芝居の仕事といろいろな業務が、重なりながら、ずっと続いている。
今日は、一昨年から準備が続いていた劇作家大会上田大会を今夏終えた事後処理の会議が、午前中にあった。一応の節目といえるだろうか。
新作の稽古も始まっている。
時間ある限り、台本も書き続けている。
憲法くんとばかのイワンが私の中で重なっている。そして、それぞれが自由に生きている。
もともと、このように過ごす日々ではあるのだが、ここしばらく、いささか密度が濃すぎる。
追われる気持ちから、順当に進む道に、折り返さなければならない。
写真は、上記の上田大会のさいの舞台美術家・島次郎さんの仕事を振り返る、私自身の提案企画に関連して、会場のサントミューゼのエントランスに飾った、島さんの作品写真集。この中の幾つかが、私との仕事である。また別にもある幾つかの仕事が、照明家・小笠原純さんとの仕事のだ。島さんと小笠原さんは名コンビだった。
その小笠原純さんが、十月二十六日に亡くなられていたことがわかった。六十九歳だった。最後にお目にかかったのが、島次郎さんのお通夜だった。小笠原純さんには、いっぱい励まされたし、褒められたし、厳しいことも言われた。これからもつきあっていただきたかった。あまり仕事でご一緒しなくなったが、たまに電話で話した。何年か前、西荻あたりで呑もう、と約束したが、果たせなかった。ほんとに忙しすぎたのだ。
本当に残念だ。ご冥福をお祈りします。
『心と意志』『いとこ同志』、私の演出ではないが『ブラインド・タッチ』初演、等、小笠原さんとの思い出の重さに、気持ちが止まってしまう。『いとこ同志』、夜行列車が一転、高原の別荘に変貌する、あの鮮やかな光線と色彩が、脳裏にまざまざと甦る。
声とは不思議なものだ。ご一緒にいたときから残っていたのだろう、島さん、小笠原さんの声が、私のからだの中に届いていて、今も響いている。
折り返さなければならない。いろいろなことを。