火田詮子さんの本、特集というかムックというか、「実録 火田詮子」を、海上宏美さんが送ってくださった。
名古屋を中心に演劇活動をされていた火田詮子さんの舞台活動五十周年を記念して、七ツ寺共同スタジオの二村利之さんが企画された本であるが、今年五月、クモ膜下出血で亡くなられたため、結果として、彼女の人生まるごとをまとめて振り返った、という本になった。
これは、今年亡くなられた舞台美術家・島次郎さんの写真集が、島さんがお亡くなりになる直前に完成したケースと、似ている。
私が上京した1980年、雑誌「新劇」のグラビアに彼女の特集があって、まだ一度も行ったことのなかった七ツ寺共同スタジオの二階の窓に立っている彼女の姿が印象的だったのを憶えている。まだ彼女が北村想さんと一緒に芝居をつくっていた頃だ。彼女は『寿歌』の初代ヒロインだったのだ。
私が彼女を舞台で初めて観たのは、下北沢スーパーマーケットでの、高取英+流山児祥の「黄金箱」ということになる。この舞台の美術も島次朗さんだったはずだ。
彼女は私が1999年に新宿梁山泊に書き下ろした『東京アパッチ族』が、2012年に七ツ寺共同スタジオ40周年記念公演として小熊ヒデジ演出でプロデュース公演された際に出演してくれていて、その時のエピソードを彼女自身がこの本で喋っていたりする。一日だけ見に行った私と話した内容は、私自身が忘れていた(笑)。もともと野外のテント用の劇だからこれを七ツ寺共同スタジオでやるのはなかなかたいへんだったはずである。
私が最後に彼女の舞台を観たのは、やはり七ツ寺共同スタジオでの朗読劇『ホタラ奇譚余滴』だと思う。
実は私なりに名古屋のアングラ演劇への愛着というものはあって、七ツ寺共同スタジオでの宿泊日数は、東京の演劇人としてはトップクラスだろうと思う。初めて七ツ寺共同スタジオに行ったときは、二十歳だったはずである。
間違いなく名古屋は演劇が盛んな都市である。その中心にいた一人が、彼女である。