チェーホフが晩年の最後の5年間を過ごしたクリミアの保養地、ヤルタ。写真は、その地で現在博物館になっている「チェーホフの家」の表に置かれた、チェーホフ像である。
このヤルタで、「桜の園」「三人姉妹」は書かれた。
チェーホフは「ワーニャ伯父さん」初演をとても観たがっていたが、医師たちはチェーホフをヤルタから出さなかった。そこで、スタニスラフスキー率いるモスクワ芸術座がクリミアを訪れ、セヴァストポリ、ヤルタで公演したという。
そのヤルタの劇場は現在「チェーホフ劇場」と名付けられている。
そこで毎年「チェーホフ・フェスティバル」が開催され、私たち燐光群も2013年に『屋根裏』で参加した。オープニング作品として迎えられた。若干日程に余裕のあった、このヤルタの日々は忘れられない。毎日が、ヨーロッパとロシアの関係を知るためのワークショップのようだった。すぐにバスには乗り馴れたし、観光客は行かないような市場に通って、いろいろなものを食べたのも懐かしい。
その後クリミア半島は、「ウクライナ」から「ロシア」に、移った。 いろいろと思いはあるが、私が行ったときにも、ヤルタじたいは既に7割近い住人はロシア系であり、「ほとんどロシア」だった。
チェーホフの青春時代を描く青年座『わが兄の弟』を観て、いろいろなことを考えさせられた。
客席に作者のマキノノゾミさんがいて、途中休憩時に「きのう共謀罪のことで赤旗の取材を受けたよ」と言う。確かに共謀罪に繋がるような思想統制の話も出てくる。いい台詞もいっぱいある。ロマンチスト・マキノ本領発揮である。
演出の宮田慶子さんとのコンビは、ある意味「鉄板」なのだろう。
美術はもっと光を当てるところを増やした方がいい気はした。暗闇がバックで馴染むシーンは冒頭とラストだけである。
私は俳優諸氏の声を楽しんだ。とりわけ津田さん。
作劇的には、私はもう一度「チェーホフ的」に多くの人が出ているシーンがないと終われない気がしたが、これは趣味の問題なのだろう。
チェーホフに興味がある人は、大きな関心を持って見られるはず。
久しぶりの紀伊國屋ホール。
三浦洋一版の『熱海殺人事件』つかこうへい事務所を観たのが最初だ。あれからもう四十年なのである。
私が唯一ここで演出したのが『上演されなかった三人姉妹』。まさにチェーホフ世界の現在形。同作の海外公演の計画が頓挫したのが、悔しい思い出である。
このヤルタで、「桜の園」「三人姉妹」は書かれた。
チェーホフは「ワーニャ伯父さん」初演をとても観たがっていたが、医師たちはチェーホフをヤルタから出さなかった。そこで、スタニスラフスキー率いるモスクワ芸術座がクリミアを訪れ、セヴァストポリ、ヤルタで公演したという。
そのヤルタの劇場は現在「チェーホフ劇場」と名付けられている。
そこで毎年「チェーホフ・フェスティバル」が開催され、私たち燐光群も2013年に『屋根裏』で参加した。オープニング作品として迎えられた。若干日程に余裕のあった、このヤルタの日々は忘れられない。毎日が、ヨーロッパとロシアの関係を知るためのワークショップのようだった。すぐにバスには乗り馴れたし、観光客は行かないような市場に通って、いろいろなものを食べたのも懐かしい。
その後クリミア半島は、「ウクライナ」から「ロシア」に、移った。 いろいろと思いはあるが、私が行ったときにも、ヤルタじたいは既に7割近い住人はロシア系であり、「ほとんどロシア」だった。
チェーホフの青春時代を描く青年座『わが兄の弟』を観て、いろいろなことを考えさせられた。
客席に作者のマキノノゾミさんがいて、途中休憩時に「きのう共謀罪のことで赤旗の取材を受けたよ」と言う。確かに共謀罪に繋がるような思想統制の話も出てくる。いい台詞もいっぱいある。ロマンチスト・マキノ本領発揮である。
演出の宮田慶子さんとのコンビは、ある意味「鉄板」なのだろう。
美術はもっと光を当てるところを増やした方がいい気はした。暗闇がバックで馴染むシーンは冒頭とラストだけである。
私は俳優諸氏の声を楽しんだ。とりわけ津田さん。
作劇的には、私はもう一度「チェーホフ的」に多くの人が出ているシーンがないと終われない気がしたが、これは趣味の問題なのだろう。
チェーホフに興味がある人は、大きな関心を持って見られるはず。
久しぶりの紀伊國屋ホール。
三浦洋一版の『熱海殺人事件』つかこうへい事務所を観たのが最初だ。あれからもう四十年なのである。
私が唯一ここで演出したのが『上演されなかった三人姉妹』。まさにチェーホフ世界の現在形。同作の海外公演の計画が頓挫したのが、悔しい思い出である。