「イワンのばか」の物語は、実はロシアではそれほどポピュラーではない。サンクトペテルブルグの児童図書館に行っても、司書の方に聞いて、探さないといけなかった。
勤勉さを示すだけではだめなのか? 物語としての工夫が足りないのか? けっきょくは資本主義と軍国主義の世の中ということなのか。
「イワンのばか」の話は、原則的に戦争はしない、金銭を使わない、科学は不要、そのうえ時代によっては皇帝=王様がいなくても国は成立する、皇帝と百姓に違いがないとしている危険思想の物語ということだったのだろうか。「働かざる者食うべからず」を打ち出し、「これを読まずして社会主義を語るなかれ」というべき内容でもあるように思われるのだが。現代生活に欠かせぬ三要件、政治・経済・社会を正面切って否定し、それを守るために命を賭け戦争に命をかける者を愚弄しているということになるのだろうか。
「トルストイ主義」は危険だったのか。私有財産の否定,素朴な農民生活を尊び、非暴力主義をとる。白樺派もガンジーも読んだとされているのだが。
昔話のセオリー。純朴かつ愚直な男が最後には幸運を手にする。そして悪魔が失敗することを子供たちが喜ぶのは、バイキンマンの今にも繋がる。
ともあれ、この物語の終わりは決まっている。悪魔は滅び、イワンは今も生きているのだ。私はトルストイの悪魔への感情移入も感じる。それが「イワンのばか」を書いた直後にトルストイを「イワン・イリッチの死」に向かわせたのではないかとさえ思う。
写真は、 ヤースナヤ・パリャーナ。トルストイの里。