Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

もはや「島国根性」でさえ、ない。

2017-10-07 | Weblog
報道によれば、2017年のノーベル平和賞は、核兵器の非合法化と廃絶を目指す国際NGOで、今年の核兵器禁止条約成立に貢献した「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)に授与されるという。
授賞理由は「核兵器がもたらす破滅的な結果を人々に気づかせ、条約で禁止しようと草分け的な努力をしてきた」ということだそうだ。
ノーベル賞委員会は「北朝鮮のように核兵器を開発する国が増えている」とも指摘したという。とうぜん、「核抑止」によって事態を解決したいという意図である。アメリカと日本のように外交努力を放棄して実力行使で抑え込もうと喧伝しているわけではない。

ICANは、非人道的な兵器としての核兵器に焦点を当て、有志国とNGOが連携して成立させた対人地雷禁止条約やクラスター爆弾禁止条約をモデルに、核保有国が核軍縮を進めないことに不満を膨らませる非核保有国とタッグを組み、核兵器を非合法化する包括的な条約をつくることをめざしてきた、という。
広島・長崎の被爆者、「日本原水爆被害者団体協議会」関係者らも協力し、核兵器の被害の実態を訴える日本の被爆者の声を、広く世界に伝える役割も果たしてきたそうだ。
ICAN賛同団体は10月1日時点で101カ国の468団体に達しているという。

日本政府はこの受賞を祝福・評価する姿勢を見せなかった。
アメリカの「核の傘」の下にあることを「矛盾」ととらえず、それを肯定して核兵器禁止条約に背を向けた日本政府が、「唯一の被爆国」であることを忘れようとしている現実を、この受賞じたいが批評している形だ。
被爆者のことを忘れずにいてくれている世界の人々に、あらためて連帯の言葉を贈るべきではないのか。

少なくとも「自分の国だけがよければいい」という考え方を捨てなければ、核廃絶には向かえないと、多くの人たちが思っている。悲惨な戦争を止めたい国々が、その選択をしている。
日本という国の子供じみた我が儘さが、本当に恥ずかしい。

やはり報道によれば、麻生太郎副総理は、先月、宇都宮市内での講演で、朝鮮半島から大量の難民が日本に押し寄せる可能性に触れたうえで、「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」と語ったという。シリアやイラクの難民の事例を挙げ、「向こうから日本に難民が押し寄せてくる。動力のないボートだって潮流に乗って間違いなく漂着する。10万人単位をどこに収容するのか」と指摘、さらに「向こうは武装しているかもしれない」としたうえで「防衛出動」に言及したのだという。
難民に対して「防衛出動」? 命からがら逃げ延びてきた人たちから、受入国が直接攻撃を受ける可能性があるというのか? 相手は弱者である。差別心を煽る対象であるはずがない。
一国の副総理である麻生氏が、難民に対して「射殺」と言った事実は、本当に信じがたい。

この発言は、明らかに「ヘイト」である。関東大震災で朝鮮人虐殺を起こした者たちと同じ心理ではないか。
そして、朝鮮人虐殺犠牲者追悼メッセージを取りやめた小池都知事も、虐殺の事実を隠蔽しようとしている。
http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/7a1b1eede3b75ec44566bc8be81d8083

そうした閉鎖的な「ヘイト」と、「歴史」をねじ曲げ、世界情勢を正しく評価しない姿は、表裏の関係であろう。
もはや「子供じみている」と揶揄しているだけではすまないように思われる。

ICANのノーベル平和賞受賞にはノーコメントだった日本政府だが、前日のカズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞には、安倍首相が祝福のメッセージを送っている。
カズオ・イシグロ氏が、五歳まで長崎で育った「イギリス人であるけれども日本人」であるからだろう。
だとすれば、ICANにだって、グリーンピース日本の幹部がいるし、何しろ被爆者の皆さんも多数関わっている。彼らは日本の関係者ではないのか。ただの「自分の国大好き」であるなら、無視するのはおかしい。だとすれば、なぜそのことには思いが及ばない振りをするのか。

もはやこれは、「島国根性」でさえない。
現在この国を動かす者たちの、弱者を切り捨て、批判を受け入れて成長していくことを拒む、偏狭と小心に囚われた、虚勢と傲慢の為せる業である。
恥ずかしいことだ。
コメント
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