いていた。
そのときだった。
下界から、一匹の犬の遠吠えが聞こえてきたのだ。
「キュィ~~ン」「ウゥ、クィ~ン」
しぼり出すような鳴き声で、あまりにも切なかった。
それは、私の胸に、するどく刺さるような哀しい鳴き声だったのだ。

やがて、鎖につながれた犬の様子が頭の中に浮かんできて、
意味もなく「どど~~っ」と、とめどなく涙が溢れてきた。
「縛り」という状況の中で、切なく遠吠えをしている犬の姿が、
今の自分自身とダブったのだろうか。
瞬時に、自分の姿をかさねたのだろうか――。
それとも、つながれた犬の気持ちを、勝手に想像して、切なくなったのだろうか。

どちらにしても、
私自身は思いっきり泣いて、泣いて、泣きあげて・・・すっきりとした!
あの“切ない犬”に「感謝」である。

カサカサと落ち葉を蹴散らして、一歩一歩踏みしめるように歩いていく。
歩みをすすめていくうちに、頭の中はすっきりと澄んでいくような感覚になる。

ちょうど一時間の里山散策だったが・・・
やっぱり「山は最高だ」。
父の問題も、私自身の人生も、すべて“どうでもよくなってくる”。
不思議だなぁ。
自然の中に、吸い込まれていくような感覚―同化していくようなイメージだった。

「辛いときには、里山に限る」・・・これこそ究極のストレス解消法である。

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阿波踊り

2005年12月01日 | 介護日記 -

父の「田舎に帰りたい病」は、先週の木曜日からはじまった。
それは、いらしてくれているヘルパーさんと、阿波踊りを踊ったから・・・。

「手を上げて、何度も踊ってくれました」
帰宅してすぐに、ほほえましく読んだ連絡帳の言葉が、思い出される。
その直後だった。「明日、帰る」という言葉がはじまり、
父の中に「徳島スイッチ」が入ってしまったことを知ったのは・・・。

阿波踊りのことは、いつも「あんなもの?!」と言って、さほど反応を示さないが、
やはり徳島県人だから奥深く入り込んでいるものがあるのだろう。

そうだよね。
懐かしいよね。
私だって、お盆はずっと阿波踊りのリズムに浮かれているもの・・・。

      ※写真は、阿波踊り開幕直後の徳島市内(去年8月12日撮影)
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