Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

最初で最後の「オウム事件真相究明の会」集会

2018-08-25 | Weblog

「オウム事件真相究明の会」による「死刑執行に抗議し、オウム事件についてもう一度考える」集会が開かれた。

「オウム事件真相究明の会」は、一連のオウム事件の真相を究明し、再発防止の議論を尽くすための適正な司法手続きを求めるために立ち上げられた。

しかし、2018年7月6日松本元死刑囚の刑は執行され、真相究明の道は閉ざされてしまった。

本集会では、松本元死刑囚が執行されたことによって、この社会にどのような問題が残されたのか。
そしてその問題について、社会はどのように考えていくべきなのかについて提起することが企図された。

会はこれを持って解散するので、これが最初で最後の集会ということになる。

森達也監督の誘いで、私も会の賛同人に名を連ねたが、顔を合わせたとたんに「さようなら」になる人も多いというわけで、ずいぶんと不思議な感じだ。

松本サリン事件の被害者・河野義行さん(写真右)のお話は、当事者の言葉だけに、圧巻だった。

彼は言う。オウムの死刑囚は、死刑によって拘留から自由になれた。私の妻も死によって自由になれたっと。苦痛や苦悩を抱えた人間にとっての死というものに、独自の視点がある。

彼は言う。「元死刑囚」という言葉はおかしい。死をもって刑は償ったはず。刑期を終えたらその人はリセットと考えたいという。刑期を終えた人間を常に「元窃盗囚』とか言わないし、それは人権を侵されている表現になるはずだ。そこで「私は元容疑者ですが」と付け加えるところも含めて、面白い人である。 彼も冤罪から生還した一人なのだ。

最近よく言われる、「死刑を執行しなければならない刑務官が苦しむのは問題」ということについては、「でもいやならやめればいい」とあっさりと言ってのける。

 

それにしても、死刑というものに「量刑」はないはずだ。刑を宣告されて、いつ死ぬかはわからない。「待つ時間」の長短を、いったい誰に決める権利があるのか。その残酷。そもそも「死の前の平等」など、ないと考えるべなのだろう。

会の後、河野さん、吉岡忍さん、二木啓孝さんと、ずいぶんお話しした。

劇の内容の一部で河野さんをモデルにした劇『甘い生活』を上演したのは、1996年。ずいぶん時間が経っている。

 

 

http://www.aum-shinsokyumei.com/2018/08/10/post-756/

 

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