郷土愛の強い岡山の方は読まないでください。
写真は、岡山駅の西口への地下道。
昔は新幹線の上部改札通路がなかったから、西口に行くには駅を離れて跨線橋を遠回りする以外はこの暗くて低い地下道を行くしかなかった。この地下道は今もある(撮影はこの4/8)。なぜか「岡山らしい場所」と思われている。映画『でーれーガールズ』にも出てくる。どこか岡山的中途半端、せこさの象徴に見えるのだ。
「岡山らしさ」とは何か。
まあ駅も正面口は普通の地方都市である。
私のいた七十年代頃は、西口になると一気に寂れていた印象だ。
漫才のB&Bも、広島が都会で岡山が田舎というネタのためには、広島駅は正面の写真、岡山の駅の写真としてはわざと古くさくて小さい西口のものを使っていた。
それが、西口にNHKや全日空ホテル、この間私が講演した国際交流センター、デジタルミュージアムなどができ、だいぶ印象が変わってきた。
西口の奉還町商店街は「昭和のにおいを残す商店街」として人気を博するようになった。個性への評価で正面口に勝るようになったのだ。
ところで、「岡山らしさ」の一つは、大きな声では言えないが、言うと叱られるのだが、その「せこさ」である。
その「せこさ」の例は、枚挙に暇がないのだが、岡山を代表する郷土料理「岡山ばら(ちらし)ずし」の起源についてもその個性が伝えられている。駅弁で有名な「祭りずし」もその一つだ。
最近の記事でも「江戸時代に岡山藩初代藩主の池田光政(1609〜82)が「食事は一汁一菜(飯のほか、汁とおかずを各1品)に限る」との質素倹約のお触れを出したことで、魚や野菜を目立たないようにすし飯に混ぜ、見た目だけ一汁一菜にした」と説明されてきたことが、記されている。
ところが、私が聞いてきた実体は、「魚や野菜を目立たないようにすし飯に混ぜ」ではないのだ。
混ぜたりしないのだ。
「魚や野菜を底に敷き、すし飯を上に載せて隠した」が、伝え聞く真相である。
岡山人は、混ぜるような面倒なことはしないのだ。
ちょっと前までは、そういう、見たところ白飯しかないように見える「元祖ばら寿司」が駅前の店でも密かに売られていた。
あまりのせこさが恥ずかしくなったのか、最近は発売されていない様子だった。
ところが、件の記事では、この光政原因説を「根拠なし」とする報告が9年前にまとめられ、これに基づき、名物駅弁のパッケージに記された説明も改められていた、とされている。知らなかった。
全国的なばらずしの起源は、町人が財力と権力を持ち始めた「1800年代前半」とする説が多く、岡山藩主の食卓にすしが登場した記録も19世紀以降。光政時代の17世紀に岡山城下の町人の華美な生活が目立ったとは考えにくく、斉政の厳しい法令が出た後、こっそり豪勢なすしを作り始めたとも推測されているそうだ。
うーん。岡山県人の極端な、しかし少し間抜けな「せこさ」を愛する身としては、この新説を、にわかには受け入れがたいのである。
写真は、岡山駅の西口への地下道。
昔は新幹線の上部改札通路がなかったから、西口に行くには駅を離れて跨線橋を遠回りする以外はこの暗くて低い地下道を行くしかなかった。この地下道は今もある(撮影はこの4/8)。なぜか「岡山らしい場所」と思われている。映画『でーれーガールズ』にも出てくる。どこか岡山的中途半端、せこさの象徴に見えるのだ。
「岡山らしさ」とは何か。
まあ駅も正面口は普通の地方都市である。
私のいた七十年代頃は、西口になると一気に寂れていた印象だ。
漫才のB&Bも、広島が都会で岡山が田舎というネタのためには、広島駅は正面の写真、岡山の駅の写真としてはわざと古くさくて小さい西口のものを使っていた。
それが、西口にNHKや全日空ホテル、この間私が講演した国際交流センター、デジタルミュージアムなどができ、だいぶ印象が変わってきた。
西口の奉還町商店街は「昭和のにおいを残す商店街」として人気を博するようになった。個性への評価で正面口に勝るようになったのだ。
ところで、「岡山らしさ」の一つは、大きな声では言えないが、言うと叱られるのだが、その「せこさ」である。
その「せこさ」の例は、枚挙に暇がないのだが、岡山を代表する郷土料理「岡山ばら(ちらし)ずし」の起源についてもその個性が伝えられている。駅弁で有名な「祭りずし」もその一つだ。
最近の記事でも「江戸時代に岡山藩初代藩主の池田光政(1609〜82)が「食事は一汁一菜(飯のほか、汁とおかずを各1品)に限る」との質素倹約のお触れを出したことで、魚や野菜を目立たないようにすし飯に混ぜ、見た目だけ一汁一菜にした」と説明されてきたことが、記されている。
ところが、私が聞いてきた実体は、「魚や野菜を目立たないようにすし飯に混ぜ」ではないのだ。
混ぜたりしないのだ。
「魚や野菜を底に敷き、すし飯を上に載せて隠した」が、伝え聞く真相である。
岡山人は、混ぜるような面倒なことはしないのだ。
ちょっと前までは、そういう、見たところ白飯しかないように見える「元祖ばら寿司」が駅前の店でも密かに売られていた。
あまりのせこさが恥ずかしくなったのか、最近は発売されていない様子だった。
ところが、件の記事では、この光政原因説を「根拠なし」とする報告が9年前にまとめられ、これに基づき、名物駅弁のパッケージに記された説明も改められていた、とされている。知らなかった。
全国的なばらずしの起源は、町人が財力と権力を持ち始めた「1800年代前半」とする説が多く、岡山藩主の食卓にすしが登場した記録も19世紀以降。光政時代の17世紀に岡山城下の町人の華美な生活が目立ったとは考えにくく、斉政の厳しい法令が出た後、こっそり豪勢なすしを作り始めたとも推測されているそうだ。
うーん。岡山県人の極端な、しかし少し間抜けな「せこさ」を愛する身としては、この新説を、にわかには受け入れがたいのである。