本日の『なにもおきない』アフタートークは、[レンタルなんもしない人]こと森本祥司さんを迎えての対談。「なにもおきない」と「なんもしない」のご対面でありました。この回は早々に完売、入場制限もして、超満員。[レンタルなんもしない人]人気を感じさせた。
[レンタルなんもしない人]こと森本祥司さんがTwitterに記されたように、「制作中に坂手さんがネットで"なにもしない"等で検索かけてたら「レンタルなんもしない人」をたまたま見つけて著書を読んだりしたけど実際にはめちゃくちゃいろいろやってることがわかり全然参考にならなかったそうです」というお話しもしてしまったのだが、まあ実際その通りで、そこに[レンタルなんもしない人]という存在の「新しさ」もあるのだ。いろいろ話すうち、「なにもおきない」と「なんもしない」が、ある種「時代の空気」を反映していることを、あらためて感じた。[レンタルなんもしない人]ニューヨークに登場希望、という話も出てきて、SNSが世界を繋いでいる空気をリアルに感じもした。噛み合っているのか噛み合っていないのか、われわれ当事者二人にはよくわからないけれど、とにかくトークは楽しかった。森本さんにも皆様のご来場にも、感謝。
その後、[レンタルなんもしない人]こと森本祥司さんがTwitterで「制作において、最初に「なにもおきない」というタイトルだけが立ち上がり、そこからいろんな制約や事情、坂手さん自身の体験や関心事などによって(いろいろおきて)劇の中身が決まっていった、というような主旨のことを仰ってて、その感じは「なんもしない人」の活動履歴と少し通じる部分ある気がした」と書いてくれていたが、まさにそうした「直感力」みたいなもの、そこに共感があった。
きょう観にいらしてトークも聞かれていった高橋洋子さんが、[レンタルなんもしない人]=森本さんのことを「付き添いますクン」と呼んでいたのは、個人的にうけた。確かに彼はいろいろな人や物事に「付き添う」ことを重ねてきたわけだ。「付き添う」ことの価値というのは、侮れないのだ。
さて、世間は何やら祝日になっていたようだが、他にも仕事を抱える私には関係ない。関係ないというか、政教分離が果たせていないこの国の暴力というしかない宗教的・政治的強制が、たとえば私の宗教観に於ける自由を大きく損なうので、また、今日のこの出来事だけではないこの国の駄目さの連鎖と関連づけることにも辟易するので、私としては、きょうはあえて無視するのである、と言うことはできる。
三十年前は、明瞭に自分の立場を発信した。菅孝行氏が「論座」に記している論講「天皇制と闘うとはどういうことか」を拝読して、この間の時間の変化について、あらためていろいろと思わされた。自分なりに現実を、受け止めはしている。そういえば今年、ものすごく久し振りに菅さんとお話しする機会があったのも、どこか偶然とは思われない。
『なにもおきない』、あす23日(水)が千秋楽です。14時と19時に開演。「本日中はご予約頂けます」って記そうとしたが、あと一時間じゃないか。
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