報道によれば、安倍晋三首相は14日、新型コロナウイルスの感染再拡大で不安が広がっている観光需要喚起策「Go Toキャンペーン」について、首相官邸で記者団に「現下の感染状況を高い緊張感を持って注視している」と述べたそうだ。
赤羽一嘉国土交通相は、「Go Toキャンペーン」開始時期を22日としたことに関し、「感染症の専門家の意見を踏まえた政府全体の方針の下、地方からの強い要望を受けて決定した」と強調。したとのことで、専門家や地方に責任を押しつけているようだ。
「単なる観光需要回復対策ではなく、『ウィズコロナ』における安全で安心な新しい旅のスタイルを普及定着させることも重要な目的だ」って、コロナウイルスと共に旅をしろというのは、旅してこられる地方の人にとっては迷惑でしかないだろう。
「チェックインの際の仕切り板の設置や検温、浴場など共用施設の人数・時間制限、消毒・換気の徹底など、観光事業者と旅行者双方が感染拡大防止策を講じる必要があると訴えた」そうだが、そんなにまでして旅行に行かせるな、と、誰もが思うはずだ。
しかし、「高い緊張感を持って注視している」というのは、良く言えば「見守っているだけだが何か?」、悪く言えば「現状肯定、何もしない」ということである。
決断しない、というだけのことである。
写真は、鮭フレークの瓶詰めである。これが、賞味期限が先でも、開封後どのくらい持つかが謎の食べ物である。佃煮とか、塩の度合いが濃いとか、そういうものはけっこう持つ気がするのだが、鮭フレークについては、謎である。私より若い劇作家・演出家某氏が、開封してしばらくたったものを、それでもいいや、と思って食べてしまうことをいつだったか記していた気がするが、私はなかなか決断しがたい。冷蔵庫から取り出してこの瓶をテーブルの上に置いて、「高い緊張感を持って注視している」ことも、多々ある。
日本語の使い方が適切ではない? いや、私はその後に、決断はしている。
「高い緊張感を持って、注視する」が、じつは「何もしない」という意味で使っている方とは、違う。
ほんとうに、この方の御陰で、日本語がどんどん薄っぺらいものになっている。