癌春(がんばる)日記 by 花sakag

2008年と2011年の2回の大腸癌手術
   ・・・克服の先に広がる新たな春を生きがいに・・・

砂崎海岸・砂崎灯台(森町砂原)

2020年07月18日 | 花・紅葉だより

 SHOさんからのお誘いで、砂原岳の新ルート開拓となる北面直登ルートを登るつもりで出掛けた。このルートには、昔は砂原駅からの登山道があったようだ。

 しかし、低い雲に覆われ、藪が霧雨で濡れていたので、取り付き地点となる弥右衛門沢川右岸に続く砂防ダム工事用道路の入口だけ確認して、登山は止めにした。

 そのまま帰るのはもったいないので、一度訪れてみたいと思っていた、森町砂原地区にある景勝地・砂崎海岸と砂崎灯台へ向かった。

 「砂崎海岸」は、釣りのスポットや海浜植物・バードウォッチングの観察スポットとして人気が高い。特に、北海道でも稀にしか見られない猛禽・シロハヤブサ(希少種)の飛来地として有名な場所らしい。

 「砂崎灯台」は、砂浜に建つ珍しい灯台で、美しい駒ヶ岳(砂原岳)をバックに佇む姿は写真愛好家にも好まれているとのこと。

 灯台まで道はあるが、砂に埋まってJAFを要請したという人もいるので、前の方に停めて、歩いて向かった。

 入口は船のハッチのような感じ。もちろん施錠されている。

 昭和27年初点・・・まだ現役で稼働している。「砂埼灯台」となっている。

 低い雲に覆われている砂原岳

天気が良いと、このように見える。(他サイトから拝借)

<目に付いた海浜植物>

ハマナスの実も色付き始めている。

ハマヒルガオ

ハマボウフウ

エゾツルキンバイ

ノハナショウブ

 ハマエンドウ

MAP


代わりの中古車見つかる

2020年07月17日 | 日常生活・つぶやき

(同じ年式のパールホワイトの中古車の画像を中古車サイトから拝借)

 30万km以上走破したこれまでの車の5回目の車検の見積もりが52万円・・・ビックリ! やむなく乗り捨てることにして、ディーラーに同じ年式のエクストレイルの中古車を探してもらっていた。

 同じ年式にこだわったのは、後部がフルフラットになり、後部座席も外せて広く使えること、ネットで安く購入したばかりのスタッドレスタイヤやこれまでのいろいろな装備もそのまま使えるからである。これまでのような車中泊での山旅や歩き旅などを、最低でもまだ5~6年は続けたい・・・。

 こちらの希望は、走行距離が10万km未満、予算は100万円以内ということを伝えておいた。自分の車の乗り方を良く知っているディーラーの担当者は、「10年以上経過している同じ年式の車なら、北海道の車は止めた方が良い。融雪剤の上を走っていない本州の車を探してあげる」と言ってくれた。

 今夕になって、「今日のオークションで落としました。同じ年式の8万7千kmしか走っていない、名古屋の車です。色はパールホワイト。傷はないことになっていますが、もしあったとしてもすべて補修します。車検も上げて、前の車の下取り分を引いて、諸手続き費用も含めて、税込みで107万円になりますが、いかがですか?」とのこと。

 多少予算オーバーだが、融雪剤の上を走っていないであろう名古屋の車ということでOKを出した。前の車はあちこちに傷や凹みもあり、ハッチバックに大きな錆も上がっているので、それがないだけでも十分である。

 色がホワイトなのは、林道走行で、泥の中を走ったり、周りの枝を擦って走ることの多い自分には、不向きだが、贅沢は言っていられない。気を付けて走るしかない。

 ただ、名古屋から運ぶので、あと10日間ほどは要するという。待つ分だけ、楽しみも増える。ナンバーも好きな数字を選べるというので、今までと同じ番号をお願いした。 


愛くるしい訪問者と愛くるしいアジサイの花

2020年07月16日 | 花・紅葉だより

 我が家の今が盛りの花々を階段の上から見下ろす。

 この花の中のラベンダーに、毎年、愛くるしい訪問者たちがやってくる。多いときには10数匹になることもある。

 この訪問者はマルハナバチの仲間である。世界には250種、日本だけで15種もいるという。

 一番多くやってくるのが、尻が白いのが特徴のセイヨウオオマルハナバチ。

 蜜を吸っているのだろうが、コロコロした姿で、瞬時に蜜を吸っては次々と落ち着きなく移動する姿は非常に愛くるしい

  次に多いのがエゾコマルハナバチの雄・・・見事に花の中に口を差し込んでいる。

 これは、北海道にしかいないマルハナバチらしい。

 今年新しく仲間入りした、初めて目にした、ハイイロマルハナバチ? 上の2種類より、体が2回りほど小さい。

 

 愛くるしいと言えば、アジサイの花の作りも良く見ると可愛い

これはガクアジサイだが、周りの4枚の花弁のように見えるのが、「装飾花(そうしょくか)」で、これはガク片である。

その中心部にびっしり付いている丸いのが「真花(しんか)」の蕾で、青く開いているのが花である。これも愛くるしい姿である。

なお、装飾花の中心部にポツンとしたものも蕾らしい。しかし、これが咲いたのは目にしたことがない・・・?

「真花」のアップ・・・雄しべと雌しべらしいものが分かる。

これは、普通のアジサイだが、これも花弁のように見えるのが「装飾花」で、中心部のポツンと丸いのもの蕾らしいが、これも咲いたのは見たことがない。

しかし、ガクアジサイのような中央部にたくさん集まっている「真花」に当たるものは見当たらない・・・そこで、調べてみた。

 調べてみたとおりに、装飾花をかき分けてみたら、ありました・・・これが「真花」・・・初めて発見! 知らなければ、装飾花の陰で、絶対に目に触れる花ではない。 


北海道新聞『笑顔』に掲載 & 柳月「夏結び」

2020年07月15日 | 日常生活・つぶやき

   

 本日の北海道新聞道南版のページに連載されている『笑顔』というコーナーである。

 先週の土曜日に取材を受け、写真は、リュックを背負って家の前で撮ったものである。

 取材の意図は、5/15恵山で行方不明になったままの佐藤晶君の、民間有志による6月7日に行われた捜索活動の指揮を執ったことが中心だった。しかし、実際は、これまでの登山歴や魅力等についてに多くの時間が費やされた。

 「新日本百名山」というのは、中高年登山ブームの先駆けを作ったと言われる、登山家の岩崎元郎氏が、中高年が登り易い山という点を加味して選定した日本の百山である。日本百名山(深田久弥の選定した山 )が、52山含まれている 。

 「新日本百名山・恵山を登る会」というのは、その岩崎元郎氏が、2005年に来函した際に、自然倶楽部の鎌鹿さんが中心となって、講演会と記念登山会を計画した。そのときに実行委員長を仰せつかって、地元の登山愛好者の協力の下、その準備や当日の実施に当たったことがきっかけで発足した会である。

 会の主な活動は、恵山支所主催の春と秋の「恵山・海向山登山会」のガイド、自然保護活動や登山道整備、恵山観光の振興に関する活動である。

 これで、山での行方不明事件の有志による捜索活動を仕切るのは、2014年の山仲間でもあった故齋藤博敏さんの冬の毛無山のとき以来2回目である。今回の恵山の捜索も、その時のメンバーが核となっている。

 今回は、たまたま恵山だったので、この会の代表という立場で捜索活動を計画し、捜索メンバーを募ったが、これが、恵山でなくても、函館近郊の山だったら、やはり、自分と鎌鹿さんがが中心となって捜索活動を計画し、指揮を執ることになったものと思われる。

 「恵山を登る会」も、過去2回の捜索も、すべて、これらの事務局長を司る自然倶楽部の鎌鹿さんに担ぎ出された結果であるのだが・・・(笑)。

 記事の最後には「なんとかして早く見つけてあげたい」と書かれているが、ヘリコプターも動員した警察・消防・自衛隊による延べ600名もの捜索のあと、その手の入らなかったところで最も可能性の高い、岩場や急斜面のある東斜面の樹林帯を自分たちが行った。それでも発見できなかった。はっきり言って、あとどこを捜せばよいのか見当もつかないというのが本音である。

 そんなこともあり、今後は我々も計画的・組織的な捜索活動を組めないでいる。警察でも、普通の行方不明事件としての扱いで、今後の捜索は行わないとしている。メンバーには、気になるところがあったら、何かのついでで良いので、捜してほしい・・・しかし、自分たちが捜索の対象になるようなことだけは絶対に避けてほしいとお願いしている。

 ◎新日本百名山・恵山~岩崎元郎さん講演会/記念登山会(2005,9,27~28

◎有志による恵山の捜索「残念!思い天に届かず・・・」(2020,6,7)

 <追記>今日のニュースによると、手掛かりがないまま2か月が経った今日、警察は事件を風化させないために、約20人態勢で登山道を中心に捜索するとともに、登山者にチラシを配り情報提供を呼びかけたらしい。→https://www.fnn.jp/articles/-/63028

柳月「夏結び」

 妻が、この風呂敷が欲しくて、ネットで注文した柳月の夏の特製贈答詰め合わせ「夏結び」(3600円)

 最近は、あちこちでレジ袋が有料になったこともあり、風呂敷が見直されているという。

 中味は、柳月のお菓子の詰め合わせである。

 風呂敷は、帯広、札幌、小樽、美瑛、函館の風景がデザインされているようだ。


3店目の正直なるか?「らーめん初代 一縁」

2020年07月14日 | 食べ物

 良く、同じテナントに次々と開店するが、まもなく閉店・・・それを繰り返すところが結構多い。

 我が家から歩いて10分も掛からない田家町の函館聾学校斜め向かいに、これでラーメン店だけでも3店目となる「らーめん初代 一縁」が6月17日にオープンした。

 もともとは喫茶店として新築オープンしたテナントだったが、その後、「麺 ZERO ONE」と「麵屋 しゃかりき」と続き、それぞれ2~3年で営業を終えている。果たしてそのジンクスを打ち破り、3度目の正直なるか?それとも、2度あることは3度あるか・・?

 これまでの店は、ここでの新規オープンだったが、今度の「らーめん初代 一縁」は、ラーメンの激戦区・赤松街道の桔梗町からの移転オープンである。2年半ほどの実績を引っ提げて、これまでの2店がダメだったことを知っての挑戦?なので、期待したいところでもある。

 これまでの2店は、新規オープンだったこともあり、チラシなどでの宣伝は多かったが、今回は移転オープンということなのか、そのようなこともなく、気が付いたらオープンしていたという感じだった。

 これまでの店も、家から近いこともあり、2~3度ずつは訪問しているので、今回も初訪問となった。入口の暖簾が、すでに後ろ向きだったことを気にして入店。入店すると、店員が迎えて、手のアルコール消毒をさせられた・・・ストップ・ザ・コロナ!

 前もって、ネットでメニューを見て、自分は辛味噌らーめん、妻は台湾まぜそばと決めて行ったが、入店した途端に鼻に入ってきたカレーの匂いがとても美味しそうだったので、辛味噌らーめんをカレーらーめんに変えて注文。

 カレーらーめん(880円)は、スープにひき肉がたくさん入っていて、とても美味しく、スープも全部飲んでしまったくらいである。(※画像は、一口食べてからの撮影になってしまった)

 台湾まぜそば(850円)も、専用の太麺で、にんにくも利いて、味も濃くとても美味しかった。これに、追い飯が付いて、最後は混ぜて食べた。

 ただ、昨日の17:30過ぎの入店だったが、出るまでほかの客は誰もいなかった。これまでの店では、そのようなことはなかったことと、2つの注文の出てくるまでの時間のずれが大きかったことが気になった。しょっぱなから心配になった初入店だった。


墓参り & 「こうれん」

2020年07月13日 | 日常生活・つぶやき

 函館のお盆は7月である・・・とはいっても、厳密には周りの市町村と合併前の旧函館市といった方が正しい。旧湯の川村、旧銭亀沢村、旧亀田市、旧戸井町、旧恵山町、旧椴法華村、旧南茅部町のお盆は8月の旧盆である。

 7月になったのは、市を挙げて行う函館八幡宮の祭典が8月にあるためである。ごちそうを作って親戚一同が集まる函館八幡宮のお祭りと、同じく祖先の霊を迎え、供養するお盆はとても一緒にはできない。そこで、大正6(1917)年から新暦7月に行うようになったとのこと。

 先月根室に行ったが、根室市も7月がお盆である。北海道ではこの2市だけである。そのわけは、ネット上で調べても不明である。高田屋嘉兵衛が創設した根室市の金刀比羅神社の例大祭が8月9日~11日であることと関係があるのだろうか?

 さらに、面白いのが、函館の7月のお盆には、付きものの盆踊りがない。同じ7月の根室は大々的に盆踊りを中心としたお祭りのような行事で盛り上がるらしい。旧函館地区では、8月1日~5日の函館港祭りに合わせて、町内会などで櫓を組んで、盆踊りのように踊る「港踊り」である。

 したがって、函館で生まれて、旧大野町で育った自分は、墓参りは7月に函館で墓参りをして、8月には、「北海盆唄」を中心とした盆踊りを踊ったものである。東川町界隈で育った妻は、盆踊りの経験はなく、「港踊り」だけである。

 ・・・ということで、今日は、墓参りに行ってきた。妻の実家の墓と、自分の家の墓は、立待岬手前の 函館市営住吉町共同墓地内にあり、それも、20m位しか離れていないので、とても好都合である。

 この時期、立待岬までは通行止めになるので、谷地頭の奥から歩かなくてはならない。昨日の登山の疲れが残っていて、墓までの坂道が珍しく辛かった・・・。我が家の墓へ行ったら、アジサイが1輪供えられていた。親戚でもこの墓を知っている人はいないはず・・・もしかしたら、住吉町に住んでいる父方の祖母の親戚かも知れない。子供のころ、祖母に連れられて遊びに行ったことがあるだけだが・・・。その祖母の墓も隣にあるが、アジサイは我が家の墓の方に供えられていた。

 

◎「こうれん」

 いつも、上ノ国の道の駅へ寄るたびに買ってくるのが、ほかでは目にすることもなく、聞きなれない、この「こうれん」である。先日の道の駅巡りでも買ってきた。

 「こうれん」とは薄い直径13cmほどの薄く伸ばした固い干し餅である。漢字では、「粳練」と書く。もともとは「粳(うるち)米」を粉にしてもち米を混ぜて練って作っていたことから「粳練(こうれん)」と呼ばれるようになったという。現在は、もち米のみで作られている。

 しかも、上ノ国だけでなく、江差や厚沢部などの檜山南部地域の農家に伝わる干し餅である。主にお盆のお供えにするため、5月から7月頃にかけて隣近所が集まり作っていたらしい。 もち米に砂糖、塩、ごまを混ぜて練り上げた餅を薄く伸ばし、天日で干して作る。

 食べ方は、油で揚げたり、オーブンで焼くとふくらんでサクサクとした食感になる。我が家では、もっぱら、油で揚げて食べる。ほんのりとした甘さの素朴な味わいに懐かしさを誘われる。


11年ぶりの白水岳~3年越しの登山道再開削ゴールにお付き合い

2020年07月12日 | 登山・旅行

 11年ぶりに整備された白水岳頂上~下にぶら下がっている標識は今回新調したもの。

 この白水岳(1136m)は、遊楽部岳の南に連なる山で、熊石山歩会が1992年に登山道を開削した「道南アルプス」の白水連峰の主峰である。頂上はせたな町と八雲町の境界線上に位置する。しかし、熊石山歩会の高齢化による解散で、2009年の刈り払い整備を最後に廃道と化し、ネマリダケの藪に埋もれてしまい、『夏山ガイド』からも削除されいた。自分はその間、4回登っている。

 しかし、ヤマレコやヤマップで結びついた函館を中心とした「チーム他力本願」のメンバー全員が、この白水岳に登っていなかった。そこで、一昨年、地元メンバーも巻き込んで「白水岳に登り隊」を結成して、自分たちが登るために登山道を再開削しようと立ち上がった。そして、延べ15回もの活動で、ついに、今日頂上に到達した。自分がお手伝いをしたのは一昨年の2回と、今日の3回だけである。

 一番奥の頂上に到達するには、地図に山名表示のない白泉岳、南白水岳、中白水岳の1000m超ピークを越えていかなければならないタフなコースである。今回も11年ぶりに5回目の頂上を踏んだが、帰りの何度も繰り返される急な登り返しが辛かった。

GPSトラックログ

<登り>6:00登山口~8:20白泉岳~9:00南白水岳~9:30中白水岳~10:00頂上30m手前~(開削整備)~10:40頂上到着(刈り払い整備・昼食)

<下り>11:30頂上~(中白水岳コル付近・白泉岳から8合目までの再整備)~16:30登山口

「チーム他力本願」の登山開始時の「イクゾ~!」の儀式。今回の参加者は40代を中心とした9名。

白泉岳5合目を越えて阿吽の滝まで下り、途中まで滝を登り、右の急なロープ場を登る。

 白泉岳8合目(この白泉岳をゴールとする合目標識は、八雲町の地元メンバーが昨年設置)

熟していたノウゴウイチゴ・・・美味しかった。

 白泉岳に新しい標識を設置。ここまでの登山道は、今後も八雲町の地元メンバーで整備されるようだ。しかし、ここから先の白水岳までの整備は多分これで終わりだろう。自分が一昨年手伝ったときはここまでだった。 

 鋭くとがる南白水岳の前峰への登り

タカネトウチソウ。このほかにエゾカンゾウ、トウゲブキ、チシマフウロなどが目に付いた。

 南白水岳の古い標識をペンキでなぞる。

 ここにも新しい標識が設置。

中白水岳から先の前回再開削された登山道。

 4時間で、3台の草刈り機と3丁の熊手がデポされていた頂上30m手前の肩に到着。

 頂上までの30m・・・最後の刈り払いに取り掛かる。

ここでも、古い頂上標識をペンキでなぞる。

 頂上の整備作業を終えて、集合写真を撮って、昼食タイムとなる。

 下りも、粗刈り状態だった中白水岳とのコルから中白水手前までの仕上げ作業をする。

 一昨年の刈り払い後にササが覆いかぶさっていた白泉岳から8合目付近までの整備作業をしながら下る。

 16:30、10時間30分もの行動で、無事登山口到着。一昨年6回、昨年6回、今年3回、合計15回もの活動でついに頂上まで到達することができたメンバーは、感慨一入であろう。どの顔も充実感と満足感に輝いていた。

 登山口の下にる「八雲遊楽亭 熊石ひらたない荘 あわびの湯」に入って、汗と疲れを落して、17:30帰路に就いた。この「チーム他力本願」メンバーは、全員が自分の「道南全山219座完登」にも駆け付けてくれて、先月の「恵山の捜索活動」にも参加してくれている。自分としても、40代が中心の元気メンバーと一緒に、遅れることなく行動でき、彼らと快挙の喜びを共有できたことに満足感が大きい。

 ※この登山道は、白泉岳までは、今後地元八雲町のメンバーにより、整備が続けられる可能性は高いですが、それより先は、この先整備される予定はないです・・・登るなら、今年と来年がチャンスです!

 ◎過去の4回の白水岳の山行記録(クリック!)※展望も見られます。

 ◎hiromiさんの「ヤマップ」 ◎wajiさん中心の「ヤマレコ」 ◎Junさんの「道南登山単独行」


函館最古の漁村風景の面影を残す入舟町界隈探訪

2020年07月11日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ

 昨日の厳島神社のあと、入舟町界隈もMTBで回ってみた。入舟町は、昭和40年7月に当時の山背泊町全部、旅籠、台場、大黒、天神、弁天町の各一部が合併され、新しくできた町名である。この界隈は、函館の歴史の中でも古くから居住地として拓け、最初に漁村集落が形成された地域である。

 特に旧山背泊町は、昔から山背泊と呼ばれ、函館で最も古い漁村で、函館漁港(入舟漁港)は函館最古の港である。昔は船入澗と呼ばれていたようだ。今でも函館山裾の狭い海岸沿いに軒を連ねた家並みに当時の面影が残る。いつ頃から住み着いたのかは不明だが、新潟県出身者が多いという。

 厳島神社の道路を挟んだところに建つ「弁天台場の説明版」~江戸幕府が安政3年(1856年)~文久3年(1863年)にかけて、外国船襲来に備えて、箱館湾沖に設営された台場。弁天岬台場、弁天砲台ともいう。設計者は五稜郭と同じ武田斐三郎。

 しかし実際に使用されたのは箱館戦争という内戦においてだった。箱館戦争終盤の函館湾海戦において、新選組が中心となった旧幕府軍はこの台場にたてこもり奮闘したが、箱館市内が新政府軍によって占領され孤立。明治2年(1869年)5月15日、本陣五稜郭に先立って弁天台場は新政府軍に降伏した。

 明治30年頃に取り壊され、現在は函館どつく入口前に碑が建つのみとなっている。なお使われていた石材は函館漁港(入舟漁港)の護岸に使用されている。

 そのそばに建つ「新選組最後の地」碑~新選組が中心となった旧幕府軍はこの弁天台場にたてこもり奮闘したが、新政府軍に降伏。

 旧町名碑「台場町」~「台場町は、明治32年(1899年)に設けられた町です。函館港の改良工事による埋め立てによってできた5町(小舟町、帆影町、仲町、台場町、新浜町)の一つで、弁天台場の跡地であったことにちなんで付けられた町名です」と彫られている。ほかの4町の旧町名碑はない。

 旧町名碑の向かい側は函館どつくの敷地となっている。古いレンガ造りの倉庫が目を引く。

 函館漁港(入舟漁港)~現代土木の父と呼ばれた広井勇氏が設計・監督した、明治29年の石積防波堤を修復・保全しながら改良し、防波堤が新しく生まれかわった。この石積防波堤の一部には、幕末の戦い・箱館戦争の拠点となった「弁天台場」の石が使用されている。

 函館でイカの水揚げは函館港とこの入舟漁港で行われているが、水質の良さから活イカは入舟漁港を中心に水揚げされている。

 「函館港改良工事紀念」碑~「明治29年6月起工、明治32年4月建立」と彫られている。これが、広井勇氏の設計・監督した工事である。

 平成25年に、どつくの方へ向かって、古い石積防波堤の上に嵩上げ工事がされいる。

 明治時代のままの石積防波堤と古い灯台。現在はこの先にも広い漁港が造られている。

 旧町名碑「山背泊町」~「江戸時代から山背泊と呼ばれていた所ですが、明治5年(1873年)に山背泊町になりました。「やませ」は「東風」、「とまり」は「泊」のことで、東風は服と船は港には入らず、ここの船入澗に仮泊下と言われています。」と彫られている。

 車1台がようやく通れるくらいの昔のままの狭い路地のような家並みが続く。

 この手前に、函館漁業協同組合入舟支所があるが、3年ほど前までは、漁協婦人部が「入舟番屋」という食堂を営業し、活イカのいか刺し定食を提供して評判だったが、昨年からは不漁のため、営業していないのが残念である。

 「てんこの坂」~ここを登れば、名前の由来となっている旧天光稲荷(現入舟稲荷神社)の前を通り、高龍寺の前に出る。

 いにしえの漁村風景が残る家並みで、個人的には、非常に好きな光景である。

 狭い家並みを抜けると海岸に出る。この辺りは前浜海水浴場となる。

 さらに進むと、行き止まりになっている。この先は穴澗へと続く。左は石切り場跡だが、ここから切り出された石は、五稜郭、弁天台場、函館山要塞の石垣に使われたらしい。

 この先の穴澗岬の陰には、昔は吊り橋があって、その奥に寒川があった。現在はその吊り橋はないので、跡へは、山を越えて裏側の寒川海岸へ下りるしか方法はない。その「寒川跡の探訪記録」は、下記でどうぞ!

 2019,1,3(穴澗神社参拝路~穴澗砲台跡~山背泊コース~寒川海岸~寒川跡~寒川コース~千畳敷コース~穴澗神社参拝路)

 2016,3,21(鴬谷コース~寒川コース~寒川跡~穴澗裏側~山背泊コース~入江山~旧登山道~汐見コース)


艶っぽい道祖神?に惹かれて厳島神社参り

2020年07月10日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ

 市電の函館どつく前電停そばにある厳島神社・・・古くから海の守護神として、海上の安全を祈願する漁業者や商人から信頼を得ている。函館山七福神の神社で「弁財天・恵比寿堂」がある。

 この神社を訪ねる気になったのは、境内には寄進された古くて貴重な遺物が多いこと、特にその中で、興味を抱いたのは、歴史の浅い北海道ではほとんど見られない道祖神らしきものがあり、それも、珍しい形をしているということだった。

 天候も良いので、MTBに跨って、サイクリングがてらこの厳島神社と入舟町界隈を巡ってきた。

 この神社の創建は江戸時代前期といわれ、以前は弁天社と称されていた。弁天社は1871(明治4)年に市杵島(いちきしま)神社と改められ、のちに厳島神社と改称された。

 何度か場所を変え、一時は海中に島をつくって祀った時代もあるらしいが、幕末に現在地に移っている。現在の建物は1907(明治40)年の大火後、大正時代に建てられたもの。現在、目の前には道路があり、路面電車や多くの車が走っているが、古地図を見ると、神社の前は海だったようだ。海上の安全を祈願する船乗りたちのため、陸に背を向け海に向いて建っていたことがわかる。

 境内に入ってすぐ右手には、龍と鷹?が設置された手水石鉢・・・これは文政6(1823)年寄進と彫られている。願主 伊達氏 栖原氏とあり、当時の場所請負人の名前らしい。

 左手には、昔の錨と、なぜか92式7粍7機銃留式7.7mm機銃)が祀られている。台座には、「港祭記念昭和十年七月一日」とあり、寄進は、「函館西部共助会料理屋一同」となっている。

 鳥居手前の右にある、天保9年(1838年)寄進の手水石鉢・・・「大坂 昆布屋 回舩中」と彫られているところを見ると、大阪の昆布商人の廻船主が寄進したものであろう。

 1837(天保8)年に加賀の廻船主たちが寄進した鳥居

 鳥居の右横にある、1854(嘉永7)年、海上安全のため奉納された「方位石」~寄進者は「當所大町 米屋平松 金膳丸喜左衛門」となっている。

鳥居を潜ると、左側に、今回の一番の目的だった道祖神?~稲荷社~弁財天・恵比寿堂と3つの社が並ぶ。

 今回、この神社に来るきっかけとなったのは、この「道祖神?」だ。双胴体神の和合像もあるくらいだから、道祖神と言われても不思議はない。

 本州の旧街道歩きでは、いやというほど目にする道祖神だが、村境や辻に多く祀られ、疫病や悪霊の入り込むのを防ぎ、地域の人々を守る神様とされ、「道の神」として多くの旅人の信仰も厚かった。また、自然石のご神体から双胴体神の和合像などがあり、「縁結びの神」「生産の神」として崇められてきた。

 これが道祖神なら、妙に艶っぽいし、ピカソ的な?芸術的デフォルメが気になる。良く見ると、どちらも女性のようにも見えなくもないが・・・?

 そこで、社務所に入って、宮司さんに聞いてみた。「日吉町の人が、家を建てようとして、基礎を掘ったら、出てきたもので、形が神仏関係っぽい感じがしたので、捨てるわけにもいかず、この神社に持ってきたそうです。当初は境内の隅に転がしておいたが、ある時にスポーツ新聞にこれと似た感じの道祖神が掲載されていたので、もしかしたら、これもそうなのではないかと思って祀り直しました。これが出た辺りは、昔の湯の川村と函館市の境界付近なので、その付近に道があって、そこに祀られていたのかも知れませんね。」とのこと。この厳島神社では安産や縁結びの神として祀っているとのこと。

 なお、左のものは、動物や鳥が彫られているようだが、宮司さんも何か不明とのこと。

 弁財天・恵比寿堂の中の弁天さんと恵比寿さん

 あまり目にしたことのいない珍しいタイプの狛犬・・玉乗りタイプというらしい。慶応4(1968)年、北前船主の奉納。

 天水桶(雨水を貯める桶)・・・、「明治35年8月 寄進人 高岡市金屋町 金森・・・」とある。高岡は鋳物の産地なので、そこの鋳物師の作例であろうか?

 自分が一番見たかった道祖神以外の、これらの多くの遺物の寄進主や年号を見ても、古くから海の守護神として、地元漁業者のみならず、北前船関係の松前をはじめ、遠くは北陸、大阪などの商人の尊信を得ていたことがうかがえる。

※このあと巡った「入舟町界隈探訪」は後日紹介予定。


スズムシソウ狙いの西円山

2020年07月09日 | 花・紅葉だより

 これは、オオフガクスズムシソウ?

 スズムシソウ(鈴虫草)はラン科クモキリソウ属の植物。和名は花の唇弁がスズムシの雄の羽に似ていることによる。

 実は、この花はこれまで目にしたことがなかった。たまたま、砂原岳登山道(望洋の森コース)の西円山分岐手前付近で、6月下旬に多く見られるということを知った。時期的にやや遅い心配はあったが、ダメもとで出掛けてみた。しかし、まだ待っていてくれた・・・ラッキー!

 この山域には、スズムシソウ(セイタカスズムシソウ?)とオオフガクスズムシソウの2種類があるという。オオフガクスズムシソウは、花の形はスズムシソウとは似ているが、色は紫褐色で濃く、全体に小さい。側萼片は広線形で横に伸び、側花弁は線形で下垂する。唇弁は強く巻き込み、中央に濃い暗紫褐色の紋が大きくて目立つ・・・とのこと。フガク(富岳)は富士山の麓で発見されたことによるらしい。

 見たときには、この2つの違いは良く分からなかった。しかし、帰宅後にカメラに収めてきたものを、落ち着いて良く見たら、下載の2種類に分類できそうな気がする。果して、合っているかどうか?

 

<スズムシソウ(セイタカスズムシソウ?>

 上の2枚は、下の林の中で見つけたものだが、こちらがスズムシソウなのか・・・こちらの方が、スズムシの羽に似ている。

 

<オオフガクスズムシソウ>

この2枚とトップ画像が、オオフガクスズムシソウ

 これも、緑色のオオフガクスズムシソウとのこと(エゾクモキリソウともいう)

 

クモキリソウ

 

ツレサギソウ

 

 もう終わりかけのベニバナイチヤクソウ

 

 そのほかに目に付いた花々

(左上)イワギキョウ、(右上)ヨツバヒヨドリ、(左下)タルマエソウ(イワブクロ)、(右下)エゾスカシユリ

(左上)シラタマノキ、(左下)ハクサンシャクナゲ、(右上)ミヤコグサ、(右中)シロバナニガナ、(右下)ハナニガナ

 

 西円山(544m)と砂原岳(1112m)の分岐まで行ったら、西円山から3人連れが下りて来た。昨年、隅田盛で会った高校時代の同期のTa君ご一行だった。砂原岳を目指したが、飛ばされそうな強風で戻ってきたそうだ。

西円山山頂から砂原岳を見上げる

 昨年この崖を越えて砂原岳に登った、テントウ沢源頭部と砂原岳北西尾根

砂原岳4.5合目付近から、西円山と噴火湾を眺める

砂原岳4.5合目付近から森町市街地と噴火湾を見下ろす。

 9:00登山口~10:15分岐~10:25西円山10:30~10:40砂原岳4.5合目~11:35登山口

花を探しながらの歩きだったので、ゆっくりペースだった。トータル2時間35分。

帰りにちゃっぷ林館で温泉に入り、ワンコインランチを食べて、帰路に就いた。

◎過去の山行記録~17,10,6「西円山下見登山」  15,8,23「西円山~砂原岳


アジサイの季節到来

2020年07月08日 | 花・紅葉だより

 一昨日のブログのアクセス急増現象は、今朝になっても、昨日の訪問者は2900uuもいて、普段の倍近くあって、順位も52位となっていた.。何かのトラブルではなかったようだ。昨日も1番人気の記事は、この「車検」の記事だった。

 しかし、「車検」関係の記事ひとつで、これほど一気にアクセスが増えるのも凄い・・・確かに、コメントも非常に多かったところを見ると、多くの人が関心を持っていることが分かる。

 代わりの中古車を探してくれると言った担当者からの「見つかりました」「これでどうですか?」というような連絡はまだない。ネットで検索すると、たくさんヒットするが、価格もまちまちでどれを選んでよいのか見当もつかない。やはり、今までのこちらの車の乗り方を知っている担当者にお願いするのが一番だと思っている。

 

 さて、北海道も「蝦夷梅雨」と呼ばれる、悪天候が続いている。本州では、梅雨に似合う花と言えば、アジサイが挙げられる。我が家の庭にも、2種類のアジサイが色づき始めた。色が赤いままのアジサイと、ガクアジサイである。

 良く、酸性の土のもとでは紫陽花は「青い紫陽花」になり、酸性以外の土(中性、アルカリ性)では「赤い紫陽花」になると言われている。本来紫陽花というのは「赤い紫陽花」で、酸性になることで「青い紫陽花」に変化するらしい。

 しかし、我が家のは、ガクアジサイと隣り合わせに生えているのだから、ガクアジサイの色も赤っぽくなっても良さそうなのに、こちらは青っぽい色になる・・・この赤いアジサイは、そういう種類なのだろうか?


アクセス急増 & 著書恵贈

2020年07月07日 | PC・HP・ブログ

 昨夜は、12時間も爆睡した・・・元プロスポーツ選手だった妻が見かねたのか、寝る前に念入りなマッサージをしてくれたお陰で、両腿の疲れはあるが、筋肉痛もなく、爽やかな朝を迎えた。食欲も元通りに戻っていた

 昨日の不調は、最近、なぜか寝不足が続いていたことがあったのかもしれない。今日は、天候も良くなかったので、心おきなく休養に努めた。

 昨夜寝る前に、ブログを見たら、一昨日の「車検」の記事のアクセスがやけに多いことに気づいたが、何かの間違いだろうと、詳しく確認もしないで寝てしまった。

 今朝になって、昨日のアクセスを見てビックリ・・・最近は1300~1600uu前後で推移していた訪問者がいきなり7995uuに急増・・・順位も全体のベスト10に入っていた。

 これまでに、アクセスが急増したことはあるが、これまでに増えたことは初めてである。このブログの昨日の人気記事が「車検の見積もりにビックリ!・・・中古車への乗り換え」がトップなことや、昨夜見たときにこの記事へのアクセスがやけに多かったことからしても、この記事が急増の原因に違いない。

 しかし、それほど車検関係で検索する人が多いのだろうか?・・・しかも、この記事にヒットする?・・・これが、明日になって、普通に戻ったのなら、何かアクセス関係の間違いやトラブルかも知れない。

 

著書恵贈される

 10数年前に良くメールをいただいていた横浜市の越村さんという方から、数日前に懐かしいメールが届いていた

 ふと思い出して、拙サイトを覗いたら、その後のこちらの山行記録の増え方の凄さに驚いたこと、拙著の発行を知って、お買い求めいただいたということだった。さらには、ご本人も、その後、2冊の自費出版の本を出されていたとのことで、それらをお送りしたいので、住所を教えてください・・という内容だった。

 その本が、昨日届いた。1冊は『北海道にはまったサラリーマン』という本で、1984年の高校生時代に北海道へ初めて渡ったときから2007年までの北海道の山を中心とした記録をまとめたものである。頻繁に、北海道の山に関するメールをいただいていたのは、その頃だと思われる。今でも、北海道の山へは来ているようで、昨年で79回目になるそうだ。

 もう1冊は、『ALASKA Hiking紀行』という本である。2007年、2010年、2011年の奥様同行での紀行をまとめたものである。その後も、何度もアラスカには行っているそうだ。アラスカは、本当に広くて、自然がいっぱいで、氷河歩きや氷河を見ながら歩くのがとっても楽しとのこと・・・羨ましい限りである。

 まだ、読んではいないが、これからゆっくり楽しませていただこうと思っている。


城岱スカイラインヒルクライム第3弾のち大沼湖畔1周(65.7km)

2020年07月06日 | MTBロングライド・ヒルクライム

 城岱スカイライン最高地点(570m)から駒ケ岳を眺めて一休み

 前回(6/17)、最高地点まで行ったが、雨降られて戻った計画のリベンジである。今回は予定通りスカイラインを大沼側へ下り、大沼湖畔を1周して、大沼トンネルを潜って大野新道を戻った。

 走行距離は、今年最高の65.7kmだったが、朝の内は、山に雲が懸かっていたので、スタート時間が9:45と遅くなった。そのせいで、ヒルクライム部分が夏の太陽に照らされて暑さに参った。前回の54分というタイムはとても無理で、何度も休んで、最後の1.5kmほどは歩いて登った。これからのシーズンは、ヒルクライム部分は、朝の涼しい内でないと駄目なようだ。

 この疲れが最後まで祟った。帰りの大野新道の走りで、左脚の内腿が攣り、やがて右腿も攣るようになり、自宅までの最後の2.5kmほどは自転車を押して歩いてゴール。これまで、いろいろな運動をしてきたが、今までに経験のないほどの疲れだった。

 数年前には城岱スカイラインを下りて、駒ケ岳をぐるっと回って100km超えを経験している。その時より、ずっとダメージが大きい。

 函館新道の側道の大川IC手前から、城岱スカイラインの走る尾根を眺める。

 城岱スカイライン入口。ここまでは、これまで最速の50分で到着。バナナを1本食べて、10分ほど休んでヒルクライム開始。

 途中から北海道新幹線の新函館北斗駅(右)と車両基地(左)を眺める。

 後ろから挨拶をして、追い抜いていくロードバイクの男性。これまではいずれも平日だが、毎回ロードバイクで登る人に出会う。

 この後、2回道路脇で、仰向けになって休んだ。2回目(展望台まで1.5km)の時は、100mほど下にいた道路工事のガードマンが心配して、そばまで歩いて来て「大じょうぶですか?」と声を掛けられた。心配かけて申し訳なかった。ここからは、最高地点まで歩いて登った。

 城岱牧場展望台・・・今回はここには寄らなかった。

 最高地点の手前から函館山を眺める。右は放牧されている牛たち。

 最高地点から放牧されている牛たちを眺める。その奥下は国道5号線沿いの峠下地区。その奥の緩い尾根は、きじひき高原への車道が走る。

城岱スカイラインから下って軍川地区の道々大沼鹿部線の分岐へ出る。右が下りて来た道。ここから大沼湖畔へ向かう。

 今春、大沼地区の大沼小学校・軍川小学校・東大沼小学校と大沼中学校が統合して発足した、小中一貫校「大沼岳陽学校」の前を通る。

 大沼湖畔道路から駒ケ岳を眺める。

 東大沼キャンプ場・・・平日にもかかわらず10張り以上のテントがあった。一昨日の土曜日から昨日の日曜日は、かなり混み合ったらしい。

 国道5号の大沼トンネルの中~歩道が広くて走りやすい。

 峠下の交差点から、大野新道を走る。平坦な道路なのだが、疲れた足に向かい風が辛かった。

 清水川の交差点手前で左腿が攣りだした。休憩を兼ねて、遅い昼食に、ラーメン屋「福丸」へ入る。

 初訪問となった「麺や 福丸」

 うま辛白味噌合わせラーメン(980円)・・・不味かったわけではないが、疲れ過ぎたのか、胃がもたれていて、完食することができなかった。

 このあと、左腿の攣りは何度か繰り返したが、やがて右腿まで攣るようになった。休んでは伸ばして、だましだましペダルを漕いだが、ついに両足とも攣って激痛が走るようになった。産業道路の交差点の先から、自宅まで2.5kmほどはずっと歩いたままで帰宅した。

 帰宅後、昭和温泉へ行って、疲れを抜いたが、夕食は、ビールを半分ほど飲んだだけで、おかずにはほとんど口を付けなかった。「食欲がなくなったときは死ぬとき」が口癖だが、それだけ疲れが大きかったということであろう。

 このくらいの距離は楽勝だと思ったが、やはりヒルクライム部分の暑さが、老体には堪えて、最後まで尾を引いたようだ。次回は涼しいときに体調を整えて、リベンジに挑戦してみたい。


代車で松前半島ぐるっと・道の駅もぐもぐドライブ

2020年07月05日 | 街並み・歴史探訪・ドライブ

 次のX-TRAILの中古車が見つかるまでの代車は軽四のROOXという車である。思ったより中が広くて、走行感覚も悪くない。せっかくの日曜日なので、妻をエサで誘って、松前~江差をぐるっと回って「松前半島ぐるっと道の駅もぐもぐドライブ」に出た。

 今日のドライブのミッションは、途中の道の駅にすべて寄って、何かその町ならではのおやつを少し買って、食べながら・・・というつもりだった。すべての道の駅で、何か食べるものは買ったが、松前の道の駅で、昼食をしっかり食べたこともあり、食べきれずに、明日からのおやつとおかずになった。

 いつもは、何かのついでに寄る道の駅だったが、改めて、すべてに寄ってみたら、北斗市以外の町にはすべて道の駅(7ヶ所)があることが分かった。

道の駅みそぎの郷 きこない

ここで買ったのは、行列のできるパン屋・こっぺん道土(どっと)の「塩パンと明太子パン」、北島製パンの「北の豆あんぱん」・・・豆パンは食べずに持ち帰り。

 

道の駅 しりうち

 ここで買ったのは、「ニラクッキー」・・・これも食べずに持ち帰り。

 

道の駅 横綱の里ふくしま

 ここで買ったのは、「するめ」と「パリパリこんぶ」・・・するめは運転しながら食べたが、こんぶは持ち帰り。

 

道の駅 北前船 松前

 松前岩海苔は高くて買えなかったが、昼食に「松前海苔段々弁当」を食した・・・ボリュームがあり、腹いっぱいになった。

 

道の駅 上ノ国もんじゅ

 ここで買ったのは、安かった「高リコピントマト」2袋、かみのくに特産「こうれん」、アスパラとさやえんどう・・・すべて、持ち帰り。

 

道の駅 江差

 ここで買ったのは「五勝手屋羊羹」ミニサイズ・・・これもお持ちかえり。

 

道の駅 あっさぶ

 ここで買ったのは、「ココアソフトクリーム」・・・2人で1個食べただけ。

 家を10時に出て、帰宅したのは17時前・・・7時間ののんびりドライブを楽しんだ。

 今日は、2つの記事をアップ~「車検の見積もりにびっくり!・・・中古車への乗り換えへ」(この下にアップ済み)


車検の見積もりにビックリ!・・・中古車への乗り換えへ

2020年07月05日 | 日常生活・つぶやき

 平成21年に購入し、今回で5回目の車検である。昨朝、ディラーに持ち込んで、見積りをお願いした。

 担当者から「30万kmも走っているし、あちこちかなりガタが来ているので、部品を中古品で代替えするとしても、結構掛かるかも知れませんよ」と言われて覚悟はしていた。

 しかし、夕方に持参された見積書を見て、ビックリ!・・・30万円くらいは覚悟していたが、それを遥かに超える52万円。しかも、分解後に、まだ追加が出るかも知れないとのこと。部品交換だけで、数えてみたら25項目もあった。項目では、ブレーキ関係が一番多く、次が、サスペンション関係である。一番高い部品で、「ギア&リンケージ  ステアリング 119,900円」というのまであった。

 これまでも、6ヶ月点検も必ず受けて、その都度、必要な部品を交換してきたが、30万kmは人間でいうと90歳に相当するとのこと・・・前の車も27万kmでお陀仏だった・・・やはり、寿命ということか?

 担当者は、自分は今の車と同じ型でないとダメなこと、年齢的なことから、新車は絶対買わないことは知っている。向こうから「ちょっと見てみたら、同じ型の中古で、8万kmしか走っていない車で、110万円くらいのものがありそうですが・・・探してみますか?」と言ってくれたので、思わず「お願いします」と答えた。

 「色は何でも良いので、できるだけ、走行距離が少なくて、安いものをお願いします」と付け加えておいた。果して・・・?

 いずれにしても、ぶつけたり、こすったり、錆が上がっているところもあるが、愛着もあり、残念だが、今の車とはこれでお別れである。良くもまあ、酷使に耐えて頑張ってくれた。感謝・感謝である。とりあえず替わりの車が見つかるまでは、代車生活が続く。

  ◎11年前の新車納入時の記事~「来た来た!newX君」(2009年7月11日)