『沖縄ミルクプラントの最后』東京演劇アンサンブルでの上演詳細が発表された。
私自身が演出した燐光群での初演は1998年。読売演劇大賞優秀作品賞の次点に入っていたと後で聞いた。
この戯曲は『海の沸点/沖縄ミルクプラントの最后/ピカドン・キジムナー (ハヤカワ演劇文庫 17) 』に収録されているので、すぐに読みたい方は、書店か通販でお求めください。
浦添のキャンプキンザーに実在した「沖縄ミルクプラント」については、石川真生さんの写真にものすごく刺激されて、多くの方にインタビュー取材し、また、当時具志川の全駐労にいた姻戚にあたる瀬長和夫さんから膨大な資料をいただいて、書いた。
東京演劇アンサンブル版はもう稽古が始まっているようだ。今週は数日間、宮城康博さんが琉球弁指導で東京に来る。
東京演劇アンサンブルは6月にその宮城康博さん作『浜下り外伝』や目取真俊作品リーディングも上演予定ということで、今年前半は沖縄に関わる演目が続くことになる。
『沖縄ミルクプラントの最后』詳細は以下の通り。
この劇団のホームページはちょっとこなれていなさすぎで、チラシ裏面の情報がアップされていないし、「あらすじ」はこれでいいのかどうか私が関知するものではないが、まあ、読まれたい方は読んでください、
↓
http://www.tee.co.jp/stage-shoukai-image/okinawamilk/okinawa-milk.html
※ ※ ※ ※ ※ ※
沖縄ミルクプラントの最后
作 坂手洋二
演出 松下重人
美術 香坂奈奈
音楽 菊池大成
音響 勝見友理(ステージオフィス)
照明 真壁知恵子
歌唱指導 菊池大成
方言指導 宮城康博
ピアノ演奏 菊池大成
衣裳 竹内陽子
宣伝美術 竹内陽子・奥秋圭
映像操作 永濱渉
舞台監督 入江龍太
制作 太田昭
◆公演日程
3/9〜3/19
◆会場
ブレヒトの芝居小屋(西武新宿線・武蔵関駅より徒歩7分)
◆料金
当日=4500円
前売一般=3800 円
前売学生=3000 円
★=Low Price Day 2500 円
全席自由
開場は開演の30 分前
入場は整理番号順。
◆チケット申込
東京演劇アンサンブル
TEL:03・3920-5232 FAX:03-3920,4433 ticket@tee.co.jp
カンフェティ
助成 文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)
協賛 ケンタウルスの会
キャスト
田端良顕(たばたりょうけん)・・・竹口範顕
与那嶺常政(よなみねつねまさ)・・雨宮大夢
仲村秀喜(なかむらひでき)・・・・三木元太
城間耕一(しろまこういち)・・・・和田響き
屋良直(やらただし)・・・・・・・熊谷宏平
平安年男(ひらやすとしお)・・・・坂本勇樹
砂川真栄(すながわしんえい)・・・小田勇輔
平良清信(たいらせいしん)・・・・伊藤克
伊佐寛徳(いさひろのり)・・・・・大橋隆一郎
国吉朋子(くによしともこ)・・・・洪美玉
下地末子(しもじすえこ)・・・・・原口久美子
久貝孝子(くがいたかこ)・・・・・冨山小枝
新川葉月(あらかわはづき)・・・・永野愛理
神山文枝(かみやまふみえ)・・・・町田聡子
与那嶺香織(よなみねかおり)・・・正木ひかり
松田(まつだ)・・・・・・・・・・上條珠理
佐久川(さくがわ)・・・・・・・・仙石貴久江
あらすじ
1995年7月。沖縄米軍基地(浦添キャンプキンザー)内にあるミルクプラント工場。
生産部監督の屋良直に引率されて工場見学を終えた新入社員仲村秀喜、城間耕一が冷凍庫の大扉から出てくる。そして締めくくりの、ミルクプラントで作られた還元牛乳と市販の生乳を飲み比べる。アメリカ国内でバターを絞ったあとの粉乳を加工してできたミルクと生乳。しかし、このミルクは米軍沖縄進駐から1996年まで基地内の軍人・家族を支え、ベトナム戦争に行く兵士を支えたのだった。
このミルクプラントは日米安全保障条約、日米地位協定に基づくMLC(基本労務契約)とは異なり、米軍が入札によって決めるアメリカの民間業者に雇とわれており、契約が切れて業者が変わるたびに退職し、改めて雇用を確保しなければならなかった。そのために独自の組合を組織し、退職金の確保、契約改定を巡っての闘争をしてきたのだった。
そのミルクプラントが閉鎖になるという。
仲村秀喜は本土からのUターンで、彼の父、仲村秀意はかつてミルクプラントの冷凍室で働いていたが、秀喜が4歳の時、不慮の事故で亡くなっていた。その父の日記をもとに・・・
1995年9月、米兵による少女暴行事件が起きる。
1995年10月、組合はミルクプラントの操業継続、従業員のMLC移行、現行賃金労働条件の無条件保証を要求。
1995年12月、ストライキに突入。
ストの間にミルクを持って行かれないように残るという仲村に組合委員長の田端良顕が言う。
田端 あれは自殺じゃないさ。
仲村 ・・・・。
田端 確かにおかしな話さ。真っ昼間に、酒を飲んでいたわけでもないのにふらっと飛び出して、トレーラーの轢かれて死んだわけさ。だけど自殺ではないよ。俺の知っている仲村はそんなことはしない。
仲村 僕もそう思います。
田端、上着から赤鉢巻を取り出して、仲村に渡す。
仲村 ・・・・。
田端 最初の赤鉢巻闘争はベトナムの真っ最中だった。俺たちは24時間操業でミルクを作ったさ。タンクを洗う暇もなかったさ。牧港は補給基地だから、軍服に軍靴、トイレットペーパーからミサイルまで、新しいものと取り替えた。負傷兵も、砲弾が当たったトラックも戻された。職務外労働で、壊れた車両の修理もさせられた。吹き飛ばされた兵隊の肉の破片が残っていることもあった。血なまぐさい仕事さ。俺たちの作ったミルクのパックがダッシュボードの下に、ほとんど飲まれずに腐っていたこともあった。
仲村、赤鉢巻を締める。
仲村 ・・・・。
田端 俺たちの戦争じゃない。だけどアメリカーと一緒に働いた。戦争もミルクもプロのする仕事やさ。それだけやんど。ヤーガニターリー(あんたの父さん)も俺も、ミルクを作りながら、戦場(イクサバ)にいたさ・・・・。
1996年1月、外務省、防衛施設庁、アメリカ大使館、軍の4者協議によりミルクプラント閉鎖。従業員はMLCへ移行。現給保障は勤続年数24年以下はアップ、25年以上は大幅ダウン。
・・・・閉鎖された工場を仲村が訪ねてくる。
私自身が演出した燐光群での初演は1998年。読売演劇大賞優秀作品賞の次点に入っていたと後で聞いた。
この戯曲は『海の沸点/沖縄ミルクプラントの最后/ピカドン・キジムナー (ハヤカワ演劇文庫 17) 』に収録されているので、すぐに読みたい方は、書店か通販でお求めください。
浦添のキャンプキンザーに実在した「沖縄ミルクプラント」については、石川真生さんの写真にものすごく刺激されて、多くの方にインタビュー取材し、また、当時具志川の全駐労にいた姻戚にあたる瀬長和夫さんから膨大な資料をいただいて、書いた。
東京演劇アンサンブル版はもう稽古が始まっているようだ。今週は数日間、宮城康博さんが琉球弁指導で東京に来る。
東京演劇アンサンブルは6月にその宮城康博さん作『浜下り外伝』や目取真俊作品リーディングも上演予定ということで、今年前半は沖縄に関わる演目が続くことになる。
『沖縄ミルクプラントの最后』詳細は以下の通り。
この劇団のホームページはちょっとこなれていなさすぎで、チラシ裏面の情報がアップされていないし、「あらすじ」はこれでいいのかどうか私が関知するものではないが、まあ、読まれたい方は読んでください、
↓
http://www.tee.co.jp/stage-shoukai-image/okinawamilk/okinawa-milk.html
※ ※ ※ ※ ※ ※
沖縄ミルクプラントの最后
作 坂手洋二
演出 松下重人
美術 香坂奈奈
音楽 菊池大成
音響 勝見友理(ステージオフィス)
照明 真壁知恵子
歌唱指導 菊池大成
方言指導 宮城康博
ピアノ演奏 菊池大成
衣裳 竹内陽子
宣伝美術 竹内陽子・奥秋圭
映像操作 永濱渉
舞台監督 入江龍太
制作 太田昭
◆公演日程
3/9〜3/19
◆会場
ブレヒトの芝居小屋(西武新宿線・武蔵関駅より徒歩7分)
◆料金
当日=4500円
前売一般=3800 円
前売学生=3000 円
★=Low Price Day 2500 円
全席自由
開場は開演の30 分前
入場は整理番号順。
◆チケット申込
東京演劇アンサンブル
TEL:03・3920-5232 FAX:03-3920,4433 ticket@tee.co.jp
カンフェティ
助成 文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)
協賛 ケンタウルスの会
キャスト
田端良顕(たばたりょうけん)・・・竹口範顕
与那嶺常政(よなみねつねまさ)・・雨宮大夢
仲村秀喜(なかむらひでき)・・・・三木元太
城間耕一(しろまこういち)・・・・和田響き
屋良直(やらただし)・・・・・・・熊谷宏平
平安年男(ひらやすとしお)・・・・坂本勇樹
砂川真栄(すながわしんえい)・・・小田勇輔
平良清信(たいらせいしん)・・・・伊藤克
伊佐寛徳(いさひろのり)・・・・・大橋隆一郎
国吉朋子(くによしともこ)・・・・洪美玉
下地末子(しもじすえこ)・・・・・原口久美子
久貝孝子(くがいたかこ)・・・・・冨山小枝
新川葉月(あらかわはづき)・・・・永野愛理
神山文枝(かみやまふみえ)・・・・町田聡子
与那嶺香織(よなみねかおり)・・・正木ひかり
松田(まつだ)・・・・・・・・・・上條珠理
佐久川(さくがわ)・・・・・・・・仙石貴久江
あらすじ
1995年7月。沖縄米軍基地(浦添キャンプキンザー)内にあるミルクプラント工場。
生産部監督の屋良直に引率されて工場見学を終えた新入社員仲村秀喜、城間耕一が冷凍庫の大扉から出てくる。そして締めくくりの、ミルクプラントで作られた還元牛乳と市販の生乳を飲み比べる。アメリカ国内でバターを絞ったあとの粉乳を加工してできたミルクと生乳。しかし、このミルクは米軍沖縄進駐から1996年まで基地内の軍人・家族を支え、ベトナム戦争に行く兵士を支えたのだった。
このミルクプラントは日米安全保障条約、日米地位協定に基づくMLC(基本労務契約)とは異なり、米軍が入札によって決めるアメリカの民間業者に雇とわれており、契約が切れて業者が変わるたびに退職し、改めて雇用を確保しなければならなかった。そのために独自の組合を組織し、退職金の確保、契約改定を巡っての闘争をしてきたのだった。
そのミルクプラントが閉鎖になるという。
仲村秀喜は本土からのUターンで、彼の父、仲村秀意はかつてミルクプラントの冷凍室で働いていたが、秀喜が4歳の時、不慮の事故で亡くなっていた。その父の日記をもとに・・・
1995年9月、米兵による少女暴行事件が起きる。
1995年10月、組合はミルクプラントの操業継続、従業員のMLC移行、現行賃金労働条件の無条件保証を要求。
1995年12月、ストライキに突入。
ストの間にミルクを持って行かれないように残るという仲村に組合委員長の田端良顕が言う。
田端 あれは自殺じゃないさ。
仲村 ・・・・。
田端 確かにおかしな話さ。真っ昼間に、酒を飲んでいたわけでもないのにふらっと飛び出して、トレーラーの轢かれて死んだわけさ。だけど自殺ではないよ。俺の知っている仲村はそんなことはしない。
仲村 僕もそう思います。
田端、上着から赤鉢巻を取り出して、仲村に渡す。
仲村 ・・・・。
田端 最初の赤鉢巻闘争はベトナムの真っ最中だった。俺たちは24時間操業でミルクを作ったさ。タンクを洗う暇もなかったさ。牧港は補給基地だから、軍服に軍靴、トイレットペーパーからミサイルまで、新しいものと取り替えた。負傷兵も、砲弾が当たったトラックも戻された。職務外労働で、壊れた車両の修理もさせられた。吹き飛ばされた兵隊の肉の破片が残っていることもあった。血なまぐさい仕事さ。俺たちの作ったミルクのパックがダッシュボードの下に、ほとんど飲まれずに腐っていたこともあった。
仲村、赤鉢巻を締める。
仲村 ・・・・。
田端 俺たちの戦争じゃない。だけどアメリカーと一緒に働いた。戦争もミルクもプロのする仕事やさ。それだけやんど。ヤーガニターリー(あんたの父さん)も俺も、ミルクを作りながら、戦場(イクサバ)にいたさ・・・・。
1996年1月、外務省、防衛施設庁、アメリカ大使館、軍の4者協議によりミルクプラント閉鎖。従業員はMLCへ移行。現給保障は勤続年数24年以下はアップ、25年以上は大幅ダウン。
・・・・閉鎖された工場を仲村が訪ねてくる。