Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

火田詮子さんの本

2019-12-01 | Weblog

火田詮子さんの本、特集というかムックというか、「実録 火田詮子」を、海上宏美さんが送ってくださった。

名古屋を中心に演劇活動をされていた火田詮子さんの舞台活動五十周年を記念して、七ツ寺共同スタジオの二村利之さんが企画された本であるが、今年五月、クモ膜下出血で亡くなられたため、結果として、彼女の人生まるごとをまとめて振り返った、という本になった。

これは、今年亡くなられた舞台美術家・島次郎さんの写真集が、島さんがお亡くなりになる直前に完成したケースと、似ている。

私が上京した1980年、雑誌「新劇」のグラビアに彼女の特集があって、まだ一度も行ったことのなかった七ツ寺共同スタジオの二階の窓に立っている彼女の姿が印象的だったのを憶えている。まだ彼女が北村想さんと一緒に芝居をつくっていた頃だ。彼女は『寿歌』の初代ヒロインだったのだ。

私が彼女を舞台で初めて観たのは、下北沢スーパーマーケットでの、高取英+流山児祥の「黄金箱」ということになる。この舞台の美術も島次朗さんだったはずだ。

彼女は私が1999年に新宿梁山泊に書き下ろした『東京アパッチ族』が、2012年に七ツ寺共同スタジオ40周年記念公演として小熊ヒデジ演出でプロデュース公演された際に出演してくれていて、その時のエピソードを彼女自身がこの本で喋っていたりする。一日だけ見に行った私と話した内容は、私自身が忘れていた(笑)。もともと野外のテント用の劇だからこれを七ツ寺共同スタジオでやるのはなかなかたいへんだったはずである。

私が最後に彼女の舞台を観たのは、やはり七ツ寺共同スタジオでの朗読劇『ホタラ奇譚余滴』だと思う。

実は私なりに名古屋のアングラ演劇への愛着というものはあって、七ツ寺共同スタジオでの宿泊日数は、東京の演劇人としてはトップクラスだろうと思う。初めて七ツ寺共同スタジオに行ったときは、二十歳だったはずである。

間違いなく名古屋は演劇が盛んな都市である。その中心にいた一人が、彼女である。

 

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『憲法くん』、米軍基地、馬毛島、沖縄・南島の話も出てきます。

2019-12-01 | Weblog

政府は、米空母艦載機の陸上離着陸訓練(FCLP)の移転先として無人島の馬毛島(鹿児島県)を購入する方向で、地権者と大筋で合意したという。購入金額は約160億円。契約が結ばれれば、訓練移転に関する2011年の日米合意以来8年にわたる交渉が決着し、防衛特化の島として整備する計画が動き出すことになる。

なんとこの馬毛島の話題も、『憲法くん』には登場する。正確には、馬毛島同様に自分の土地を米軍に供出しようとする地主(鴨川てんし)の場面なのだが。


馬毛島は、普天間基地移設が話題になった頃、移設地の候補として取り沙汰されたこともある。

『憲法くん』には、沖縄・南島の話題も出てくる。

終戦直後、ヤマトで民主的な憲法が制定されたと聞いた沖縄の青年たちが、当時まだ日本との交流が遮断され、物資の交通や情報が限定されていた状況下、本土にいる友人や知り合いに依頼し、密航船に密かに忍ばせて送らせた、憲法全文の逸話である。彼らはその憲法全文を一つ一つ丁寧に写し取った。ガリ版で刷った人達も少しはいたかもしれないが、コピー機もない時代、ほとんど手書きだった。写経みたいに書き写して、みんなで読んだはずである。

復帰前の沖縄の子どもたちは、日本国憲法を読み、大きな感動を覚えたという。米軍統治下にあった当時の沖縄は、どの国の憲法にも守られない「憲法番外地」だった。ベトナムに向かう米軍は沖縄から出撃していた。ウチナーンチュは米軍を支え、戦争に加担させられていた。米軍米兵による事件事故が頻発していたにもかかわらず、被害者は泣き寝入り、犯人の処罰もうやむやだった。戦争放棄と基本的人権の尊重。憲法が適用されれば沖縄の問題は解決すると思った若きウチナーンチュは、新しい憲法の国に復帰するという夢を持った。

その後、憲法についてはさまざまな思いが錯綜したという。そもそも憲法が制定されたとき、沖縄は米軍に占領され、ウチナーンチュには選挙権もなく、沖縄選出の議員は一人もいなかった。成立過程にいなかったのに自分たちの憲法といえるだろうか、と。本土復帰は果たしたが、米軍基地は残った。ベトナムからイラクへと送り出す先は変わっても戦争の後衛を担わされている。アメリカ世のままであるといえるのだ。

一九九五年、十二歳の少女が三人の海兵隊員にレイプされる事件があり、沖縄県民は憤り、悲しみ、立ち上がった。ところが沖縄の基地負担軽減を勝ち得たはずが、普天間移設、辺野古新基地建設という日米政府の思惑にねじ曲げられた。SACO合意もまやかしだった。危険除去でも唯一の解決策でもない。米軍はウチナーンチュから強奪した土地をただ返せばいいだけのはずだった。沖縄は正当な選挙を通じ地方として新基地建設拒否の意志を決した。その自己決定が政府の強行で潰されるのは、憲法に明記された「地方自治」を殺すに等しいのだ。

 

沖縄の部分では、宮城康博さんにも助言を頂いた。

 

写真は、吉村直、猪熊恒和、大西孝洋、杉山英之。 撮影・古元道広。

 

演劇版『憲法くん』、東京公演は8日まで。

http://rinkogun.com/index.html

 

 

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