今朝、鹿追の道の駅を3時過ぎに出て、日勝峠を越えて、千歳で朝食を食べ、さらに、美笛峠を越えて、予定通り昼までに帰宅することができた。
今回の旅は、初日の定山渓天狗岳を除くと、釧路から根室までの北太平洋シーサイドラインに沿った地域がメインで、あとは、野付半島と東オホーツクも巡ることができた11日間の旅だった。スカッと晴れた天候には恵まれなかったが、雨の日も覚悟していたよりは少なく、最後の羅臼岳と斜里岳登山以外は、当初の計画以上に得るものの多い旅だった。
根釧の北太平洋シーサイドラインに沿った地区へのフットパスの歩きも含んだゆっくり旅は、長年温めていた計画であった。遠く離れた道南とは全く異次元の広大な景観をゆっくり楽しみたかったことが目的だった。特にこの時期を狙ったのは、湿原や草原に咲く花がピークを迎えるときだからである。それらの目的は十分過ぎるほど達成することができたし、多くの花々も目にすることができた。
根釧地方は、夏でも気温が低いのは覚悟して行ったが、10℃~14℃ほどの日がほとんどだった。お陰で、歩いても汗を搔くことはなかったが、歩き以外はパーカーを離せなかった。毎日、20時前後には寝て、3時前後に起きるという早寝早起きのパターンだったが、日の長いときだったので、朝早くから行動することができた。
6/20の定山渓天狗岳は、この花が目的だった。これまで、大千軒岳ときりぎし山でしか見たことがない、絶滅危惧種のホテイアツモリである。過去に盗掘によって姿を消したが、ここ数年、復活したというのでぜひ目にしたかったからである。また姿を消さないことを願っている。
6/21の「釧路湿原」は、釧路市湿原展望台から温根内ビジターセンターまでの「湿原探勝歩道」の歩きで湿原の中の様子をこの目に眺めることができた。湿原の中を歩くことができるのは、ここだけである。この後、湿原の周りをぐるとドライブして、各方向から湿原を眺めて、その広さを実感することができた。
6/22の「釧路町難解地名巡り」も、長年温めて来た計画であった。すべてアイヌ語に漢字を当てたものだが、よくもまあこんな面倒な漢字を使ったものだと昔から感心していた。実際にその地名と共に、そこに住む人々の営みにも触れることによって、ぐんと身近になり、読み方も覚えた気がする。しかし、いくつかは、また忘れてしまうことだろう。
6/23の「霧多布湿原巡り」と「霧多布岬ウォーキング」だが、霧多布(きりたっぷ)という地名は、霧の多い地域にあって、その当て字の見事さに感心していた好きな地名である。自分の中では、八雲町の遊楽部(ゆうらっぷ)と双璧である。
湿原は湖沼群も多く、釧路湿原ほどの広さはないが、釧路湿原と違って、その中で漁業や農業などが営まれていることや多くの花が見られたことが印象的だった。霧多布岬ウォーキングは、現地で地図を見て急遽決めた計画だったが、ウォーキングには14kmという、ちょうど手ごろな距離で、海岸や岬の展望や平坦で草原の広がりをゆっくりと楽しむことができた。
6/24の「落石シーサイドウェイ(落石岬パス・浜松パス)」のフットパス歩きは、これも長年温めていた計画であった。浜松で漁業を営むKoさんから「来るなら花のきれいな6月下旬ですよ」と言われていたこともあった。
このフットパスでは、漁師町の風景、潮風香る浜辺の歩き、一面に彩られた草原の花の道を楽しむことができた。特に浜松パスは、草原にぽつんと立つ標識を探しながら、放牧されている馬と鹿が歩く「馬鹿道」を辿る歩きで、宝探しのようで楽しかった。
6/25,26の2日に分けた「根室フットパス(別当賀パス・初田牛パス・厚床パス)」は、5人の酪農家で組織されたAB-MOBITにより、2003年から構築されたフットパスである。海辺の景観や漁業に触れることがメインの「落石シーサイドウェイ」とは、趣を異にする楽しみがあった。
果てしなく広がる広大な牧草地と牧場の中を歩きながら、根室原野の開拓の歴史と酪農の規模の大きさにも触れることができた。中でも2日目に歩いた厚床パスが、一番変化に富んでいて、フットパスらしくて面白かった。
ここまでは、雨にも当たらず、計画通りに行動することができた。しかし、どんよりとした曇り空が多く、写真もスカッとしなかったのが残念である。
6/23~25の3日間は、根室市内には温泉がないので、ちょっと離れてはいたが、霧多布温泉ゆうゆでのんびりし、近くのアゼチ岬駐車場に3連泊した。7/26~28の3日間は、根室市の明治公園駐車場に3連泊した。
6/26の夜は、Koさんと、Koさんのお友達の店で食事を伴にし、山談義を中心に2時間ほどの楽しいひとときを過ごすことができたし、料理もとても美味しかった。
6/27は、朝から雨のために根室市内で停滞を決め込んだ。前日の内に市内のあちこちを適当に走りまわって、目に付いたレトロ建築をカメラに収めてたおいたものを、ブログのメインとした。一番うれしかったのが、函館独特の上下和洋折衷様式の住宅を見つけたことである。思いがけないところで函館との繋がりを感じることができた。
根室も函館の基礎を作った高田屋嘉兵衛によって発展した場所でもあるし、箱館人さんからのコメントで、根室発展に寄与した第一人者である柳田藤吉は、函館で財を成し、根室へ進出した人だということも知った。函館のハセガワストアと根室のタイエーの焼き鳥べんとう物語は、函館と根室の繋がりの現在版である。
この日は、「根室市歴史と自然資料館」を訪ね、11時ごろから夕方まで、「根室市図書館」で本を読んで過ごした。早い昼食に花咲港で「花咲かにラーメン」を、夕食には、根室名物「エスカロップ」を食べた。
6/28は、これまで2回来ている根室で、まだ訪ねていなかった「春国岱」を歩き、日本名城100選に選ばれている「根室半島チャシ跡群」の2つのチャシを見て歩いた。その後は、根室半島部分をぐるっと回った。
「春国岱」は、風蓮湖と根室湾を分ける砂州で形成された湿地および原生林で、手つかずのさまざまな表情の景観を楽しむことができたし、「根室半島チャシ跡群」の2つのチャシは、原形をとどめており、草刈り整備がされていて、その形がとても良く分かった。
6/29は、翌日の羅臼岳登山の移動日で、野付半島に寄ってみた。フラワーロードの一面に咲くエゾカンゾウの大群落は見事だった。一番の見所のトドワラは、徐々に朽ちて規模が小さくなっているのを感じた。これで3回目であるが、タンチョウツルを目にしたのは初めてである。
6/30は、雨で羅臼岳登山を中止にした。この後、斜里岳登山も計画していたが、7/2まで雨予報である。そのまま帰路に就くのはもったいないので、予てよりぜひ訪れてみたいと思っていた清里町の「神の子池」を中心に、その近郊の東オホーツクと言われる網走市以外の斜里町・清里町・大空町・美幌町の景勝地巡りをして、鹿追町の道の駅まで走った。
新型コロナがなければ、「みちのく潮風トレイル」の歩き旅に出ていたのだが、ようやく、道内で車中泊旅を楽しむことができて、欲求不満が解消した。それにしても、観光地や道の駅は、今頃は本州ナンバーの車や外国人で賑わっていただけに、寂しい感じだった。それでも、本州ナンバーの車も目に付くようになっていた。次の旅の予定は、梅雨明けの「東北百名山」巡りかな?