自民党石破幹事長が、憲法9条を改悪し審判所(軍法会議)設置に強い意気込みをみせる発言をしたBSテレビ番組の録画を観た。石破幹事長は、兵士が不服従の場合のことを想定し「歯止め」「規律」が必要と言い、信じがたいことだが「軍人のほうが大臣より上だ」と明言。はっきりと「文民統制」を否定した。「憲法九条の原則があればと安心する人たち」を揶揄し、「自衛隊の内部法を整えるほうが大切だ」と言っている。
昨日記した部分も正確に引用すれば、石破幹事長は「『これは国家の独立を守るためだ。出動せよ』と言われたときに、いや行くと死ぬかも知れないし、行きたくないという人がいないという保証はどこにもない。だから国防軍になったらそれに従えと。それに従わなければその国にある最高刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役300年なら懲役300年。そんな目に遭うぐらいなら出動命令に従おうっていう。人を信じないのか、と言われるけれど、やっぱり人間性の本質から目を背けちゃいけない」。
しかもこうした重罰を課すために「審判所」の設置は必要で、「公開の法廷ではない」と付け加えた。「審判所」はつまり軍法会議(軍事法廷)で、現行憲法では禁じられている。自民党改憲草案9条2の5項には「軍人その他の公務員が職務の実施に伴う罪か国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、国防軍に審判所を置く」とある。
審判所=軍法会議がいかにひどいものだったかについては、『戦場の軍法会議 日本兵はなぜ処刑されたのか』(NHK出版 NHK取材班・北博昭著)をお薦めする。例えば太平洋戦争末期、南方戦線で物資が困窮し、進軍などできない極限状態に追い込まれた日本兵たちのケース。生命の危機にさらされ食糧を求めジャングルをさまよったことを、誰が咎められるのか。「敵前逃亡」名目で軍紀引き締めの「見せしめ」として行われた処刑は、「並べてみんな銃殺」という杜撰さだった。多くは兵隊の数を減らす「口減らし」が目的だったという。遺族たちは「逃亡兵を出した家」と非難され、久しく遺族年金も支給されなかった。石破幹事長の言うような「精神論」の綺麗事ではすまされない。軍人しかいない法廷では「文民統制」など不可能、裁判が省略されることもしばしばで、多くは書類も作られなかったという。ある法務中佐は「作っていたら戦犯だ」と告白している。政府も内部資料が残っていれば処分し、証拠を隠滅した。ドイツでは第二次世界大戦中に逃亡罪に問われた兵士が、戦後「ナチスの命令に従わなかった者こそ英雄」として名誉回復を遂げ、讃えられた。逆に、日本で「東京裁判」を否定する者たちによる「「自虐史観」批判」は、世界から見れば「トンデモ」解釈で、今まできちんと取り合われていないからこそ助かっているが、多くの国と共有できていたはずの「戦争責任」認識・第二次世界大戦の処理じたいをあらためて否定することは、戦後の平和への取り組みを無に帰し、国際的「孤立」を選ぶことを意味する。
マスコミも世の中も、参院選前でかえって感覚が麻痺しているのかもしれないが、なぜ今回の石破発言は放置されているのだろう。徴兵制も言い立てている自民党右派である。戦争をしたくないと考える国民を戦場に送り、命令に従わなければ死刑だと恫喝しているのだ。これだけ現行憲法をないがしろにし、基本的人権を無視してみせる者が、何の咎めも受けずのうのうとしていられることじたいに、私は驚愕する。いつから日本はこんな国になったのか。私の常識では、民主的な社会であれば、彼らが放置されているわけがない。徹底的に非難されているはずだ。本来なら辞職でもしないと収まらないのが当然である。「参議院選挙で自民党に入れてはいけない」という程度の反応では、生ぬるいのではないか。
民主党の菅直人元首相は16日、東京電力福島第1原発事故を巡り、安倍首相が「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題したメールマガジンを掲載し続けているのは名誉毀損にあたるとして、首相に対して慰謝料など1100万円と謝罪を求める訴訟を東京地裁に起こした。安倍首相は、自身の公式ホームページ(2011年5月20日付)で、同年3月12日に行われた海水注入について「東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。しかし、やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だった」と記し、その後その情報の誤謬が指摘された後も、訂正しなかった。「海水注入が中断された事実そのものが存在しない。海水注入の中断を指示したという事実も存在しない(菅氏)」ことが明らかになった後もである。「ネット選挙」が解禁された以上、結果としてこれは対立陣営に対する「虚偽の工作」となったという指摘だ。
菅元首相はこの件で何度も安倍首相を訴えることをほのめかしていたが、なかなか実行に移さなかった。とにかく選挙前に、動いた。どうせなら衆議院選の前にするべきだった。菅氏は震災直後に「アメリカの支援を断った」とも言われていたが、それも虚偽だという。ずいぶんデマを飛ばされていたわけだ。……安倍首相は当座は無視するだろうが、世論・マスコミはきちんと追及してくれるだろうか。
昨日記した部分も正確に引用すれば、石破幹事長は「『これは国家の独立を守るためだ。出動せよ』と言われたときに、いや行くと死ぬかも知れないし、行きたくないという人がいないという保証はどこにもない。だから国防軍になったらそれに従えと。それに従わなければその国にある最高刑がある国なら死刑。無期懲役なら無期懲役。懲役300年なら懲役300年。そんな目に遭うぐらいなら出動命令に従おうっていう。人を信じないのか、と言われるけれど、やっぱり人間性の本質から目を背けちゃいけない」。
しかもこうした重罰を課すために「審判所」の設置は必要で、「公開の法廷ではない」と付け加えた。「審判所」はつまり軍法会議(軍事法廷)で、現行憲法では禁じられている。自民党改憲草案9条2の5項には「軍人その他の公務員が職務の実施に伴う罪か国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、国防軍に審判所を置く」とある。
審判所=軍法会議がいかにひどいものだったかについては、『戦場の軍法会議 日本兵はなぜ処刑されたのか』(NHK出版 NHK取材班・北博昭著)をお薦めする。例えば太平洋戦争末期、南方戦線で物資が困窮し、進軍などできない極限状態に追い込まれた日本兵たちのケース。生命の危機にさらされ食糧を求めジャングルをさまよったことを、誰が咎められるのか。「敵前逃亡」名目で軍紀引き締めの「見せしめ」として行われた処刑は、「並べてみんな銃殺」という杜撰さだった。多くは兵隊の数を減らす「口減らし」が目的だったという。遺族たちは「逃亡兵を出した家」と非難され、久しく遺族年金も支給されなかった。石破幹事長の言うような「精神論」の綺麗事ではすまされない。軍人しかいない法廷では「文民統制」など不可能、裁判が省略されることもしばしばで、多くは書類も作られなかったという。ある法務中佐は「作っていたら戦犯だ」と告白している。政府も内部資料が残っていれば処分し、証拠を隠滅した。ドイツでは第二次世界大戦中に逃亡罪に問われた兵士が、戦後「ナチスの命令に従わなかった者こそ英雄」として名誉回復を遂げ、讃えられた。逆に、日本で「東京裁判」を否定する者たちによる「「自虐史観」批判」は、世界から見れば「トンデモ」解釈で、今まできちんと取り合われていないからこそ助かっているが、多くの国と共有できていたはずの「戦争責任」認識・第二次世界大戦の処理じたいをあらためて否定することは、戦後の平和への取り組みを無に帰し、国際的「孤立」を選ぶことを意味する。
マスコミも世の中も、参院選前でかえって感覚が麻痺しているのかもしれないが、なぜ今回の石破発言は放置されているのだろう。徴兵制も言い立てている自民党右派である。戦争をしたくないと考える国民を戦場に送り、命令に従わなければ死刑だと恫喝しているのだ。これだけ現行憲法をないがしろにし、基本的人権を無視してみせる者が、何の咎めも受けずのうのうとしていられることじたいに、私は驚愕する。いつから日本はこんな国になったのか。私の常識では、民主的な社会であれば、彼らが放置されているわけがない。徹底的に非難されているはずだ。本来なら辞職でもしないと収まらないのが当然である。「参議院選挙で自民党に入れてはいけない」という程度の反応では、生ぬるいのではないか。
民主党の菅直人元首相は16日、東京電力福島第1原発事故を巡り、安倍首相が「菅総理の海水注入指示はでっち上げ」と題したメールマガジンを掲載し続けているのは名誉毀損にあたるとして、首相に対して慰謝料など1100万円と謝罪を求める訴訟を東京地裁に起こした。安倍首相は、自身の公式ホームページ(2011年5月20日付)で、同年3月12日に行われた海水注入について「東電はマニュアル通り淡水が切れた後、海水を注入しようと考えており、実行した。しかし、やっと始まった海水注入を止めたのは、何と菅総理その人だった」と記し、その後その情報の誤謬が指摘された後も、訂正しなかった。「海水注入が中断された事実そのものが存在しない。海水注入の中断を指示したという事実も存在しない(菅氏)」ことが明らかになった後もである。「ネット選挙」が解禁された以上、結果としてこれは対立陣営に対する「虚偽の工作」となったという指摘だ。
菅元首相はこの件で何度も安倍首相を訴えることをほのめかしていたが、なかなか実行に移さなかった。とにかく選挙前に、動いた。どうせなら衆議院選の前にするべきだった。菅氏は震災直後に「アメリカの支援を断った」とも言われていたが、それも虚偽だという。ずいぶんデマを飛ばされていたわけだ。……安倍首相は当座は無視するだろうが、世論・マスコミはきちんと追及してくれるだろうか。