Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

これから番組収録

2020-09-13 | Weblog
これから番組収録。
会場がビルの四階で、なんと、五百メートル先に、私が十八歳まで十年以上住んだ辺りが見下ろせる。
左の県道から右は、道沿い以外はほぼ田んぼばかりだったのだが、これではまるで「街」ではないか。
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大坂なおみ選手の7枚のマスク

2020-09-13 | Weblog
テニスの4大大会、全米オープン、女子シングルス決勝は、大坂なおみ選手が制した。

日系選手だから取り上げるわけではない。
「大坂選手の決断は「主義主張があれば棄権してもいい」ではなく、「差別に対する真剣で緊急性の高い抗議」であることを、子供たちに伝えるべき」という記事を数日前に出したように、人種差別に対する抗議活動にも感心させられている。

「ウェスタン&サザン・オープン」に続いた「全米オープン」の7試合で彼女は、入場時等につける黒のマスクに、過去に黒人差別により亡くなった人々の名前を記し、人種差別への抗議を続けてきた。
試合ごとに違う人種差別の犠牲者たちの名前をプリントしたマスクを着用してコートに出ていたというニュースに、胸打たれた。
用意したマスクは計7枚ということで、決勝進出を果たしたことで、すべてのマスクを披露できることになったわけである。
「テニスは大多数が白人のスポーツ。自分が代表者のように感じている。負けてはいけないように感じる時もある。でもそれはとても大きな誇りの源」「世界中の人に被害者がどういう人かを知ってもらい、関心が広がれば」と語っているという。このことが、大坂選手にとって、モチベーションになっていた、ということだ。

デイリースポーツ等の報道にマスクに記された名前についての記述がある。これは引用させてほしい。

◇1回戦  ブレオナ・テーラー  今年3月、ケンタッキー州で薬物事件捜査の警官に自宅に踏み込まれて射殺された黒人女性。事件とは無関係とみられている。  大坂のコメント「ただ、気付いてもらおうと思った。もっと関心を持ってもらうため。今大会は7枚のマスクを用意している」  

◇2回戦  エリジャ・マクレーン  昨年8月、コロラド州で警官に押さえつけられ、その後に病院で亡くなった黒人男性。  大坂「彼のストーリーを読んで心を痛めた。悪く書かれたものは一つもなく、優しさにあふれた男性だった。彼の名前を表現することができ、特別な日になった」  

◇3回戦  アマード・アーベリー  今年2月にジョージア州でジョギング中、白人男性にトラックで追い掛け回されて射殺された黒人男性。  大坂「あんな惨事は起こる必要がなかった。みんなに知ってもらいたい。みんなとつながっている気がする」  

◇4回戦  トレイボン・マーティン  12年2月にフロリダ州で自警団員に射殺された当時17歳の黒人男性。「ブラック・ライブズ・マター(黒人の命も大事だ)」運動の始まりに。  大坂「彼の死はハッキリと覚えている。当時、私は子供だった。何が起こっているか?に目を開かせてくれた。同じことが何度も繰り返されるのは悲しい。変わらないといけない」  

◇準々決勝  ジョージ・フロイド  今年5月にミネソタ州で警官に首を地面に押さえつけられて死亡した黒人男性。現在における抗議運動拡大のきっかけとなった。この試合後に、これまでに着用した被害者の家族から感謝のメッセージが届き、涙。  大坂「自分がしていることに感動してもらえて、グッとくるものがあった。私は意識を広めるためのただの器でしかない。痛みを抑えることはできないけど、なんでもお手伝いできれば」  

◇準決勝  フィランド・キャスティル  16年に警官に車の停止を命じられた後、取り調べ中に射殺された黒人男性。この試合の勝利で、マスクをすべて披露できることに。  大坂「できるだけ多くの名前を出そうというのが、大きなモチベーションになった。私は多くの人にこの気持ちを届けたいし、注目してもらいたい」

◇決勝 タミル・ライス 14年に警察官の発砲を受けて死亡した12歳(当時)の少年。事件はオハイオ州クリーブランドで、銃のようなものを所持した少年がいるとの通報で駆け付けた警察官がライス君に発砲。手にしていたのはエアガンと判明した。


私のブログは、1996年から2003年まで、海外メディアの「OCS NEWS」に連載していた社会時評を継続しているような気持ちがある。今はSNSの時代だから必要がないのかもしれないが、当時は、海外在住者に、日本の様子を伝えるものだった。今も、海外在住者などで逆に「情報が多すぎて何を見ていいかわからない」という人のために書くつもりがあったりする。自分自身の備忘録でもある。
ただ、ほんとうに自分でも残しておきたい気持ちになって記すことがある。今回の大坂選手の話のように、肯定的な意味でそう思えるときは、幸せだ。
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成田尚哉さんが亡くなった

2020-09-13 | Weblog
成田尚哉さんが亡くなった。
最後のプロデュース映画『空の瞳とカタツムリ』の製作を担当した松枝佳紀さんが詳細を教えてくれる。

出会いは、80年代前半のはずである。廣木隆一監督を通してだと思う。
NCP時代、『東京ゴミ袋』映画化で五年くらいああだこうだとやっていたと思う。途中から加藤正人さん、安藤尋さんも入った。
映画化は果たせず、その内容にインスパイアされた形で『リア王』の要素を入れて、1990年、『ブレスレス ゴミ袋を呼吸する夜の物語』を作る。
『ブレスレス』戯曲集の後記で、成田さんへの御礼を書いている。

坂東眞砂子原作『蟲』映画化のこともあった。第1回日本ホラー小説大賞佳作だったか。
廣木さん成田さんと三人で、寄生虫博物館にシナリオハンティングもどきで行った日の記憶が、今、どっと迫ってきた。男三人で行くところじゃないなあ、と話したのを思いだした。デートコースにもお薦めはできない、云々。
シナリオは書いたが、こちらも映画化はならなかった。
『死国』『狗神』等、坂東作品はいっとき映画化ブームで、企画復活もあるかと思ったが、「子猫殺し」事件以来、彼女の存在はしだいに世間から忘れられていった。

私も演劇が忙しくなっていった。
何年間か成田さんの事務所は松原で、こちらの梅ヶ丘に近いから、住宅街の路上で、ばったり会って立ち話したりもした。
以来、時たま会うことはあったけど、何かやろうという話ももぞもぞしたこともあったけど、ながーいブランクだった。 
去年下北沢で呑んだのが最後と思う。

毒舌の皮肉屋だけどダンディな成田さん。
彼が初めて企画した一般映画『嗚呼!花の応援団』を観たのは、十代、岡山だった。石井隆さんを映画の世界に引っ張ってきたのも彼である。
人と人の関係の渦を作る人がいなくなると、ぽっかりと開いた穴が、えらく大きい。
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