Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

宮古島で 1.19 石嶺かおりトークライブ に出ます

2017-01-18 | Weblog
1月19日、宮古島で「石嶺かおりトークライブ」 に出ます。
会場は、マリンターミナル二階。(沖縄県 宮古島市平良下里108−11平良港ターミナルビル)
18:30 開場。19:00 スタート。

石嶺香織さんは市議補選候補。『天使も嘘をつく』のモデルのうちのお一人です。
チラシでは伏せられていたスペシャルゲストは、市長候補の奥平一夫さん。
住民を裏切って現市長が容認に傾いている「宮古島への陸上自衛隊配備計画」を明確に拒否しているのは、このお二人。
明日は翁長沖縄県知事も、ふたたび応援に駆けつけてくれるそうです。

イラストのリンゴの顔は香織さんの新トレードマーク「カオリンゴ」なのだが。かわいいといえばかわいい。「顔リンゴ」と当て字するとちょっと怖い、って、言っちゃ駄目ですよ。

私はまだ東京にいます。東京に戻ってもほとんど家にも事務所にも居ないので身近な人に呆れられたり迷惑をかけたりしている新年早々です。じっさい、いろいろ働いてはいますが。読み合わせも始まったし、会議やもろもろ打ち合わせも多く。日曜は「劇王東京」の審査員もして、一緒に審査したじんのひろあきとほぼ同じ審査内容だったり、IKKANと初めて話したり。今日はシナリオ作家協会のシナリオ講座の授業だった。まだ書けないものもあるが、あれこれと打ち合わせもしたし、妙な会にも出たし、会いたかった人、初めての人も含めて、いろんな人にも会った。今は仕上げなければならない原稿が溜まっているうち、また一つを仕上げようとしている。

さて、たったいま届いた、トークライブまとめ情報は、以下の通り。

⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯

【市議候補石嶺かおり 1.19トークライブ】
💖オクヒラ一夫候補も来るよ!💖
 時:1月19日午後6時半開場、7時開始
場所:宮古島 マリンターミナル2F

プログラム:

 第一部 三上智恵監督『マガジン9』上映 プラス 石嶺かおりトーク
     てぃだぬふぁの歩とかおりさんの想いがたっぷり詰まった映像です

 第2部 坂手洋二演出『天使もウソをつく』舞台映像上映
     トークセッション 💖石嶺かおり💖オクヒラ一夫💖坂手洋二
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第22回劇作家協会新人戯曲賞 選評 発表

2017-01-17 | Weblog
第22回劇作家協会新人戯曲賞の選考経過が協会HPで発表された。

最終候補作
 『もものみ。』   守田慎之介 (福岡県)
 『プラヌラ』    高石紗和子 (東京都)
 『触れただけ』   南出謙吾 (東京都⇒大阪府)
 『カミと蒟蒻』   長谷川源太 (京都府)
 『the Last Supper』 太田衣緒 (東京都)

最終選考委員
  川村 毅、鴻上尚史、坂手洋二、鈴江俊郎、佃 典彦、土田英生、マキノノゾミ
  (司会:瀬戸山美咲)

なんだか今回は 最終選考委員みんなが気合いを入れて書いている。みんな真面目である。
選考過程は瀬戸山美咲が書いている。

ふと気づいたが、審査員が若い。みんな六十歳以下である。

南出謙吾 『触れただけ』が受賞作だが、必ずしも絶賛されていないのは、毎年のことではある。
南出謙吾さんは、劇作家協会戯曲セミナー研修課での私が担当している生徒なのだが、ふだんの言動も面白い人材なので、これから多方面に大いに羽ばたいてほしい。
まあ、賞というものは、とってしまったらとってしまったで、これからがたいへんだ。
「追う者より追われる者の方が弱いんじゃ」と、『仁義なき戦い』の台詞にもあるように、追いかけ、乗り越えようと、噛みついている側の方が強いのは、当然なのである。


協会HP該当欄は、以下。



http://www.jpwa.org/main/drama-award/prize/22th-senpyo#senpyou
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ドゥテルテ大統領にミサイル提供を申し出て「私は第三次世界大戦を見たくない」と断られた安倍首相

2017-01-16 | Weblog
フィリピンのドゥテルテ大統領は、フィリピンにミサイルを提供したいという日本の総理大臣安倍晋三による申し出を辞退し、「私は第三次世界戦争を見たくない」と言ったという。

フィリピン・スター紙の報道による。
https://sg.news.yahoo.com/duterte-rejected-japan-missile-offer-000000071.

ドゥテルテ大統領は、「もし私達が三度目の世界大戦を始めるならば、それは世界の終わりであるであろう」「実際、私は安倍総理大臣に、私にはミサイルが必要ではないと話した」と言った。「ロシアが、フィリピンに潜水艦を提供する申し出を始めた後に、日本の申し出が来たけれども、国防長官もそれを持つ余裕がないと言っている」。
ドゥテルテ大統領は、国がどのような外国とも軍隊同盟を持つことを拒否する自身の意思を繰り返した。
「私は外国の兵士がない国を望んでいる。今のままがいい。」
じっさい、フィリピンは、米軍基地を追い出したのだ。

安倍首相は、戦争をやりたがっている駄々っ子であるという印象を全世界に持たせていると同時に、戦争で儲けようとしていることを恥じない厚顔を晒している。本人はそれがどんなに醜悪なことであるかを知らないのである。

日本のマスコミはドゥテルテ大統領を「暴言」「野蛮な政策」でトランプと同列に扱おうとしているが、じっさい、九割近い国内支持率を誇るドゥテルテ大統領の人気は、彼の政策と外交能力に裏打ちされている。少なくとも安倍首相より遥かに賢明で大人だ。

私は最新作『天使も嘘をつく』の中で、南シナ海の「ドゥテルテ大統領が数ヶ国の交わる領土問題に於いて、、棚上げ」を選択している理知があることに言及した。

「中国の脅威」を言い募る人たちは、それを煽っているのが日本政府自身であることを知るべきだろう。
外交能力のない、努力さえしない国が、開き直って「戦争こそが解決法だ」と言い募っている姿である。

日本政府が南西諸島に自衛隊を配備しようとして、「中国の脅威」キャンペーンを張っている。
ドゥテルテ大統領同様に、私たちもきっぱりと拒否すればいいだけである。
まずは、自衛隊配備問題で揺れる選挙戦、宮古島市長・市議補選に於ける民意で、それが示されることに期待する。投票は22日である。

写真は、昨年九月に訪ねた、フィリピン・セブの障害者職業訓練学校内の、スロープ。
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正月二之席の末廣亭

2017-01-15 | Weblog
作家の秋山真志さんのかねてからのお誘いに乗り、久しぶりに寄席に。新宿末廣亭。今はなき小劇場タイニイアリスが最初にあった場所のすぐそば。一步足を踏み入れるだけでタイムスリップする感覚は相変わらず。こんなに身近に江戸であり東京の文化のエッセンスに出会える場所があるのだ。
正月二之席。入れ替えなしなので、昼の部の終わり頃から入る。入れ替えなしだと正午から夜九時までぶっ通しでいられるわけだ。
昼の部は柳亭市馬師匠のトリ。夜の部は、前座と二つ目の関係のスリリングさも味わいつつスタート。三遊亭金馬現役七十七年めの口跡の鮮やかさに唸る。
トリは柳家小三治師匠。小三治師匠は四半世紀以上前に私がホンダの交通安全広報誌の仕事をしていたさい、何度かお世話になっている。当時小三治師匠はライダーズチーム「転倒虫」を率いていて、弟子筋は強制的に入っていたはずである。鈴鹿サーキットでも二回取材した(師匠がレースに出たわけではない。交通安全のイベントに出ていたのである)。
この日の師匠は、あえて古典じゃないところで毒を吐き、なんともアナーキー。本筋に入ってからはまた鬼気迫るものがあった。
終演後、秋山さんのお膳立てで、トリが今の小三治師匠になる前からヒザ(トリの前の芸)を担当する、紙切りの林家正楽師匠、秋山さん馴染みの皆さんと一献。
正楽師匠は芸の見事さは当然として、話も面白く、魅力的な方だ。夜も更け、芸や寄席社会についての蘊蓄も聞き、楽しい夜であった。
秋山さん、ありがとうございました。
昨年末は金原亭馬生師匠とご一緒する機会があった。私は古典芸能についてはまったく不勉強なのだが、今からでも少しずつ、とは思う。

それにしても、出られる人数が限られている寄席は、シビアな世界である。だが同時に、寄席が人を育てる。一人一人の芸でありながら、寄席という場が、学校であり擬制の劇団である要素を、豊かに持っている。こんな見事なお手本が身近にあることを、現代演劇は忘れている。
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高野病院と「やまゆり園」のあいだ

2017-01-14 | Weblog
年明けすぐに、福島県双葉郡広野町の高野病院に行った。高野英男院長が年末に亡くなられたお悔やみだった。「じむちょー」こと高野己保事務長の奮闘、支える人たちの献身に頭が下がる思いばかりだった。
3月末までの2カ月間、都立駒込病院の医師中山祐次郎氏が2月1日付で常勤医・院長に就任することになったという。当座のことは決まって、安堵した。
写真は常磐線広野駅。ここから歩いて十五分の位置の高野病院は、福島第一原発から二十二キロに在する。広野駅の次は、木戸駅。震災・原発事故から六年、常磐線はそこで止まっている。

かつて救急病院であったこともある高野病院院だが、「慢性期病院」「療養型病院」として、「動かせない患者たち」を抱えていた。そのことが、震災・原発事故後、患者たちを守って存続する判断に繋がった。
過去のブログでも触れている。

http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/46e12a0ae3ad91e4b2180581ccb94d2f
http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/19e3be721a1a78a1e992b7c0aa467806

46人が殺傷された相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」事件の衝撃は、半年以上経過した今でも消えるものではない。神奈川県は津久井やまゆり園建て替え計画(津久井やまゆり園再建基本構想)を進めている。
1月10日、「津久井やまゆり園再建基本構想に関するヒアリング(公聴会)」が行われた。私も傍聴に行った。
この件について、県の側は、やまゆり園入所者への意向確認を行ったとしているが、そこには大きな問題点があるようだ。

思い出すのもつらくおぞましい事件があった場所に、そのまま住みたいと思うだろうか。事件後入所し続けている方は、三分の一くらいに減ったと聞いている。彼らは、本当に他に行き場のない人たちなのかもしれない。
そして、入所者の方はほんとうに今の計画の形を望まれているのか。家族が「本人の意思」を代弁してしまっている場合が多いらしいということがある。家族との緊張関係を持っている入所者もいるかもしれないときに、確実に本人とやりとりできているかどうかということが、疑わしい。
神奈川新聞によれば、回答は入所者約130人のうちの約70人とおよそ半数のみで、「やまゆり園のような施設を今後の住まい方の希望」と答えたのは、回答者の2割、すなわち入所者の15.7%ほどでしかないという。そもそも「やまゆり園のような施設」であって、「やまゆり園」そのものに戻りたいかどうかは、別な話のはずだ。
やまゆり園の再建は、入所者たちの多数意見ではなさそうなのだ。

にも関わらず、「3月に決定する」ということが前提で、アリバイ作りのような公聴会だった。
私は傍聴したが、当初は関係団体のみ対象とするとして、県は傍聴枠を設けていなかったという指摘もある。
そして、多くの問題を抱えているにもかかわらず、ヒアリングはこの一度のみで、もう行わないと、県関係者は断言した。
県庁内では、「入所当事者への意向確認作業を続けていく」という意見と「続けない」という意見が両方出ていて、対応の杜撰さを浮き彫りにしている。
なぜ3月までに決定することを、急がなければならないのか。その「お役所仕事」的進行に問題はないのか。
もっと時間をかけて丁寧に進められないのか。当事者や関係団体の皆さんも切実に考えておられるように思う。話し合いを続けるべきである。

この建て替え計画の件については納得できないことが山のようにあるが、またあらためて。

そして私は、「やまゆり園」の事件で犯行に及んだ一人以外の、他の職員の方々が、いかに苦しみ、悩んだかを考えると、そのこともいたたまれない思いがする。

高野病院は、原発事故後、広野町が避難指示を出したが、高野英男院長は「動かせない患者」三十七人と看護師十人らと共に、病院に残る選択をした。転院で患者を死なせずにすんだ、三十キロ圏内で唯一の病院となった。
高野病院は、大切にしなければならない人は誰なのか、それを忘れなかったということだ。
そして、現場の医療のみでなく、運営と存続の方法について、時に対立をおそれず、町や県、国とも、向き合っている。
他と比べるとか、そういうことではない。
人の命を預かる仕事のたいへんさに、あらためて思いを馳せている。
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『くじらの墓標 2017』読み合わせ開始

2017-01-13 | Weblog
『くじらの墓標 2017』の読み合わせを開始した。
上演は、3月18日(金)〜31日(金)。吉祥寺シアター。
本格的な稽古は2月から。
1月中は三回の読み合わせだけだ。あと一回。

『くじらの墓標 』は、1993年1月初演。
鴨川てんし、中山マリが初めて燐光群に出演した芝居である。
空間演技の鴨川てんし、スーパーカンパニーの中山マリが共演するだけで話題になったものだ。じっさい、二人の初共演はわくわくしたし、見ものだった。読み合わせしていると、その時のことを思い出す。お二人が劇団員になるより、だいぶ前のことだ。
その二人に加え、猪熊恒和、川中健次郎も、初演と同じ役になるはずだ。24年経っているというのに。
昨日は大西孝洋も久しぶりにけいこ場に来る。大西は、初演・再演とは違う役を演じることになるはずだ。
再演といっても初演翌年の1994年だ。全国公演もあり、名古屋ではロマン座という映画館で上演した。結構たいへんな仕込みだった。京都では京都大学西部講堂だった。「アングラ」の季節はまだ終わってはいなかった。
初めてこの劇に参加する若い俳優はどきどきしているようだが、彼らを羨ましいと思う先輩諸氏も多い。既に上演してしまった者たちは、この世界を初体験できる喜びは、味わえないのだから、ということだ。まあしかし、再演全国ツアーからいっても、22年経っている。それはそれで新鮮な手応えではあるだろう。

初演の稽古は、梅ヶ丘に稽古場ができたばかりの時だった。
年末年始を挟んで稽古したものだが、年末最後の通し稽古をしたときの高揚感は忘れられない。
興奮さめやらぬまま、皆、帰る気持ちになれず、稽古場に遅くまで残っていたことを思い出す。

写真は、劇のモデルになっている宮城県鮎川を今年久しぶりに訪れたときのもの。
この、青い、対になっている港のモニュメントは、平地の建物等は悉く流し去ってしまった津波に耐えて、残った。
再訪の旅のブログは、以下。

http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/86a2484a644abf742f41a0a4d388cdcc
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山城博治さんらの釈放を求める参議院内集会

2017-01-12 | Weblog
山城博治さんらの釈放を求める参議院内集会。
集会前の別な会議室での記者会見も、講堂に移ってからの本集会も、大きい部屋なのに、補助椅子も座りきれず、溢れる、人、人。
山城博治さんらの釈放を求めるため、賛同者が、那覇地裁、那覇地検に要請書を提出する「山城博治さんらを救え!」キャンペーンによるもの。
不当逮捕、不当な長期拘留をされている山城博治さんを即刻釈放すべきとアクティヴに考えている人が、東京にも、これだけいるのだ。
今回のことは、戦後日本でも比べられる例の少ない、「政治犯」に対する露骨な弾圧だ。
「共謀罪」が適用されたら、多くの平和活動家に対する「逮捕・拘留」を正当化する理由は、次々に、より多く捏造されてしまうだろう。
発起人の鎌田慧さん、落合恵子さん、佐高信さんらが次々に発言。
そして、今は家族との面会も許されていない拘留中の山城博治さんと弁護士の立場で面会した福島みずほさんの報告。その中で、博治さんがガンを克服したとはいえども、白血球の増加のため、カミソリで髭を剃ることを医師に止められていることから(出血すると止まらなくなる可能性あり)、「(伸びたままの髭のある)こんな顔ですみません」とみずほさんに言ったというエピソードが、とくに胸を締めつけられる思いだった。
ここにいる誰もが、こんなひどい時代が来るとは思わなかったはずだが、そんな事態が到来してしまった。
私は、平日昼とはいえ、集会参加者の年齢層が高すぎる、つまり、それぞれが、若い世代や新しい層に広がる動きが足りない、運動を敬遠している人たちにも浸透させていけるよう努力する必要があると思った。加えて、会の中で南西諸島の状況について言及される方もいたにはいたが、具体的に今月行われる宮古島での市長選・市議補選についても、それぞれができる形で働き掛けていく必要があることなどを最後に発言した。
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石嶺かおり後援会 てぃだぬふぁネット 始動

2017-01-11 | Weblog
石嶺かおり と てぃだぬふぁネット 始動。

とにかくここまでこぎ着けたということです。
でもいよいよこれからがたいへん。

ホームページできました。たいへんな苦労の末。おつかれさまでした。
説明は抜き。見てください。



http://tokushirou.wixsite.com/kaori/blank-1
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「ヒーロー」になれない年齢らしい

2017-01-11 | Weblog
「今年、2万人のヒーローが引退します。」というコピーが踊る、電車内の中吊り広告が、目にとまった。
久しぶりに東京の電車に乗っていたときだ。
「日本骨髄バンク」、ACジャパンの公共広告。骨髄を提供するドナーへの登録を呼び掛けるキャンペーンのキャッチコピーである。テレビやラジオでも流されている新しいCM。「骨髄バンク登録者」=匿名の「ヒーロー」ということだ。

で、「2万人が引退します」というのは、「18歳から54歳までという年齢制限などにより、年間2万人が引退しています」という事情からだが、「54歳まで」というのは、まさに「まもなく54歳でなくなる」当事者としては、うーむ、となってしまった。
ポスターの写真はイメージだから、「現役ヒーロー」として若い人の写真もいっぱいあしらわれている。骨髄バンクへの新たなドナー登録を促すために、「新しいヒーローが必要です」ということを訴えているのだから、もちろんもうすぐ引退する者は、あまり関係ないのだろう。
確かに骨髄バンクの登録ドナーは貴重な存在だ。私は今までなったことはない。たいへん申し訳ない気持ちになる。

思いがけず年齢のことを指摘されて驚いたが、私はそもそも年齢にも服装にもたいして気を使わない人間として生きてきた気がする。
そんな中、東北を巡る正月の短い旅の最中、一晩だけ郡山に立ち寄って「ユニット・ラビッツ」のリーダー佐藤茂紀と飯を食ったりしたのだが、そのとき、シゲに、なんと、革ジャンをもらってしまった。
私は冬場には比較的革ジャンパーを着用してきた傾向があると思うが、最近はそうでもなくなっていた。ユニクロのフード付き合皮ジャンパーがボロボロになったので着なくなってから、ほぼ着ていない。
郡山のライダー演劇人である佐藤茂紀は、東京に来てもバイク乗りらしい本格的な革ジャンパーをよく着ていたし、何しろ幾つも持っているということだった。それが似合うシゲは、かっこよいのだが、現役の高校英語教師としてその恰好で授業もしているようだ。
シゲがプレゼントしてくれたのは、なにしろ革ジャンパーといっても本格的なライダーズで、ずしりと重い。最近の軟弱軽薄なユニクロのウルトラライトダウンに馴れた身としては、「おっ」となる。
アメリカ製だから日本のものよりサイズも大きいが、「Mサイズ」である。着られるし、違和感はない。写真のように、中にウルトラライトダウンのベストを着るのは、なるべく避けた方がよさそうだが。
この写真は、ケータイで「自撮り」したものである。何しろガラパゴスなので、撮りながら自分の顔は見られない。当てずっぽうの撮影である。シゲと一緒の写真を彼がFacebookに挙げているが、肝心のシゲが革ジャンでないのでブログはこっちの写真にした。こんな写真もあえてアップして、今年は少しは身だしなみについて自戒したい、と言っているのも今のうちだけだろう。
ともあれ、シゲ、ありがとう。

Facebookといえば、巽孝之教授に紹介された Justine Wiesinger の文がいつも、英語できない私が読んでもどこかとぼけていて面白いのだが、たった今、コメント欄のところに彼女が珍しく日本語で「坂手さんのおかげで初めてイギリスへ行くことになった。オクスフォード大学の学会で『たった一人の戦争』の空間の使い方について話すつもりだ。興味深いセリフを読ませてありがとうございました!」という文が。
『たった一人の戦争』、今年、日本でも出版される予定があるので、未見の方、よろしく。
コメント (1)
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香織さんと翁長知事 宮古島

2017-01-10 | Weblog
この写真に写っているのは、「てぃだぬふぁ 島の子の平和な未来をつくる会」の石嶺香織さんと、ご家族、そして翁長雄志沖縄県知事である。
昨1月9日、宮古島から届いた。

石嶺香織さんは、宮古島への陸上自衛隊ミサイル部隊等の新たな配備に反対する主張を掲げ、宮古島市議会補選に出馬する旨を公表している。彼女が11月に安慶田副知事に「先島諸島への自衛隊配備に反対する要請書」を手渡したことは記憶に新しい。
燐光群昨年の最新作『天使も嘘をつく』では、彼女や「てぃだぬふぁ」メンバーをモデルにした登場人物が、自衛隊配備反対を掲げて市長選に出ることを決意する、という場面が登場している。
なんだか本当に現実と演劇がクロスしている。
もっとも、市長選のほうは、奥平一夫さんが陸自配備反対を明瞭に掲げて出馬することが決まっている。「市長選」でこの主張を明確にしているのは彼だけである。
石嶺香織さんが出るのは、「市議会補選」のはずである。
二つの選挙を控える宮古島。
はっきりと「陸自配備反対」を掲げるのは、それぞれこの二人だけである。

宮古と石垣の自治会では、自衛隊配備への反対決議が採択されているにもかかわらず、市長は民意を全く無視して受入れを表明するという事態になっている。
安慶田副知事は「国防は国の専権事項、国が丁寧に住民に対応するよう要望している」と、判断を逃げていた。

翁長県知事体制は「オスプレイ配備」への反対を表明している。
南西諸島に自衛隊が来れば、間違いなくオスプレイが飛来することになる。訓練にはもってこいである、という意見もあるらしい。
「オスプレイ配備」に反対するなら「陸自配備反対」は当たり前である。

そして昨日、翁長県知事は、市長選では奥平一夫さん支持を表明した。
それが事実だ。
知事は会見では奥平さん支持の理由に、これまで「オール沖縄」で支えてくれたことを挙げている。
情勢を見ての判断ということでもあるだろう。
「自衛隊配備を進める勢力が地元にきちんと説明をしていないし、理解を得られていない」という認識も、知事は言葉にしたという。
「陸自配備反対」を、奥平さんは翁長知事の前で明確に言いきった。

その前の1月8日には、三上智恵監督新作『標的の島 風かたか』の上映会が、宮古島公民館大ホールで行われた。
宮古島への「陸自配備」の問題がいかに逼迫しているか、映画を観た人たちは理解しただろうと思う。
米軍基地建設反対のリーダー、山城博治さんは、今も拘留されている。
外にいる者たちは、山城さんの無念を少しでも晴らし、彼が不在の間にも少しでも駒を進めておくためにも、この宮古島での民意の勝利を確実なものにしたいはずだ。
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『沖縄ミルクプラントの最后』東京演劇アンサンブルでの上演詳細発表

2017-01-09 | Weblog
『沖縄ミルクプラントの最后』東京演劇アンサンブルでの上演詳細が発表された。
私自身が演出した燐光群での初演は1998年。読売演劇大賞優秀作品賞の次点に入っていたと後で聞いた。
この戯曲は『海の沸点/沖縄ミルクプラントの最后/ピカドン・キジムナー (ハヤカワ演劇文庫 17) 』に収録されているので、すぐに読みたい方は、書店か通販でお求めください。

浦添のキャンプキンザーに実在した「沖縄ミルクプラント」については、石川真生さんの写真にものすごく刺激されて、多くの方にインタビュー取材し、また、当時具志川の全駐労にいた姻戚にあたる瀬長和夫さんから膨大な資料をいただいて、書いた。

東京演劇アンサンブル版はもう稽古が始まっているようだ。今週は数日間、宮城康博さんが琉球弁指導で東京に来る。
東京演劇アンサンブルは6月にその宮城康博さん作『浜下り外伝』や目取真俊作品リーディングも上演予定ということで、今年前半は沖縄に関わる演目が続くことになる。


『沖縄ミルクプラントの最后』詳細は以下の通り。
この劇団のホームページはちょっとこなれていなさすぎで、チラシ裏面の情報がアップされていないし、「あらすじ」はこれでいいのかどうか私が関知するものではないが、まあ、読まれたい方は読んでください、

http://www.tee.co.jp/stage-shoukai-image/okinawamilk/okinawa-milk.html


     ※      ※      ※      ※      ※      ※


沖縄ミルクプラントの最后

作 坂手洋二

演出 松下重人



美術 香坂奈奈

音楽 菊池大成

音響 勝見友理(ステージオフィス)

照明 真壁知恵子

歌唱指導 菊池大成

方言指導 宮城康博

ピアノ演奏 菊池大成

衣裳 竹内陽子

宣伝美術 竹内陽子・奥秋圭

映像操作 永濱渉

舞台監督 入江龍太

制作 太田昭



◆公演日程
3/9〜3/19

◆会場
ブレヒトの芝居小屋(西武新宿線・武蔵関駅より徒歩7分)


◆料金 
当日=4500円
前売一般=3800 円
前売学生=3000 円
★=Low Price Day 2500 円

全席自由
開場は開演の30 分前
入場は整理番号順。

◆チケット申込
東京演劇アンサンブル
TEL:03・3920-5232 FAX:03-3920,4433 ticket@tee.co.jp
カンフェティ

助成 文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)
協賛 ケンタウルスの会



キャスト

田端良顕(たばたりょうけん)・・・竹口範顕

与那嶺常政(よなみねつねまさ)・・雨宮大夢

仲村秀喜(なかむらひでき)・・・・三木元太

城間耕一(しろまこういち)・・・・和田響き

屋良直(やらただし)・・・・・・・熊谷宏平

平安年男(ひらやすとしお)・・・・坂本勇樹

砂川真栄(すながわしんえい)・・・小田勇輔

平良清信(たいらせいしん)・・・・伊藤克

伊佐寛徳(いさひろのり)・・・・・大橋隆一郎

国吉朋子(くによしともこ)・・・・洪美玉

下地末子(しもじすえこ)・・・・・原口久美子

久貝孝子(くがいたかこ)・・・・・冨山小枝

新川葉月(あらかわはづき)・・・・永野愛理

神山文枝(かみやまふみえ)・・・・町田聡子

与那嶺香織(よなみねかおり)・・・正木ひかり

松田(まつだ)・・・・・・・・・・上條珠理

佐久川(さくがわ)・・・・・・・・仙石貴久江



あらすじ

 1995年7月。沖縄米軍基地(浦添キャンプキンザー)内にあるミルクプラント工場。

 生産部監督の屋良直に引率されて工場見学を終えた新入社員仲村秀喜、城間耕一が冷凍庫の大扉から出てくる。そして締めくくりの、ミルクプラントで作られた還元牛乳と市販の生乳を飲み比べる。アメリカ国内でバターを絞ったあとの粉乳を加工してできたミルクと生乳。しかし、このミルクは米軍沖縄進駐から1996年まで基地内の軍人・家族を支え、ベトナム戦争に行く兵士を支えたのだった。

 このミルクプラントは日米安全保障条約、日米地位協定に基づくMLC(基本労務契約)とは異なり、米軍が入札によって決めるアメリカの民間業者に雇とわれており、契約が切れて業者が変わるたびに退職し、改めて雇用を確保しなければならなかった。そのために独自の組合を組織し、退職金の確保、契約改定を巡っての闘争をしてきたのだった。

 そのミルクプラントが閉鎖になるという。

 仲村秀喜は本土からのUターンで、彼の父、仲村秀意はかつてミルクプラントの冷凍室で働いていたが、秀喜が4歳の時、不慮の事故で亡くなっていた。その父の日記をもとに・・・

 1995年9月、米兵による少女暴行事件が起きる。
 1995年10月、組合はミルクプラントの操業継続、従業員のMLC移行、現行賃金労働条件の無条件保証を要求。
 1995年12月、ストライキに突入。

 ストの間にミルクを持って行かれないように残るという仲村に組合委員長の田端良顕が言う。

田端 あれは自殺じゃないさ。
仲村 ・・・・。
田端 確かにおかしな話さ。真っ昼間に、酒を飲んでいたわけでもないのにふらっと飛び出して、トレーラーの轢かれて死んだわけさ。だけど自殺ではないよ。俺の知っている仲村はそんなことはしない。
仲村 僕もそう思います。
田端、上着から赤鉢巻を取り出して、仲村に渡す。
仲村 ・・・・。

田端 最初の赤鉢巻闘争はベトナムの真っ最中だった。俺たちは24時間操業でミルクを作ったさ。タンクを洗う暇もなかったさ。牧港は補給基地だから、軍服に軍靴、トイレットペーパーからミサイルまで、新しいものと取り替えた。負傷兵も、砲弾が当たったトラックも戻された。職務外労働で、壊れた車両の修理もさせられた。吹き飛ばされた兵隊の肉の破片が残っていることもあった。血なまぐさい仕事さ。俺たちの作ったミルクのパックがダッシュボードの下に、ほとんど飲まれずに腐っていたこともあった。

   仲村、赤鉢巻を締める。

仲村 ・・・・。

田端 俺たちの戦争じゃない。だけどアメリカーと一緒に働いた。戦争もミルクもプロのする仕事やさ。それだけやんど。ヤーガニターリー(あんたの父さん)も俺も、ミルクを作りながら、戦場(イクサバ)にいたさ・・・・。

 1996年1月、外務省、防衛施設庁、アメリカ大使館、軍の4者協議によりミルクプラント閉鎖。従業員はMLCへ移行。現給保障は勤続年数24年以下はアップ、25年以上は大幅ダウン。

・・・・閉鎖された工場を仲村が訪ねてくる。
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「ニュース女子」ってなんだ?

2017-01-08 | Weblog
三上智恵さんが「性根の腐った番組」という、東京メトロポリタンテレビ(TOKYO MX)の「ニュース女子」という番組があるのだという。
報道番組のはずが、高江のことに対する事実無根の誹謗中傷が並べられているのだという。
インターネットでネトウヨの出鱈目な内容の発信を信じてしまう人が出てしまうのと同じで、一部の層にでも、「ウソ」が罷り通ってしまう恐れがあるのは確かだ。
高江の米軍基地建設反対運動が、テロで過激派で、中国と韓国人が多い、報酬をもらって反対運動をしている云々という情報が出ているのだという。
きちんと取材もしないで、ネトウヨ情報をそのままテレビに上げてしまったに等しいらしい。
昨年10月から始まったこの番組、水曜深夜の放送から、4月4日より、月曜夜22時のプライムタイムへの移行が決定したばかりという。
スポンサー企業である「株式会社DHCシアター」の浜田麻記子社長が、都内で会見を開き、裏番組にあたる「報道ステーションを潰しにいきます」と過激な言い方で宣言もしているという。
化粧品やサプリで有名なDHCが携わっていることが「ニュース女子」の「女子」部分と関わりがあるのだろうか。
出演者は、「西川史子、脊山麻理子、杉原杏里、勝谷誠彦氏、上念司氏」といった人々らしい。彼らは、そういう番組に出ていると思われても平気な人々ということなのか。

この番組のキャッチフレーズは
「タテマエや綺麗ごとは一切なし!本音だらけのニュースショー!! 今話題のニュースを女性とともに考え、面白くわかりやすく解説する、 大人の社交界型ニューストーク番組。」
だそうである。
この「女性とともに考え」という言い方は、女性を重視しているという意味に、とるべきなのだろうか。
私には、かえってものすごく差別的に響くのだが。
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高野病院へ

2017-01-06 | Weblog
福島県双葉郡広野町の高野病院に来ている。
高野英男院長が年末に亡くなられて、一週間。
「じむちょー」の愛称で知られる高野己保事務長とは久しぶりの再会だが、お元気そうで安堵した。
心配している人が周囲に多いので、記します。

ただ一人の常勤医だった院長の死で、病院の存続について、行政もふくめたさまざまな意見が交わされているのは、報道されている通り。
今日の午前中は今後にかかわる重要な会議、続いて報道陣にも囲まれ、いろいろとたいへんなご様子だった。
己保さんは昨秋に「事務長」に加えて「理事」の肩書きも加わったばかりだったが、 院長の遺志を継いで、本当にご自分がリーダーとしてこの場を担っていこうという、腹の据わった感じで、頼もしい。もちろんいつものユーモアも忘れていない。

高野病院はJビレッジも近い。福島第一原発から二十キロ圏を僅かに出たところにある。
だが昨日、郡山で佐藤茂紀さんに案内され、郡山市中にむしろ広野町よりも放射線量の高いホットスポットが存在することを知らされ、茫然とした。
「復興」とは何か、あらためて考えさせられる。

高野病院は、美しい。そして穏やかだ。
以前にもそう思ったが、こんなにも清潔さが保たれていて落ち着いた病院も珍しいのではないかと思う。
この日も多くの医療関係者や医師の皆さんが、応援に、あるいは励ましに訪れている。
弁護士の馬奈木厳太郎氏も、もう年末から東京と高野病院を三往復して支えている。
実はここに関わる件で年末にちょっとした相談をもちかけた茂紀も、元旦に駆けつけてくれた。
さまざまな人々の思いがある。
私に何ができるのかわからないが、僅かでも「じむちょー」の心の支えになれれば幸いである。

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捕鯨村、再々々々訪

2017-01-04 | Weblog
今年3月に『くじらの墓標』を23年ぶりに再演することもあって、日本の代表的な捕鯨村の一つ、宮城県牡鹿半島の鮎川を訪問。
執筆したのは1992年なので、初めて取材したときからは、かれこれ四半世紀経っている。
十五年前か、アメリカの演出家リアン・イングルスルードに『白鯨』を演出してもらったときにも、リアン夫妻と一緒に行き、鯨の解体を見てもらったりしたものだ。あの頃、私も彼に捕鯨の伝統の残るアラスカに連れて行ってもらった。

もちろん震災後に訪れるのは初めてである。
もともとあった、あの捕鯨の町が、平地部の建物はいったんまるごと根こそぎ流されて、その後、少しずつ再建が果たされてきている様子の、途中経過だ。
東日本大震災の震源地に、ほぼ一番近い陸地である。
津波の脅威を改めてまざまざと感じる。
震災直後、牡鹿半島の幹線道路が分断され、孤立したことも知っている。
陸の果ての町だけに、復興にはとくに時間がかかるはずだ。

「クジラ捕りたちはみんな無事だ」ということは、震災後すぐに聞いていた。
捕鯨に携わる仕事は存続していて、四半世紀前に「クジラ捕りの平均年齢は五十歳近い」ということで悩ましいことになっていたのだが、二つの捕鯨会社は施設を建て直し、操業は継続、確実に世代交代も果たせているようだ。
それは本当によかった。

復興にはいろいろ問題がある。
だが、とにかく捕鯨村としての観光をも含めた再興がのぞまれるところだ。
観光のメッカだった「ホエールランド」は来年に再建される予定となっているが、防潮堤の高さをやり直すということになっているらしく、そちらを優先するべきだろうから、もっと先になるような気がする。

写真の、街道沿いのバス停が、もともとのこの町のど真ん中、なのである。
津波が来て、港のモニュメントの青い二本柱(津波後にこれだけかろうじて残った)が最高部のみを露出する水位まで水位が上がってしまったというのも、現地で見ると、本当に驚かされる水位の高さだ。
スナックなどの店は、なくなっている。『くじらの墓標』に登場する「タツエおばさん」の店も同様であっただろう。
幾つかの店が「おしかのれん街」として、店の再建を睨みながら仮設で営業はしているが。
「捕鯨の衰退」よりも、震災による打撃の大きさが、人々の暮らしをすっかり変えたのだ。
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「陥没」はごまかせない

2017-01-03 | Weblog
福岡市のJR博多駅前の道路で12月8日早朝、大規模な陥没が発生。
市営地下鉄の延伸工事が原因らしい。天神駅止まりの地下鉄七隈線を博多駅まで延長しようという計画だった。
博多は空港も地下鉄で繁華街に数駅で繋がるアクセスのいい都市だが、さらに便利になることを目指していた。
日経新聞・共同通信等によれば、地下約25メートルの岩盤を掘削して鋼材を取り付け、コンクリートを吹き付けて補強する工法でトンネルを拡幅する作業をしていた。地表から地下16メートルまでは地下水が通る砂層で、その下の厚さ2メートルの粘土層がトンネルの上で水を遮る形になっていた。
博多湾に面した土地は地下水脈が広がっており、工事中の地下トンネルでに粘土層に亀裂が生じるなどして上部から水や土砂が流れ込み、引きずられるように地表が陥没したとみている。
事故は8日午前5時15分ごろに発生。
午前4時半ごろからトンネルの天井部分が崩れ始め、コンクリートを吹き付けても止まらなかったため作業員が避難。地上の道路を通行止めにした。その約5分後、陥没が始まったという。
博多駅から西に約300メートルの交差点付近で、長さ30メートル、幅27メートル、深さ15メートルにわたる陥没。埋設されていた電線やガス管なども破損し、一時、最大800戸が停電。近隣へのガス供給も止まった。銀行のオンラインシステムも一部で使えなくなった。停電した建物内で70代の女性1人が転倒し、軽傷を負った。
早朝なのでその被害で済んだとも言える。その後も近隣の商業ビルが停電で休業するなどの影響が出た。交通規制の間、現場周辺には計約350メートルにわたって規制線が張られた。
しかし、あっという間に復旧した。5車線道路をえぐった巨大な穴は、15日朝には跡形もなくなった。
ただし26日には、陥没事故の現場を埋め戻した復旧地点周辺の道路の路面が沈下していることが判明。7センチ程度と言われている。四時間ほど交通規制していたが、安全が確認されたとして解除された。

年末、たまたま博多を訪れたので、現地に行ってみた。
何ごともなかったかのように、街は、道は、そこにあった。
陥没面積は、そこに立ってみると、それほど大きくないという気はした。しかし、駅の真正面すぐ近くの、目抜き通りである。
この短い期間に「復旧」したことは、ある意味では、たいしたものだと言っていいのだろう。「日本の技術力」「スピード対応」を賞賛する諸外国の報道も多く紹介された。
しかし、地下鉄七隈線工事は完全にストップした。今後の工事の目途については報道されていない。
なんだか空疎である。
表面をとりつくろっただけではないか、その場しのぎに過ぎないのではないかというと、工事に携わった関係者に失礼になるだろう。
しかし、この現場は、いまの国の空気を見事に象徴している気がした。
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