「星野文昭さん解放全国集会」は、高松のサンポートホール・大ホールで、千人超の大盛況となった。
なぜ高松かというと、現在星野文昭さんは徳島刑務所で服役中であり、高松にある更生保護委員を動かさないといけないということからである。
それにしても千人超のホールがほぼ全席埋まったのだ。「無実で獄中43年」の実態が多くの人に知られるようになって、救援会も全国三十数カ所、更に増えている。 すごいことだ。
この集会のための新聞の全面広告も前例のないことだったが、でっち上げの伝聞証拠しかないのに、これだけ長い間獄中にあるというのは、世界的に見てもあり得ないという「事実」が、以前より広く浸透しているのだ。
今現在、些細なことで懲罰を受け、等級も二類から三類に下げられてしまっているがそれでも挫けない星野文昭さんから、会場に向けたメッセージが届けられた。
再審弁護団報告、おなじみ鈴木達夫さんはじめ、そうそうたるメンバー。
記念講演は、平良修さんの「沖縄と星野文昭」。星野さんは、沖縄復帰前に「沖縄闘争」をたたかったのである。
若者達の「詩の群読」は、参加したほんとうに多くの若い人たちがこの冤罪事件に注目していることがわかり励まされた。田島咲乃さん、田島基江さんの演奏に続いた。
星野文昭さんの兄弟、治男、修三さん、従兄弟の誉夫さんの登壇もあった。素敵な人たちだ。修三さんとは久々の再会。
私は、高橋和也さん、獄中結婚三十二年になる星野暁子さんと共に、星野さんご夫婦をモデルにさせていただいている劇『ブラインド・タッチ』にまつわる「スペシャルトーク」で、登壇した。
終わって、高松の町を二キロ近く、パレード。
和也くんを見かけた人たちが声をかけてくれる。ドラマ「宮本から君へ」はずいぶん人気があるようだ。きょうは彼の登場で、集会・パレードとも、いっそう華やかに、賑やかになったと思う。
個人的には、1988年初演の拙作『OFFSIDE 危険な話』のモデルだった、藤井高弘さんと再会できたことに、驚いたし、感動した。
藤井さんは八十年代、中曽根政権時代の自民党本部放火事件の容疑者として冤罪で獄中にあり、『OFFSIDE 危険な話』は、検察審査会がその事件の真相を探っていくという劇だった。而立書房から出版されている(『トーキョー裁判/危険な話』)、私の最初の戯曲集だ。全国ツアーもしたこの劇を1990年に再演した直後に、藤井高弘さんは無実が証明され、解放された。『ブラインド・タッチ』も再演したので、そのジンクスが有効なら、星野さんの解放も近いはずだ、と、私が集会の壇上で彼の事件のことを話したせいもあるが、集会後に藤井さんの方から寄ってきて話しかけてくれた。お目にかかるのは実に二十七年ぶりになる。感無量である。
星野文昭さんの一日も早い解放を願ってやまない。
なぜ高松かというと、現在星野文昭さんは徳島刑務所で服役中であり、高松にある更生保護委員を動かさないといけないということからである。
それにしても千人超のホールがほぼ全席埋まったのだ。「無実で獄中43年」の実態が多くの人に知られるようになって、救援会も全国三十数カ所、更に増えている。 すごいことだ。
この集会のための新聞の全面広告も前例のないことだったが、でっち上げの伝聞証拠しかないのに、これだけ長い間獄中にあるというのは、世界的に見てもあり得ないという「事実」が、以前より広く浸透しているのだ。
今現在、些細なことで懲罰を受け、等級も二類から三類に下げられてしまっているがそれでも挫けない星野文昭さんから、会場に向けたメッセージが届けられた。
再審弁護団報告、おなじみ鈴木達夫さんはじめ、そうそうたるメンバー。
記念講演は、平良修さんの「沖縄と星野文昭」。星野さんは、沖縄復帰前に「沖縄闘争」をたたかったのである。
若者達の「詩の群読」は、参加したほんとうに多くの若い人たちがこの冤罪事件に注目していることがわかり励まされた。田島咲乃さん、田島基江さんの演奏に続いた。
星野文昭さんの兄弟、治男、修三さん、従兄弟の誉夫さんの登壇もあった。素敵な人たちだ。修三さんとは久々の再会。
私は、高橋和也さん、獄中結婚三十二年になる星野暁子さんと共に、星野さんご夫婦をモデルにさせていただいている劇『ブラインド・タッチ』にまつわる「スペシャルトーク」で、登壇した。
終わって、高松の町を二キロ近く、パレード。
和也くんを見かけた人たちが声をかけてくれる。ドラマ「宮本から君へ」はずいぶん人気があるようだ。きょうは彼の登場で、集会・パレードとも、いっそう華やかに、賑やかになったと思う。
個人的には、1988年初演の拙作『OFFSIDE 危険な話』のモデルだった、藤井高弘さんと再会できたことに、驚いたし、感動した。
藤井さんは八十年代、中曽根政権時代の自民党本部放火事件の容疑者として冤罪で獄中にあり、『OFFSIDE 危険な話』は、検察審査会がその事件の真相を探っていくという劇だった。而立書房から出版されている(『トーキョー裁判/危険な話』)、私の最初の戯曲集だ。全国ツアーもしたこの劇を1990年に再演した直後に、藤井高弘さんは無実が証明され、解放された。『ブラインド・タッチ』も再演したので、そのジンクスが有効なら、星野さんの解放も近いはずだ、と、私が集会の壇上で彼の事件のことを話したせいもあるが、集会後に藤井さんの方から寄ってきて話しかけてくれた。お目にかかるのは実に二十七年ぶりになる。感無量である。
星野文昭さんの一日も早い解放を願ってやまない。