Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

97年前のこの日

2020-09-01 | Weblog
小池都知事の朝鮮人虐殺犠牲者追悼メッセージ取りやめに抗議して、3年前に出した、私も連名に加わった声明を、時制の数字だけ変えて、やや再編集したものを、再掲します。


97年前、1923年の今日、9月1日に発生した関東大震災。
都市火災の拡大によって10万5000人の人々が亡くなりました。
やがて「朝鮮人が暴動を起こした」「井戸に毒を入れた」といった流言が広まり、関東一円で朝鮮人や、朝鮮人に間違えられた多くの人々が虐殺されました。

内務省や警察が流言を拡散してしまったことが事態を悪化させ、一部では軍人や警官自らが虐殺に手を染めたことは、内閣府中央防災会議がまとめた「1923関東大震災報告第2編」でも指摘されています。

歴代の都知事が、横網町公園の朝鮮人犠牲者追悼碑の前で行われる虐殺犠牲者追悼式典に追悼のメッセージを送ってきたのは、「二度と繰り返さない」という東京都の決意を示すものでした。またそれは、1973年の追悼碑建立の際に当時の都知事はもとより東京都議会の各会派が賛同した経緯をふまえたものでもあったはずです。碑の建立と毎年の追悼式に参加してきた人びとの思いは決して軽くはありません。

ところが小池都知事は三年前から、メッセージ送付を取りやめました。私たちは、この誤った判断が、むしろ「逆のメッセージ」として機能することを恐れます。史実を隠ぺいし歪曲しようとする動きに、東京都がお墨付きを与えてしまうのではないか。それは追悼碑そのものの撤去まで進むのではないか。差別による暴力を容認することで、災害時の民族差別的流言の拡散に再びつながってしまうのではないか ---。メッセージ取りやめが、そうした方向へのGOサインになってしまうことを、私たちは恐れています。

東京は、すべての国の人々に開かれた都市です。さまざまなルーツをもった人々が出会い、交わる街です。その出会いが、この街に次々と新しい魅力を生み出してきました。多様性は面倒や厄介ではなく豊かさだと、私たちは考えます。街を歩くたびに聴こえてくる様々な国の言葉は、東京の「恐ろしさ」を示すものではなく、豊かさの証拠であることを、私たちは知っています。

東京の多様性をさらに豊かさへと育てていくためには、民族をはじめとする差別が特定のマイノリティー集団に向けられる現実を克服していく必要があります。民族差別が暴力として爆発した94年前の朝鮮人虐殺を記憶し、追悼し、教訓を学ぶことは、そのための努力の重要な一部であると、私たちは考えます。それは、多民族都市・東京のいわば「負の原点」なのです。

私たちは小池都知事に訴えます。来年9月には虐殺犠牲者への追悼メッセージをあらためて発出してください。虐殺の史実を教育や展示から排除するような方向に、これ以上進まないでください。

そして、いま東京に生きている、あるいは東京に縁をもつ人々にも訴えます。97年前に不当に生命を奪われた隣人たちを悼み、それを繰り返さないという思いを手放さないでください。虐殺の史実を隠ぺいし捻じ曲げる動きを許さず、未来の世代に教訓として伝えていくべきだと、行政に、都議や区議に、声を届けてください。そのことが、多様性が豊かさとして発揮される東京をつくっていく上で重要な意義を持つと、私たちは考えます。

私たちは、9月1日に行なわれた朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典に対しての追悼メッセージ送付を三年連続で取りやめた小池百合子都知事の決定に、抗議します。多民族都市・東京の多様性を豊かさとして育んでいく上で、関東大震災時の朝鮮人虐殺という「負の原点」を忘れず、民族差別によって非業の死を遂げた人々を悼むことは重要な意義をもっていると考えます。

多民族都市・東京の多様性を豊かさとして育んでいく上で、関東大震災時の朝鮮人虐殺という「負の原点」を忘れず、民族差別によって非業の死を遂げた人々を悼むことは重要な意義をもっていると考えます。


3年前の「小池都知事の朝鮮人虐殺犠牲者追悼メッセージ取りやめに抗議します」


コロナ対策のため、今年の追悼式典は一般参加はできませんでした。
ネット中継のアーカイブスでご視聴いただければと思います。



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24年前のルーシー

2020-09-01 | Weblog
昨日夕方、事務所で過去の書類を整理していて、90年代、ウィーン芸術週間を皮切りに、三度にわたってワールド・ツアーをした燐光群『神々の国の首都』の、海外での公演資料や宣材をまとめた箱を片付け、重複したものや必要ない事務書類を破棄して、三分の一の分量に減らした。
その時出てきたのが、1996年マケドニアのMOTフェスティバルに参加したときの、同じフェスティバルに参加していた、Theatre de Complicite(テアトル・ド・コンプリシテ)の90年代の代表作『ルーシー・キャブロルの三つの人生』(The Three Lives of Lucie Cabrol)のパンフレット。
表紙は、24年前、ルーシーを演じていた、リロ・バウアーである。

『ルーシー・キャブロルの三つの人生』、作・演出は、Simon McBurney(サイモン・マクバーニー)、その前年に日本でもグローブ座で来日公演があった。その時も観て、感銘を受けた。
そして翌年、東欧4カ国ツアーの最後、マケドニアのMOTフェスティバルに招聘された。国立劇場メインシアターで上演された三本のうちの二本が、『ルーシー・キャブロルの三つの人生』と『神々の国の首都』、だった。
『ルーシー・キャブロルの三つの人生』が大絶賛上演された直後に同じ劇場で私たちが『神々の国の首都』を上演したさいのプレッシャーは忘れられない(私と音響の島猛は早入りして現地でも観たのだ)。幸い『神々の国の首都』も、大受けしたのだが。

このパンフレットはそのとき手に入れたはずである。
その二年後、ロンドン・ノッティングヒルのゲートシアターのレパートリーとして私の『くじらの墓標』イギリス版が上演されたとき、コンプリシテから、リロ・バウアーとクライヴ・メンデス両氏が出演してくれた。日本では中山マリと鴨川てんしが演じた役だ。
ルーシー・キャブロルが俺の戯曲を演じてくれている、という感激。サイモンも現場周辺をうろうろしていたし、初日のアフタートークはデビッド・ルヴォーと私だった。恵まれたロンドン・デビューだったが、イギリス演劇界の壁は厚い。その後私の作品はロンドンでは『ブラインド・タッチ』がリーディング上演されたのみだ。『神々の国の首都』1998年のツアーには、ロンドン・グローブ座『お気に召すまま』でシーリアを演じたTONIA CHAUVETが出演してくれたことはあるが。(以上、過去情報の再掲部分も含む)

その後、サイモン・マクバーニーが日本で初めて演出した「Elephant Vanishes(エレファント・バニッシュ)」には、半沢直樹の堺雅人さんも出ているが、同作と、続けてサイモンが日本で作った「春琴」、両方に、立石凉子さんが出ている。
サイモンが日本で20年前にやっていた「陰影礼賛ワークショップ」が、「春琴」になったのだった。

時は過ぎる。
演劇は残らない。
時には過去を振り返るが、そういうものだ。

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