定例教育委員会で「コロナ禍を解消するには戦争」と発言した新潟県燕市教育長が、不適切な表現だったとして、辞任する意向を明らかにした。
この方、「あたかも戦争を是認すると読み取れる部分があった」としたうえで、「真意が別のところにあった」と、言い訳している。
一万歩譲って、「誤解を招く表現」だったとして、それでも、「誤解ということはありえない」部分がある。その発言が載った「定例教育委員会々議録」の存在を私に教えてくださった方がいて、知ることになった。
前回のブログで私は「この教育長、中国とアメリカが自国以外の地域で戦争を始める、その場所を、いったいどこだと思っているのだろう。」と記した。
それがどこだか、わかったのだ。
教育長の「定例教育委員会々議録」上の言葉は、以下のくだりがある。
「今のコロナ禍を短時間で解消する方法は、どこかで大きな戦争が発生することではないだろうか。中国とアメリカが自国以外の地域で戦争を始めれば、お金は動く。
コロナ騒動などそっちのけで、ミサイルの発射の瞬間が繰り返し放送されるだろう。きっと経済が上向くきっかけになるのではないか。クリミアでもいい。
紛争とか戦争が始まれば武器という商品で経済は回復するだろう。罪のない人間 の命との交換である。他に何かいい策があるのだろうか。愚かな人間であり続ける 限り、注目の矛先を変えることでしか事態を乗り越えられないのかもしれない。」
はい。
この人、明確に「クリミアでもいい」と言っている。名指している。
「クリミアでもいい」。なんじゃそりゃ。
戦争も、それが起きるかもしれない場所で人間が生きていることも、この教育長にとっては、遠いことなのだろう。
現在、クリミアで紛争が起きるリアリティは、ほぼ、ない。
この人、国際情勢がわかっていない。
なぜないかわからないなら教えてあげてもいいが、授業料は、いただきたい。
ただ、この人が、「ミサイルの発射」と言っている標的の場所が「クリミア」なのである。
そこに生きている人達が殺されるかもしれないのに、「クリミアでもいい」と言っている。
そのクリミア半島に7年前、十日間滞在した。〈ヤルタ・チェーホフ・フェスティバル〉に参加し、『屋根裏』という劇の上演をしたのだ。
この教育長さんは、その場所に向けての「経済が上向くきっかけ」の「ミサイルの発射」の可能性を示唆し、「クリミアでもいい」と言っている。
私はあなたの想像の中で、殺されていたのかもしれない。
そういうことである。
写真は、私たちが上演中だった、ヤルタ・チェーホフ劇場。