最近ご紹介している街中華「しむら」で、八宝菜を頼んだ。
八宝菜と「五目あんかけ」の違いがわからないという意見もあるが、八宝菜は「八つの宝物のような素材のおかずが入っている」と受けとる人も多いだろう。
しかしこの「八」というのは、「いっぱい」という意味で、素材が八つということではないのだ、と、どこかで聞いた。
私のイメージする八宝菜は、白菜がいっぱい入っている、というイメージで、「八宝」よりも「菜」という言葉が強いのではないかと思っていた。白菜メインで、その場にあるあり合わせの素材が入るのだと。
というのは、亡父が、なぜか唯一作る料理が「八宝菜」だったのだ。理由はわからない。
「八宝菜」と、京都の学生時代によく食べたらしい「油揚げを焼いて醤油を掛けたもの」だけが、自分の料理だと言っていたのだが、油揚げを焼いて醤油を掛けたものを、父が作ったことはなかったと思う。
たいていの八宝菜は、とろみをつけるものだと思っていた。そこがちょっと凝った印象になる。作っていて嬉しい、ということもあるのだろう。
片栗粉を溶いて入れ、とろみをつけるだけで、一挙に「中華」の印象になるのは、面白い。
ラーメン店で、冷めにくくするためにとろみを付ける物を出す店もあった。
「しむら」の八宝菜は、とろみは薄めで、白菜もすこしで、見事に素材のおいしさが際立つ料理だった。
というか、みごとに紹興酒に合うのだった。
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