米軍普天間基地に配備された新型輸送機MV22オスプレイを、防衛省は本気で自衛隊にも導入するそうだ。「南西諸島など離島の防衛強化」をにらんだものだそうだが、さあ、いったい何に使う気だ。防衛省は「オスプレイの具体的な活用方法などに関する調査研究費500万円を13年度予算案」に計上するという。そんな金なんか使って何を調べる気だ。使い道さえわかっていないのに導入ありきで後付けに使途を探そうとしているのだろう。自民党は「対中国の抑止力という観点からも、導入すべきでは」と言っているそうだが、オスプレイが何をどのくらいできるか、わかっていないのだ。オスプレイはただの輸送機であり、他の部隊との連携なくして意味はない。どこに配置するかについても、沖縄である必然性を説明するのは至難のはずだ。こうしたことがとうに指摘されているのにマスコミも議会も無視しているのがこの国が根本的に腐っている所以だ。……安倍晋三はあらためて普天間移設問題について「基本的には辺野古に移設していく方向で地元の理解を得るために努力していきたい」と言う。ついでのように原発新設を認めない民主党の方針も見直すそうだ。仲井真沖縄県知事は「(県外移設を主張する)自民党県連とも違うのに、県連と調整もしないでどうやって地元の理解を得るのか」「私は、辺野古は事実上不可能だから県外移設を求めるという主張は変えない」とした。沖縄の自民党議員は党を離れてでも辺野古案を拒むために闘う気はあるのか? 沖縄防衛局は突如、補正した環境影響評価書を県に提出した。阻止する勢力を警戒してか、衆院選2日後、電話で突然連絡し、5分後に約20人の防衛局職員が県の担当課に押し寄せて評価書を置いていったという。辺野古移設ごり押しに繋がる卑劣な行為を許してはならない。この時期にこの暴挙は、民主党政権は何か置き土産のようなつもりなのか。愚かだ。補正評価書は、地元の反発を呼んだ「(移設に際し)環境保全上、特段の支障はない」の文言を削除し、「最大限の環境保全措置を講じる」との表記に改めた。この大きな「後退」を、知事も県民も許すはずがない。環境保全は不可能と認めるなら、潔く中止すべきだ。……沖国大の校舎から普天間基地に平然と並ぶオスプレイを見下ろしてきた。もう遠慮も何もない様子だ。辺野古や高江では学校の真上も平気で低空で飛んでいるという。腹立たしい。……沖縄から伊丹に戻り『星の息子』千秋楽にギリギリ間に合い立ち会う。伊丹に行くのに伊丹空港を使えずかなり移動に消耗する。関空から兵庫は遠い。今回の伊丹公演は圧倒的好評にもかかわらず年の瀬のせわしさゆえか当日キャンセルなども多く前日まで集客がたいへんだったとはいえ、さすがにラストステージは満席である。……小堀純さんと、大阪、演劇界、これからについての話。……劇場人としても大活躍している毎日放送の日高英雄さんと話していると、琉球朝日放送の高江を描いたドキュメンタリー『標的の村』のディレクター三上智恵さんは沖縄に来る前に毎日放送のアナウンサーであり、それじたい知ってはいたが、日高さんとも知り合いとわかり、世の中の狭さというか繋がりの濃さに驚く。日高さんと一緒になんだか嬉しくなる。……東京に戻るが息子は野球部の合宿で広島。かれこれ二十日近く顔を合わさないことになる。大学の野球部なのに広島では地元の高校生とも合同で練習をしているらしい。高校生といえば、『星の息子』岡山公演には母校・芳泉高校から演劇部の子たちが顧問の高見先生と一緒に来てくれた。私は演劇部ではなかったが、後輩たちである(写真)。男子学生は三年生、卒業後は関東に来るらしい。「選挙が終わり、今は憲法と教育がどうなるか恐くてたまりません」と、高見先生からのメッセージ。……沖縄・宜野湾では、「うまんちゅ大行動!御万人大行動」というパレードデモが敢行された。「御万人」は「五万人」を動員目標とするという意味ではない。「御万人」は沖縄語で「みんな」を意味するという。ちょっと感動する。
青年劇場が巡演している『普天間』を、いよいよ舞台になっている沖縄・普天間で上演するとなって、やはりその場に立ち会うべきではないかといろいろな人に言われ、自分でもそう思い、急遽二日だけ沖縄へ行くことになる。伊丹から神戸空港経由。細かいことはまたどこか別に書くが、行ってよかったと思う。普天間、つまり宜野湾市民会館での公演は、どう受け取られたのかは、今ひとつわからないが、終演時の拍手の鋭さに驚かされる。世代や考え方によっても受け取り方は違うはずだが、沖国大や爆音訴訟関係の皆さんらと一緒に上演のため尽力して下さった宜野湾市議の桃原功さんがこの劇を、「どの世代にもストライクに入ってきます!」とのこと。ありがたい。以前は心配していた伊波洋一元市長も喜んでくれた。……これから撮影される映画「ザ・思いやり予算」のリラン・バクレー監督を紹介される。そのカメラマンの高尾さんは高江の支援者でもある。劇場を出て、彼らとこの劇の登場人物のモデルにさせていただいた人達、いろいろな情報を提供してくれた人達と、一献。……宿はコザに移って、デイゴホテル。久しぶりに来た。コザのゲート前の通りは、ふだん米兵で賑わうはずの店が米兵の外出禁止令のため閑散としている。そのうちの一軒、マスターがインド系オーストラリア人という店で、情報収集。米兵の基地内での飲酒禁止措置は前日にこっそり解除されたそうだ。というか、どうせ基地内で飲まないはずがないと思っているよ、こちらは。……宜野湾では、あと、沖縄そば「島風」の手打ち麺に感動。……翌日は那覇公演。5月の憲法集会で私が講演したのと同じ会場。表に行列が続く(写真)。千七百人収容の会場を埋めるのは無理だが、メインの一階席は埋まった。こちらの実行委員会は弁護士の皆さんが中心。我が姻戚の皆さまも大挙来て下さる。高江から伊佐さんも。……終えて、沖縄五都市公演まるごとの打ち上げ。ものすごい人数。これも書き記していくと際限がない。いろいろな方々が応援し支えて下さったのだ。暖かい言葉をいただく。伊佐さんのみならず、『標的の村』QAB琉球朝日放送の三上智恵ディレクターも自局の忘年会二次会から移って来てくれたので、高江との繋がりも感じながらの夜更けであった。伊佐さんが「『高江』という題名の劇も作ってよ」と言いかけ、「あ、『星の息子』がそうか」。とにかく、またここからスタートだ。