『なにもおきない』で一番短いのが、このタクシーの場面だ。
不条理という意味では一番徹底している。
ぼんやりしている人にとっては、内容は、ほぼ、ない。
スルーしようと思えばスルーできる。
しかし深い意味がある。
演劇はこんなことができるんだ、という、究極の例である。
上演終了後なので、珍しく自己解説すると、乗客の女性が自らの差別性に無自覚であること、彼女の潜在意識に対して、否定・肯定でなく、たんに彼女の認識を深めさせているだけである「さとり」運転手の存在、という、表層の「なにごともなさ」と、現実の不穏さ、というところでしょうか。物語としてはスルーされることがむしろ狙いで、劇全体のバランスには必要、という場面です。
猪熊恒和の運転手、円城寺あやの乗客。撮影・古元道広。