年明けすぐに、福島県双葉郡広野町の高野病院に行った。高野英男院長が年末に亡くなられたお悔やみだった。「じむちょー」こと高野己保事務長の奮闘、支える人たちの献身に頭が下がる思いばかりだった。
3月末までの2カ月間、都立駒込病院の医師中山祐次郎氏が2月1日付で常勤医・院長に就任することになったという。当座のことは決まって、安堵した。
写真は常磐線広野駅。ここから歩いて十五分の位置の高野病院は、福島第一原発から二十二キロに在する。広野駅の次は、木戸駅。震災・原発事故から六年、常磐線はそこで止まっている。
かつて救急病院であったこともある高野病院院だが、「慢性期病院」「療養型病院」として、「動かせない患者たち」を抱えていた。そのことが、震災・原発事故後、患者たちを守って存続する判断に繋がった。
過去のブログでも触れている。
↓
http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/46e12a0ae3ad91e4b2180581ccb94d2f
http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/19e3be721a1a78a1e992b7c0aa467806
46人が殺傷された相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」事件の衝撃は、半年以上経過した今でも消えるものではない。神奈川県は津久井やまゆり園建て替え計画(津久井やまゆり園再建基本構想)を進めている。
1月10日、「津久井やまゆり園再建基本構想に関するヒアリング(公聴会)」が行われた。私も傍聴に行った。
この件について、県の側は、やまゆり園入所者への意向確認を行ったとしているが、そこには大きな問題点があるようだ。
思い出すのもつらくおぞましい事件があった場所に、そのまま住みたいと思うだろうか。事件後入所し続けている方は、三分の一くらいに減ったと聞いている。彼らは、本当に他に行き場のない人たちなのかもしれない。
そして、入所者の方はほんとうに今の計画の形を望まれているのか。家族が「本人の意思」を代弁してしまっている場合が多いらしいということがある。家族との緊張関係を持っている入所者もいるかもしれないときに、確実に本人とやりとりできているかどうかということが、疑わしい。
神奈川新聞によれば、回答は入所者約130人のうちの約70人とおよそ半数のみで、「やまゆり園のような施設を今後の住まい方の希望」と答えたのは、回答者の2割、すなわち入所者の15.7%ほどでしかないという。そもそも「やまゆり園のような施設」であって、「やまゆり園」そのものに戻りたいかどうかは、別な話のはずだ。
やまゆり園の再建は、入所者たちの多数意見ではなさそうなのだ。
にも関わらず、「3月に決定する」ということが前提で、アリバイ作りのような公聴会だった。
私は傍聴したが、当初は関係団体のみ対象とするとして、県は傍聴枠を設けていなかったという指摘もある。
そして、多くの問題を抱えているにもかかわらず、ヒアリングはこの一度のみで、もう行わないと、県関係者は断言した。
県庁内では、「入所当事者への意向確認作業を続けていく」という意見と「続けない」という意見が両方出ていて、対応の杜撰さを浮き彫りにしている。
なぜ3月までに決定することを、急がなければならないのか。その「お役所仕事」的進行に問題はないのか。
もっと時間をかけて丁寧に進められないのか。当事者や関係団体の皆さんも切実に考えておられるように思う。話し合いを続けるべきである。
この建て替え計画の件については納得できないことが山のようにあるが、またあらためて。
そして私は、「やまゆり園」の事件で犯行に及んだ一人以外の、他の職員の方々が、いかに苦しみ、悩んだかを考えると、そのこともいたたまれない思いがする。
高野病院は、原発事故後、広野町が避難指示を出したが、高野英男院長は「動かせない患者」三十七人と看護師十人らと共に、病院に残る選択をした。転院で患者を死なせずにすんだ、三十キロ圏内で唯一の病院となった。
高野病院は、大切にしなければならない人は誰なのか、それを忘れなかったということだ。
そして、現場の医療のみでなく、運営と存続の方法について、時に対立をおそれず、町や県、国とも、向き合っている。
他と比べるとか、そういうことではない。
人の命を預かる仕事のたいへんさに、あらためて思いを馳せている。
3月末までの2カ月間、都立駒込病院の医師中山祐次郎氏が2月1日付で常勤医・院長に就任することになったという。当座のことは決まって、安堵した。
写真は常磐線広野駅。ここから歩いて十五分の位置の高野病院は、福島第一原発から二十二キロに在する。広野駅の次は、木戸駅。震災・原発事故から六年、常磐線はそこで止まっている。
かつて救急病院であったこともある高野病院院だが、「慢性期病院」「療養型病院」として、「動かせない患者たち」を抱えていた。そのことが、震災・原発事故後、患者たちを守って存続する判断に繋がった。
過去のブログでも触れている。
↓
http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/46e12a0ae3ad91e4b2180581ccb94d2f
http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/19e3be721a1a78a1e992b7c0aa467806
46人が殺傷された相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」事件の衝撃は、半年以上経過した今でも消えるものではない。神奈川県は津久井やまゆり園建て替え計画(津久井やまゆり園再建基本構想)を進めている。
1月10日、「津久井やまゆり園再建基本構想に関するヒアリング(公聴会)」が行われた。私も傍聴に行った。
この件について、県の側は、やまゆり園入所者への意向確認を行ったとしているが、そこには大きな問題点があるようだ。
思い出すのもつらくおぞましい事件があった場所に、そのまま住みたいと思うだろうか。事件後入所し続けている方は、三分の一くらいに減ったと聞いている。彼らは、本当に他に行き場のない人たちなのかもしれない。
そして、入所者の方はほんとうに今の計画の形を望まれているのか。家族が「本人の意思」を代弁してしまっている場合が多いらしいということがある。家族との緊張関係を持っている入所者もいるかもしれないときに、確実に本人とやりとりできているかどうかということが、疑わしい。
神奈川新聞によれば、回答は入所者約130人のうちの約70人とおよそ半数のみで、「やまゆり園のような施設を今後の住まい方の希望」と答えたのは、回答者の2割、すなわち入所者の15.7%ほどでしかないという。そもそも「やまゆり園のような施設」であって、「やまゆり園」そのものに戻りたいかどうかは、別な話のはずだ。
やまゆり園の再建は、入所者たちの多数意見ではなさそうなのだ。
にも関わらず、「3月に決定する」ということが前提で、アリバイ作りのような公聴会だった。
私は傍聴したが、当初は関係団体のみ対象とするとして、県は傍聴枠を設けていなかったという指摘もある。
そして、多くの問題を抱えているにもかかわらず、ヒアリングはこの一度のみで、もう行わないと、県関係者は断言した。
県庁内では、「入所当事者への意向確認作業を続けていく」という意見と「続けない」という意見が両方出ていて、対応の杜撰さを浮き彫りにしている。
なぜ3月までに決定することを、急がなければならないのか。その「お役所仕事」的進行に問題はないのか。
もっと時間をかけて丁寧に進められないのか。当事者や関係団体の皆さんも切実に考えておられるように思う。話し合いを続けるべきである。
この建て替え計画の件については納得できないことが山のようにあるが、またあらためて。
そして私は、「やまゆり園」の事件で犯行に及んだ一人以外の、他の職員の方々が、いかに苦しみ、悩んだかを考えると、そのこともいたたまれない思いがする。
高野病院は、原発事故後、広野町が避難指示を出したが、高野英男院長は「動かせない患者」三十七人と看護師十人らと共に、病院に残る選択をした。転院で患者を死なせずにすんだ、三十キロ圏内で唯一の病院となった。
高野病院は、大切にしなければならない人は誰なのか、それを忘れなかったということだ。
そして、現場の医療のみでなく、運営と存続の方法について、時に対立をおそれず、町や県、国とも、向き合っている。
他と比べるとか、そういうことではない。
人の命を預かる仕事のたいへんさに、あらためて思いを馳せている。