作家の秋山真志さんのかねてからのお誘いに乗り、久しぶりに寄席に。新宿末廣亭。今はなき小劇場タイニイアリスが最初にあった場所のすぐそば。一步足を踏み入れるだけでタイムスリップする感覚は相変わらず。こんなに身近に江戸であり東京の文化のエッセンスに出会える場所があるのだ。
正月二之席。入れ替えなしなので、昼の部の終わり頃から入る。入れ替えなしだと正午から夜九時までぶっ通しでいられるわけだ。
昼の部は柳亭市馬師匠のトリ。夜の部は、前座と二つ目の関係のスリリングさも味わいつつスタート。三遊亭金馬現役七十七年めの口跡の鮮やかさに唸る。
トリは柳家小三治師匠。小三治師匠は四半世紀以上前に私がホンダの交通安全広報誌の仕事をしていたさい、何度かお世話になっている。当時小三治師匠はライダーズチーム「転倒虫」を率いていて、弟子筋は強制的に入っていたはずである。鈴鹿サーキットでも二回取材した(師匠がレースに出たわけではない。交通安全のイベントに出ていたのである)。
この日の師匠は、あえて古典じゃないところで毒を吐き、なんともアナーキー。本筋に入ってからはまた鬼気迫るものがあった。
終演後、秋山さんのお膳立てで、トリが今の小三治師匠になる前からヒザ(トリの前の芸)を担当する、紙切りの林家正楽師匠、秋山さん馴染みの皆さんと一献。
正楽師匠は芸の見事さは当然として、話も面白く、魅力的な方だ。夜も更け、芸や寄席社会についての蘊蓄も聞き、楽しい夜であった。
秋山さん、ありがとうございました。
昨年末は金原亭馬生師匠とご一緒する機会があった。私は古典芸能についてはまったく不勉強なのだが、今からでも少しずつ、とは思う。
それにしても、出られる人数が限られている寄席は、シビアな世界である。だが同時に、寄席が人を育てる。一人一人の芸でありながら、寄席という場が、学校であり擬制の劇団である要素を、豊かに持っている。こんな見事なお手本が身近にあることを、現代演劇は忘れている。
正月二之席。入れ替えなしなので、昼の部の終わり頃から入る。入れ替えなしだと正午から夜九時までぶっ通しでいられるわけだ。
昼の部は柳亭市馬師匠のトリ。夜の部は、前座と二つ目の関係のスリリングさも味わいつつスタート。三遊亭金馬現役七十七年めの口跡の鮮やかさに唸る。
トリは柳家小三治師匠。小三治師匠は四半世紀以上前に私がホンダの交通安全広報誌の仕事をしていたさい、何度かお世話になっている。当時小三治師匠はライダーズチーム「転倒虫」を率いていて、弟子筋は強制的に入っていたはずである。鈴鹿サーキットでも二回取材した(師匠がレースに出たわけではない。交通安全のイベントに出ていたのである)。
この日の師匠は、あえて古典じゃないところで毒を吐き、なんともアナーキー。本筋に入ってからはまた鬼気迫るものがあった。
終演後、秋山さんのお膳立てで、トリが今の小三治師匠になる前からヒザ(トリの前の芸)を担当する、紙切りの林家正楽師匠、秋山さん馴染みの皆さんと一献。
正楽師匠は芸の見事さは当然として、話も面白く、魅力的な方だ。夜も更け、芸や寄席社会についての蘊蓄も聞き、楽しい夜であった。
秋山さん、ありがとうございました。
昨年末は金原亭馬生師匠とご一緒する機会があった。私は古典芸能についてはまったく不勉強なのだが、今からでも少しずつ、とは思う。
それにしても、出られる人数が限られている寄席は、シビアな世界である。だが同時に、寄席が人を育てる。一人一人の芸でありながら、寄席という場が、学校であり擬制の劇団である要素を、豊かに持っている。こんな見事なお手本が身近にあることを、現代演劇は忘れている。