Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

『くじらの墓標』オリジナル宣伝デザインは、遠井明巳さんの「書」である。

2017-01-30 | Weblog
『くじらの墓標』オリジナル宣伝デザインのメイン素材は、遠井明巳さんの「書」である。
遠井明巳さんは転形劇場の女優でもあったが、デザイン、編集の仕事もしていた。そして、得意技は、ご自身が筆をふるう「書」であった。
『くじらの墓標』は、広大で生を感じさせる「海」と、躍動する「クジラ」の双方を表現するデザインとして、遠井さんが筆を使ってオリジナルのデザインを作ってくださった。クジラの生と、波の猛々しく繊細な豊かさが、重なっている。初演はこの「書」と文字だけで構成したが、再演からは写真と組み合わせた。

じつは、一昨年、遠井さんがお亡くなりになっていた。
それでも、今回再々演にあたって、彼女の「書」のデザインを使用したくて、ご遺族のご了解をいただいて、改めて使わせていただくことになった。
今回、「書」のオリジナルは返却してしまっていたのだろうと思うが、見つからなかったので、制作部が準備段階から過去データを工夫してスキャンし、使用した。クオリティは初演時同様に保たれている。

転形劇場の『水の駅』冒頭に登場する印象的な「少女」を演じた安藤朋子さんは、私の慶應大学演劇研究会の先輩である。卒業後も演劇に関わっていたのは、彼女と私以外は、文学座の今井朋彦さんくらいであるが、今、セクシャルな課題への発言者として脚光を浴びている二村ヒトシも後輩である。一年しかいなかった劇研だが、昨年末に初めて参加した同時期世代のOB会は、何とも懐かしかった。
安藤さんをはじめとして、1980年代は転形劇場の皆さんといろいろ接点があって、その拠点T2スタジオで二回、燐光群の公演をさせていただいた。『光文六十三年の表具師幸吉』と『ビヨンド・トーキョー』である。実は旗揚げ公演も当時赤坂にあった転形劇場アトリエでやらせてほしいと申しこんだことがある。
じつは『カムアウト』初演の演出を、当時転形劇場の看板俳優でもあった大杉漣さんに担当してもらうことも相談していた。映像の仕事とのスケジュール調整で果たせなかった。まあ、そのすぐ後あっという間に、大杉さんは北野武監督との出会いが決定打となり、映像の世界でプレイクしてしまうのだが。

遠井さんは、転形劇場の方では、いちばん親しくしていただいていた一人で、かなり話をしたし、いろいろな人を紹介したりもした。笹塚のマンションのむやみにバルコニーの広い作業場兼住居を劇団員たちと訪問したこともある。こだわりと美学をしっかりと持っていた人だった。
私は彼女の「書」がとても好きだったが、いつもいつもその筆捌きのテイストが劇のイメージと合うわけではないので、次の機会も何度かあったが、そう多くはなかった。思い返すと残念である。

今回、改めて、遠井さんのデザインと共に劇の準備に入っていると、「あの時代」が甦る思いがする。
私たちの世代の手応えを、もう一度取り戻し、磨き、先に伝えたいとも思う。もちろん私たちのまさに「いま」を体現するものとしても。
遠井さん、どうか見守ってださい。

今回の宣伝デザインは前々回のブログ(http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/8a8c949f7da6dd714fbffcaa71f2f374)を御覧ください。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広場劇場ブラックテント宣言文

2017-01-30 | Weblog
ソウルに「ブラックテント」が誕生した。
1月7日、ソウル光化門広場に建設された天幕劇場である。間口8メートル、奥行18メートル、高さ5.5メートルの鉄骨構造物で、全体が濃い緑色の天幕で覆われているという。日本からの侵略「元寇」を食い止めた国民的英雄・李舜臣の銅像の後ろに位置しているが、これは、たまたまだ、と関係者は言う。
朴槿恵政権が大統領府主導で作成した文化芸術界の「ブラックリスト」に象徴される表現の自由抑圧に対抗し、文化芸術界が作った臨時公共劇場にして、広場劇場。朴槿恵政権が退陣するまで運営すると決められている。
テント側面には「奪われた公共劇場をもう一度取り戻そう」という横断幕が張られている。
客席数は百十席しかなく、設置場所は道路の真ん中だから目立ちはするが、騒音がうるさくてやりにくいらしい。そもそもこの降雪の時期に、わざわざ寒い野外に作られたのである。
広場劇場運営委員会は「韓国の公共劇場がほとんど横を向いてきたセウォル号の犠牲者、日本軍慰安婦を含めた各種国家犯罪の被害者や解雇労働者を含め資本の迫害を受けてきた人々の声に耳を傾ける」と強調している。
今のところ、日帝時代の“慰安婦”を描く劇団くじらの『赤い詩』、セウォル号に関わる『彼と彼女の洋服ダンス』、キム・ジェヨプ作・演出の劇団ドリームプレイ『検閲言語の政治学:二つの国民』等が上演されている。

さて、座高円寺で開催されていた、日韓演劇交流センターによる2年に一度の「韓国現代戯曲ドラマリーディング」は、無事終了した。
最終日のシンポジウム『危機に立つ演劇~表現の自由をめぐって』(司会:西堂行人 パネラー:キム・ソヨン 河野孝 鈴木アツト ユン・ミヒョン)に出席した批評家キム・ソヨンも、当然この「ブラックテント」について詳しく触れた。

そもそもの始まりは、2014年暮、ソウル演劇祭が公共劇場審査で落とされたことだという。公共劇場の「公共性」とは何か、演劇人が話しあい、問題を共有し合うネットワークを作った。韓国演劇界の検閲のことを世間に知らせる契機と考え、討論会〈Xフォーラム〉を開催。さらに若い演劇人たちの自発的な動きがあった。2015年にはさらに演劇人たちが声明を出す等のアクションを行い、「検閲フェスティバル」と称される「権利挑戦 検閲却下」の名前で、6月から11月にかけてリレー上演が行われていった。

「ブラックテント」じたいは、黒いわけではない。ブラックリスト、表現の自由を脅かされたことに対して、反発したのだ。抑圧されたことへの同情を求めるのではなく、表現の自由を奪われることへの自然な反発、国民に対しての権利が奪われたことを、訴えているのだという。

あたかも「表現の自由を抑圧された韓国演劇人を支援しよう」という形で、一昨年から語られている日本国内の論調がある。そこでは、日本には、韓国ほど露骨でひどい検閲や「ブラックリスト」は存在しないと考えられている。
しかし、本当にそうか。
私の作った燐光群『私たちの戦争』という劇が愛知県文化芸術財団によって、「イラク戦争への自衛隊派兵について違憲か否かは裁判で係争中の事案」という理由で公演寸前に「共催取り下げ」措置を受けた事件は、ほんの11年前であるが、こうした抑圧はなくなってはいないはずだ。あるいは表現する側が「自粛」しているのか。あの夜、名古屋で百人余りの演劇関係者が集まって共に抗議してくれた。あの時の手応えと仲間たちの存在は、現在のソウル「ブラックテント」周辺の空気と、重なるものだったはずだ。

表現の自由こそ、憲法が保証する国民の最大の権利である。
高市早苗総務大臣による一年前の、放送局に対する表現規制の暴言に対し、私たちは反発したが、その背後に、表現の自由をないがしろにするあまりにもひどい「自民党による憲法改定案」があることも、指摘しておかなければならなかった。
表現に対して何らかの「規制」が行われて、そこで初めて「表現の自由が失われた」となるのではなく、そもそも表現の自由への抑圧に繋がる根源の考え方に対して批判しなければならない。

そして、「言論・ことばそのものに対する信頼」が失わされている状況もまた、表現の危機なのである。
選挙によって選ばれた者たちが、国民に示したはずの「公約」を踏みにじって恥じない現在の状況は、言論そして民主主義に対する人々の信頼を奪ってしまっている。
ここではあえて詳述しないが、目に見えた「抑圧」ではなく、「詐術」として横行する、政治家たち、首長たちの、国民・市民に対する裏切りは、全国各地で横行している。
目に見えた抑圧だけでなく、言葉そのものへの信頼が失われていることに、表現者は敏感でなければならない。

もちろん、屈さない人たちはいる。ソウルの「ブラックテント」は、テントという形からも想起されるように、高江、辺野古、経産省前での、表現としての「テント」の活動とも相通じるものがあることは、この日のシンポジウムでも指摘されていた。

他国のこととしてではなく、もっとひどい状態になっているこの国の住民として、韓国の人たちが掲げた指標から学びたい。

ここに、彼らの根本の考え方を示す、「広場劇場ブラックテント宣言文」がある。読み進めるほどに、私たちは深く励まされるはずだ。
以下に掲載する。


      ※      ※      ※      ※      ※


広場劇場ブラックテント宣言文

ここは臨時公共劇場です。
今、ここ光化門広場はそれ自体がまさに社会的な生を映す劇場の役割を果たしています。市民たちは苦痛と怒りの真っただ中で、それを突き抜け、新しい世界への展望を口々に叫びながらここに集まってきます。まさにここ社会的な生を映す劇場の真っただ中に、我々演劇人は、仲間のアーティストたち、市民と共に「広場劇場ブラックテント」を立ち上げます。我々はこの劇場で、演劇の公共性、芸術の公共性、劇場の公共性を一から再び学びたいと思います。
現在、我々の公共劇場は公的な財源で運営されているというだけで、演劇や劇場が同時代の国家や社会、人間に対しての問いを投げかけていません。我々はどのような世界に置かれ、我々の暮らしはどこに向かっているのか、問いかけていないのです。パク・クネ政府が運営する公共劇場では、セウォル号の犠牲者や「慰安婦」など、共同体が共に分かち合わねばならない物語は消され、追放されました。
我々はこの広場に劇場を建て、消された声、追放された物語を迎え入れようと思います。抑圧される者、弱者の小さな声にも耳を傾けます。差異と違いを尊重します。この劇場では対立と葛藤さえも、より良い未来に向かって走る動力なのです。
私たちは答えを持っていません。しかし私たちはパク・クネ政権が運営する公共劇場が問いかけてこなかった劇場の公共性について、新しい世界を熱望する広場の真っただ中から限りなく問い続け、答えを出すために努力していきます。
演劇人の皆さん、そしてアーティストの仲間たち、そして市民の皆さん、広場劇場ブラックテントにともに集いましょう。

一つ、「広場劇場ブラックテント」はパク・クネ政府が運営する国・公立劇場が冷遇したセウォル号惨事、「慰安婦」など、同時代の苦痛を受ける声に耳を傾けるために光化門広場に設置された臨時公共劇場です。
一つ、「広場劇場ブラックテント」は、整理解雇(リストラ)および損害賠償仮差押さえなど、労働運動弾圧で苦しむ労働者をはじめ、セウォル号惨事の遺族、兄弟福祉院被害生存者など、各種国家犯罪の被害者たちと同時代の市民が出会う市民劇場です。
一つ、「広場劇場ブラックテント」はセウォル号惨事からパク・クネ、チェ・スンシル ゲートに至るまで、今我々の目の前にさらけ出された韓国社会の素顔を直視し反省して、新しい国家・社会・人間に対して問いを投げかける公論の場です。
一つ、「広場劇場ブラックテント」はアーティストたちが広場の市民と共に演劇の美学的課題について悩み実践する実験劇場です。


  ※写真はハンギョレ新聞社のものを使わせていただきました。http://japan.hani.co.kr/arti/politics/26231.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする