資料を読み、書類をまとめる。ブロットの組み直し。事務。粛々と仕事。……普天間の座り込み、基地閉鎖状況を気にしつつ。高江からも普天間基地に駆けつけている人がいる。24時間の座り込みの覚悟で、睨み合い、小突きあい、怒鳴りあう中、野嵩ゲートに続いて大山ゲートも閉鎖に持ち込んだようだ。普天間基地内に出入りできないので、2004年8月の沖縄国際大学へり墜落事故の後ずっと使われていなかった佐真下ゲートを開門したが、その佐真下ゲートも封鎖。私が『普天間』で取材した仲宗根さんご一家が住まわれているのはこの表だ。かくして普天間基地すべてのゲートを閉鎖させた。戦後の米軍統治から現在にいたるまで、住民の力で基地を包囲できたのは初めて。沖縄の新しい歴史が開かれた。哀しいのは、住民と向き合う警察官も沖縄県民だということだ。何度も封鎖が破られ、機動隊にもみくちゃにされ、三人の住民が負傷、2人は肋骨にひびが入り、1人は脳しんとうで救急搬送されたという。午後7時過ぎ、抗議集会は大山ゲートの封鎖を解き、この日の行動を終えた。台風接近のため警察とのにらみ合いを続行するのは難しいと判断したのである。オスプレイ配備は週明けの1日に予定されている。……黙っていられない。じっとしていられない。でも仕事はしなくてはいけないので、そうした情報を聞きつつ、いったん、九十年代後半を中心にずっと仕事場にしていた近所(自宅じたいは移っているが、私の引っ越しは近くから近くへばかりなのである)のファミレスへ。禁煙席(今は喫煙席になっている)の端のコンセントに電源を挿すことのできた私のかつての「指定席」に。『天皇と接吻』も『海の沸点』も大半はここで書いた。通信はできない場所。腹を据えて仕事するが、携帯はつながるので気が散る面もあり。……今はコンセントに電源はさせない。それにしても、コンセントをお客に使わせないこの偏狭さは、何なのか。世界各国のカフェ等で、コンセントがあるのに使わせないなんてことは、まず、ない。このファミレスも、十年くらい前の改装以降、コンセントに蓋がされてしまった。豪徳寺のチェーン店のコーヒーショップでも、その頃、コンセントを使ったら、若い店員に叱られた。電気泥棒だとでも思っているのか。コンセントを提供するチェーン店もないわけではないが、この国特有のそういうよくわからない「ルール」への従属が、国を滅ぼすのだ。……帰宅、落ち着かない。息子と今後の進路について話。……フェイスブックで宣伝してくれと担当者に言われて、TPAM in Yokohama(www.tpam.or.jp)の関連イベントであるトーク・セッションの情報をシェアする。中根公夫さんが、今の状況と六十年代を貫いて語り尽くす「表現の自由をめぐって」。29日午後1時より開催。ヨコハマ創造都市センター(YCC)三階(詳細はこちらから→http://www.parc-jc.org/)。私も七十年代からの変遷と今について語らねばならないようだ。しかし、こんな地味な企画に、皆さん来てくれるのかしら。
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