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Blog of SAKATE

“燐光群”主宰・坂手洋二が150字ブログを始めました。

「岡山らしさ」と「岡山ばらずし伝説」

2017-04-13 | Weblog
郷土愛の強い岡山の方は読まないでください。

写真は、岡山駅の西口への地下道。
昔は新幹線の上部改札通路がなかったから、西口に行くには駅を離れて跨線橋を遠回りする以外はこの暗くて低い地下道を行くしかなかった。この地下道は今もある(撮影はこの4/8)。なぜか「岡山らしい場所」と思われている。映画『でーれーガールズ』にも出てくる。どこか岡山的中途半端、せこさの象徴に見えるのだ。
「岡山らしさ」とは何か。
まあ駅も正面口は普通の地方都市である。
私のいた七十年代頃は、西口になると一気に寂れていた印象だ。
漫才のB&Bも、広島が都会で岡山が田舎というネタのためには、広島駅は正面の写真、岡山の駅の写真としてはわざと古くさくて小さい西口のものを使っていた。
それが、西口にNHKや全日空ホテル、この間私が講演した国際交流センター、デジタルミュージアムなどができ、だいぶ印象が変わってきた。
西口の奉還町商店街は「昭和のにおいを残す商店街」として人気を博するようになった。個性への評価で正面口に勝るようになったのだ。

ところで、「岡山らしさ」の一つは、大きな声では言えないが、言うと叱られるのだが、その「せこさ」である。
その「せこさ」の例は、枚挙に暇がないのだが、岡山を代表する郷土料理「岡山ばら(ちらし)ずし」の起源についてもその個性が伝えられている。駅弁で有名な「祭りずし」もその一つだ。
最近の記事でも「江戸時代に岡山藩初代藩主の池田光政(1609〜82)が「食事は一汁一菜(飯のほか、汁とおかずを各1品)に限る」との質素倹約のお触れを出したことで、魚や野菜を目立たないようにすし飯に混ぜ、見た目だけ一汁一菜にした」と説明されてきたことが、記されている。
ところが、私が聞いてきた実体は、「魚や野菜を目立たないようにすし飯に混ぜ」ではないのだ。
混ぜたりしないのだ。
「魚や野菜を底に敷き、すし飯を上に載せて隠した」が、伝え聞く真相である。
岡山人は、混ぜるような面倒なことはしないのだ。
ちょっと前までは、そういう、見たところ白飯しかないように見える「元祖ばら寿司」が駅前の店でも密かに売られていた。
あまりのせこさが恥ずかしくなったのか、最近は発売されていない様子だった。

ところが、件の記事では、この光政原因説を「根拠なし」とする報告が9年前にまとめられ、これに基づき、名物駅弁のパッケージに記された説明も改められていた、とされている。知らなかった。

全国的なばらずしの起源は、町人が財力と権力を持ち始めた「1800年代前半」とする説が多く、岡山藩主の食卓にすしが登場した記録も19世紀以降。光政時代の17世紀に岡山城下の町人の華美な生活が目立ったとは考えにくく、斉政の厳しい法令が出た後、こっそり豪勢なすしを作り始めたとも推測されているそうだ。

うーん。岡山県人の極端な、しかし少し間抜けな「せこさ」を愛する身としては、この新説を、にわかには受け入れがたいのである。
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桜は桜である 「君が代条例」合憲と「教育勅語」強制のあいだ

2017-04-12 | Weblog
報道によれば、大阪府が全国で初めて2011年に施行した「君が代の起立斉唱を教職員に義務付けた条例」が「思想・良心の自由を保障した憲法に違反する」点について争われた訴訟で、3月30日付で、条例を合憲とした昨年10月の二審・大阪高裁判決が確定したという。
13年3月、勤務していた府立支援学校の卒業式で、職務命令に反して起立斉唱せず、減給1カ月の処分を受けた男性教諭が、処分の取り消しと200万円の賠償を府に求め、大阪地裁に提訴していたもの。

二審判決は、職務命令の根拠となった府条例を合憲としているが、憲法に保証されている「思想信条の自由」を否定する「条例」じたいがおかしいと、私は思う。
自治体の条例よりも上位に置かれるべき憲法に保証されている国民の権利を、なぜ司法の場が尊重しないのか。

今回の判決は起立斉唱について、「慣例上の儀礼的な所作で、ただちに人の内心に踏み込むものではない」というが、「慣例上の儀礼的な所作」が「慣例」「儀礼」の範疇なら、百歩譲ったとしても、例外措置を認める方法をこそ模索すべきであって、義務づける方がおかしい。
本当は堂々と拒否の自由を選び取ることができるべきだが、現状対応としての「例外措置」じたい、いろいろに考えられるはずだ。
「人の内心」の問題とわかっているのだから、少なくともこんな「問答無用」「却下」のような措置は、なじまない。
本人の意志に反する「慣例」「儀礼」に従わなかっただけで、なぜ「罰則」までが必要だというのか。
減給処分についても一審判決に続き、「府の裁量の範囲内」だとしたというが、どう考えても、「思想信条の自由に反する行いを拒否して罰を受ける」ことは、基本的人権をないがしろにすることで、憲法にも民主主義にも反している。

教員ならずとも、生徒・学童にもまた、自分で「日の丸・君が代」に対する判断を持つ権利があるはずだ。こうした「強制」は、「児童の権利」を尊重することを重んじる方向に動きつつある国際的な趨勢にも反する。

そして、「国旗・国歌強制」を合法とするこうした動きが、教育勅語を教育の場に持ち込もうとする動きと結びついたとき、どうなるのか。

政府の「教育勅語」容認姿勢が、教育現場への「復活」を後押しするのではないかと危惧するのが「考えすぎ」であれば、幸いである。
憲法が定める国民主権・主権在民に反し、国会で69年前に排除・失効決議された教育勅語を、「憲法や教育基本法に反しない形」で教材に使うことなど、不可能だ。
しかし義家弘介・文部科学副大臣は、教育勅語を幼稚園などの朝礼で朗読することについて、「教育基本法に反しない限りは問題のない行為であろうと思う」と国会で答弁した。
それはおかしい。
普通に考えてみればわかることだ。
幼稚園児に、「教育勅語」の内容が理解できているだろうか。
自分自身で是非の判断がつけられない児童であれば、疑いの余地なく、問答無用の「強制」である。
教育勅語を幼稚園などの朝礼で朗読させることは、意味がわからないうちからただ憶えさせ、洗脳しようということだ。
それが「日の丸・君が代」を教育の場で「自分の国の旗・歌」として強制的に馴染ませようとすることの延長でないと言えるのか。

戦前・戦中の「修身」「道徳」は、天皇への奉仕を「臣民(国民)」の守るべき徳目とし、同じ明治期にできた軍人勅諭と共に、国民を総動員体制に駆り立てた。
天皇のために命を投げ出せと「強制」した。かつて石原慎太郎でさえ「君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だって、あれは一種の滅私奉公みたいな内容だ」と言っている。

「国旗・国歌」は、戦時中の国民の思想統制での「皇道文化聖戦」、生活の中で「皇化」をはかるべく「国民の用意」が説かれたさいの重要な手段だった。
「教育勅語」は、軍部や官憲による思想統制の道具である。大真面目に教育の場で使うことの是非を取り沙汰していることじたいが、異常だと思う。だが、国民の鈍感さにつけ込み、「国旗・国歌」と「教育勅語」のあいだの距離を詰めようとしているのが、現政権であり、それに従っているのが、「官邸の人事」を怖れる、この国の官僚や法曹界の人々なのである。

この季節にいつも思う。
桜は桜である。
誰かが「国花」と呼ぶのは勝手だが、桜そのものは、存在として、自由である。日本国の何かを象徴したりするつもりは、ない。
桜を自分なりの美意識と感覚で捉えることは、当然の権利として、私たちに許されているはずだ。
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「おかやまいっぽん」での講演

2017-04-11 | Weblog
日曜日、「おかやまいっぽん」での講演を終えた。このグループの一周年イベントである。国際交流センター。
なぜ「いっぽん」か。まあ、要は、「自民党以外で一本化する」の「一本=いっぽん」がこのグループの名前の由来である。
この日に選挙があった地区以外の岡山の野党関係、国会議員も含めてほとんど結集していた感がある。市民団体の人たちも全県から。
憲法改悪や共謀罪等に反対し、集団的自衛権行使容認の閣議決定や安保法制の成立を進めてきた安倍政権を否定するために集まるのであれば、意義あることだ。
燐光群の岡山公演を応援してくださっている皆さんも大勢参加されていた。

自分が岡山出身者であることから話し始めた。水道橋博士やヒロトらと岡山で同世代であることは知られている。
演劇人なので公的な演劇教育の話から。劇作家協会の話。演劇に於ける感受のシステムと双方向性のこと。
沖縄、南西諸島のこと。多くの誤解に晒されている現実。米軍・自衛隊について。
岡山にはカウラ事件の生存者・立花誠一郎さんが在住されているので、戦陣訓から教育勅語、戦争の話。天皇制のこと。
「公共性」とは何か。福島のこと。等々。演劇を手掛かりに、違う目で見てほしい事柄を中心に。

講演用に簡単にメモは用意したが、さくさくと進め、予定時間より五分くらい早く終えた。
超満員。ロビーで販売していた私の本が、全部売れてしまった。
懇親会、二次会まで、多くの人たちと話した。

ここまで本気で安倍政権を倒したい人たちが一定数集まっているのは事実だが、いろいろと難関はあるはずだ。
「その先」を見据えていないといけないだろう。「いっぽん」であることが裏目に出ないことを、願う。

しかし政治の世界では、本当に「選挙」というものが大きいのであろう。
そして、それぞれの思いで、「市民」の立場で懸命に働いている人たちがいる。
いろいろな面で恵まれた土地である岡山には、そこに甘えなければ、多くの可能性がある。
あらためていろいろなことを思った。
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鈍感さが膨脹している

2017-04-10 | Weblog
報道によれば、福島県の被災地を訪れた安倍総理は、今村復興大臣が原発事故による自主避難者の帰還をめぐり、「本人の責任」などと発言したことについて、「今村大臣の発言の問題につきましては、大臣からすでに謝罪をしているところでありますが、私からも率直におわびを申し上げたいと思っています」と謝罪したという。視察に同行した今村大臣も、神妙な面持ちで頭を下げたらしい。

これに先立ち、安倍総理は、4月1日に避難指示が解除されたばかりの富岡町を訪れ、帰還した住民らに対し、「富岡の皆さんが、この町に住んでよかったと思ってもらえるように、全力で復興に力を入れていく」と話したというが、ピントがずれてはいないか。

今村復興大臣は自身が激高した態度を取ったことを謝ったに過ぎないという見方もある。
内容的には反省なんかしていないと思う。

謝る謝らないの問題でさえない。責任問題だ。なぜあんな暴言を吐いてその立場に留まっていられるのか。
ここまでひどい事態を招いてやめずにすむというのはどう考えてもおかしい。
まあ、今村大臣がやめるなら、失態続きの稲田防衛相もやめないわけにはいかない、そういう連鎖は避けたい、ということなのだろう。

謝罪すべき相手は、帰還した自主避難者ではない。帰還できなかった人たちだ。
そして本気で謝罪するなら、しっかりとした補償をするという態度を示すべきだ。
帰還・復興ありきは、おかしい。

大阪高裁が高浜原子力発電所3、4号機(福井県高浜町)の再稼働を認める決定をしたことを受け、原発の営業運転開始後には電気料金を下げる方針がきまったという。大阪ガスが電気とガスのセット契約で対抗値下げを検討。まったく、被災者へのケアや、市民の原発への不安を無視したところで事態は進行している。

JCO事故では1ミリSv超で生涯健診無料なのに、福島原発事故では20ミリSv以下で帰還させようとしている。同じ日本で差別的施策が行われていることを誰も説明できない。

原子力規制委員会は、東京電力福島第1原発事故の対応を議論する検討会を開き、座長役の更田豊志委員長代理が、メルトダウンが起きた1~3号機原子炉を冷却するため続けている注水について、効果の検証などを目的に一時停止を提案。「注水が(核燃料に)どう掛かっているかも分からない」。一定期間停止することで、原子炉内の状況を把握できるか検討するよう求めたというのだ。

東京電力は、福島第1原発2号機の原子炉格納容器の内部調査で撮影した映像を解析したところ、一部で毎時530シーベルトという超高線量を測定したと発表した。人間が近づけば即死するレベルの場所がどんどん広がっている。メルトダウンどころか、メルトスルー、メルトアウトが起きていて、それはさらにひどくなっているのだ。

この間、川内原発1号機でも、1次冷却水の放射性ヨウ素131の濃度が通常値の2倍近くに上昇した事が確認されたりしている。

海外の原発関連企業の破綻のニュースは次々に飛び込んできている。

何の反省もない。鈍感さだけが膨脹している。
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なぜ溜め息は音がするのか

2017-04-08 | Weblog
「東京ろう映画祭」開催中。渋谷ユーロライブを中心に。(https://www.tdf.tokyo)

オープニングの「私を見てください、私もあなたを見ます」「井上孝治、 表象を越えた写真家」を観た。
2本目は字幕+手話付きという上映形態だった。
どなたか関係者だろうと思っていたら、最初隣に座っていた女性が監督のブリジット・ルメーヌさんだった。

昨年来、聴覚障害のお客様に俳優の「言葉」を伝える手段をどのように考えるかということが劇作家協会の中でも議題になっており、瀬戸山美咲を中心に、いろいろな団体ともやりとりしながら、取り組みというか情報収集と議論が始まっている。
私も昨年夏の公演で、劇団での上演でアフタートークの「手話付き」バージョンを試したりした。
字幕そのものは私の劇団は海外公演が多いので、そのノウハウはある程度持っているわけだが、聴覚障害のお客様に向けてという視点で特化して考えたことはなく、確かにこれから考えていくべきことだと思っている。

今回の映画祭のテーマは「視覚の知性化」。じっさい、幾度となく「視覚の知性」という言葉が語られた。

会場は、開場待ちで並んでいる廊下から、場内まで、とても静かだった。
皆が手話で会話している。手話のできない私が、係の方に、わざわざ口にして話していただいてる、という感じなのである。

舞台挨拶やトークの際も、いわゆる「ノイズ」がほとんど聞こえなかった。
溜息や、なんとなく出す「うー」とか「あー」とかいう種類の音が、ほぼないのだ。
壇上や係員で、言葉で語る人もいることはいたが、常時、基本的にはしわぶきひとつなく静まりかえっていた。

「なぜ溜め息は音がするのか」、という問いを、初めて持った。
つまり、息が、身体の一部に当たって発される「音」の手応えもまた、それぞれの人間が生まれてきてから身についた、習慣なのである。
この場には、必ずしも「音」ではない感触で自分の呼吸を身体的に認識してきた人たちが、かなりの絶対数として、いるのだ。
音を発する人たちばかりの場ではない集中力、感受性のあらわれ方があり、そこにはそうでなければ感じられないものがあるように思われた。
それが「視覚の知性」の一つの要素であり、「感性」なのであろうと思う。

写真は、会場の観客席の皆さんが、舞台上に手話で応えている様子。


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『それゆけ安全マン!?』今すぐ読めます。

2017-04-07 | Weblog
終わったのだが、見逃した、残念、と多くの声が届く、

非戦を選ぶ演劇人の会 ピースリーディング 『それゆけ安全マン!?  ~レントゲン・チェルノブイリ・フクシマ~』。

構成・脚本/相馬杜宇・清水弥生  演出/関根信一


座・高円寺ではワンステージのみのリーディングだから、観られなかったのは仕方がない。

しかし、台本はすぐに読めます。

写真は、『それゆけ安全マン!?』作者の一人、車椅子の相馬杜宇さんを囲む、舞台袖というか楽屋ロビーの風景。
左にいるのが相馬さんのお母様である。

そして、姫田蘭さん撮影の4K・4カメラ映像を、全国各地での上映が可能になるはずです。

台本ダウンロードはこちらです。

http://hisen-engeki.com/daihonn.htm


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『それゆけ安全マン!?』座・高円寺上演終了と、復興大臣の被災者へのいじめの醜悪さ

2017-04-05 | Weblog
非戦を選ぶ演劇人の会 ピースリーディング 『それゆけ安全マン!?  ~レントゲン・チェルノブイリ・フクシマ~』。
構成・脚本/相馬杜宇・清水弥生  演出/関根信一
座・高円寺上演終了。超満員。

6年前、震災直後に書かれた台本だが、原本に沿った形で少しリニューアルはしてあるものの、当時の空気を思い出す。
あれから6年以上が経って、いったい私たちは何を学んだのだろう。

復興庁の今村大臣はこの4日、31日で住宅支援の打ち切りを迎えた「自主避難者」に対し、国に責任はなく、「自己責任」だと明言した。
ひどいものだ。
原発事故は東電と国の責任である。被災者に責任など微塵もあろうはずがない。

今村大臣は、自主避難者が先日29日に提出した署名の存在について、知らないと回答。国は、帰還についての条件づくり、環境づくりをしてきたと述べ、住宅支援については、福島県の状況を理解していない国の役人が対応することはできないとの考え方を示した。実際に帰れない人がいることについては、「本人の責任でしょ。本人の判断だ」と明言。「線引きをして、ルールにのっとってきた」と語気を強め、「裁判でも何でもやればいいじゃないか。」と声を荒げたそうだ。
人間の暮らしに勝手に「線引き」する権利が、国家にあるのか。
取材者に「責任をもって回答してください」と突っ込まれると、大臣は「無礼だ。撤回しろ」と語気を強め、最後は「二度と来るな」「うるさい」と怒鳴りながら、会見室を退室したという。
なんなんだ。
なんと子供じみた、失礼な振る舞いだろう。辞任以外あり得ない。

本当に感覚が麻痺してきている。

この感覚麻痺は、この社会全体に蔓延している。
まさに、『それゆけ安全マン!?』の中で、私が読んだ広瀬隆氏の以下の台詞の通りである。

広瀬隆 人間の感覚ほどあてにならないものはありません。私たちは日に日に放射能がどこかへきれいに流されて、自分の周りが少しずつ安全になってゆくように感じています。しかし死の灰はまだそのままの形で、相変わらず危険な姿で戻ってくるのです。動物と植物が同じものを狭い世界の中でぐるぐるやりとりをしながら生態系をつくっています。そのため、生態系の中で放射性物質が日に日に濃縮していきます。頭で知っていても何にもならないのです。

「私たちは日に日に放射能がどこかへきれいに流されて、自分の周りが少しずつ安全になってゆくように感じています。しかし死の灰はまだそのままの形で、相変わらず危険な姿で戻ってくるのです。」
そうだ。この現実は、揺るがない。
どこが「アンダーコントロール」なのか。

「自主避難者」に対するいじめと脅迫は、断じて許されるものではない。

さて、『それゆけ安全マン!?』作者の一人、相馬杜宇さんもも病院から1日外泊許可を得て登場。まだ車椅子だが、恢復めざましい姿が見られてよかった。

ワンステージのみのリーディングだが、出演者全員の許諾を得て、姫田蘭さんが4K・4カメラで動画収録。
ラサール石井さん、大鷹明良さん、小嶋尚樹さんのダンスもばっちり入っています。

このリーディング映像の上映会を開催してくださることは、大歓迎である。
編集が仕上がるのがいつかはわからないが、非戦を選ぶ演劇人の会にお問い合わせいただければ幸いである。



非戦を選ぶ演劇人の会
http://hisen-engeki.com/index.htm


写真は、開演前のロビー。撮影・姫田蘭。
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非戦を選ぶ演劇人の会 ピースリーディング 『それゆけ安全マン!?』本日ワンステージのみ

2017-04-04 | Weblog
一日だけの稽古を経て、『それゆけ安全マン!?  ~レントゲン・チェルノブイリ・フクシマ~』、いよいよ本日ワンステージのみのリーディング。

昨日は、その稽古を早めに切り上げ、座・高円寺2017年プログラム説明会に参加。

毎年恒例ではあるが、桑谷哲男(館長)、佐藤信(芸術監督)、生田萬(劇場創造アカデミー)、竹屋啓子(座・高円寺ダンスアワード)、西沢栄治(劇場へいこう! 新作『フランドン農学校の豚―注文の多いオマケ付き』演出)、2017年度提携公演に関わる、大西弘記(TOKYO ハンバーグ)、堀越涼(あやめ十八番)、橋本隆(高円寺びっくり大道芸)、坂本鈴(劇作家女子会。)、林周一(演劇集団 風煉ダンス)、柳本雅寛(+81)、髙田恵篤(演劇実験室◉万有引力)、大橋ひろえ(サインアートプロジェクト.アジアン)、渡部ギュウ(SENDAI座☆プロジェクト)、野崎夏世(to R mansion)、冨澤武幸(東京高円寺阿波おどり振興協会)、工藤丈輝(東京戯園館)、松村武(カムカムミニキーナ『>(ダイナリィ)』)、八鍬健之介(wonder×works『アカメ』)、鴻上尚史(虚構の劇団)、丸尾丸一郎(OFFICE SHIKA PRODUCE)、山崎裕 (座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル)、中津留章仁(トラッシュマスターズ)、鼎談進行の柾木博行(国際演劇評論家協会日本センター)といった、濃すぎる面々。

ほぼ徹夜状態で午前中からあちこち移動、けっこうストレスフルな日だったが、深夜になって重大な捜し物が見つかり、また、去年、間に入ったある人事がうまくいった報せが届き、ほっとする。共謀罪を六日に審議開始しようとしているという話に怒りがおさまらないが、悪いことばかりを見ていても仕方ない、とは思う。

以下、リーディング情報を再掲。

非戦を選ぶ演劇人の会 ピースリーディング vol.20
『それゆけ安全マン!?  ~レントゲン・チェルノブイリ・フクシマ~』
構成・脚本/相馬杜宇・清水弥生  演出/関根信一
本日 4月4日(火)19:00
会場:座・高円寺2

震災の年、2011年6月初演。震災直後、原発問題について、相馬杜宇と、燐光群の清水弥生が、本気で書いた台本。東京新聞に連載された、話題作である。

それにしても出演者がみんな素敵だ。Pカンパニーの内田龍磨さん、渋い! 大沢健君、相変わらずかっこいい。大鷹明良さん、二枚目芝居なのにやたら笑える。今は岐阜に住む大月ひろ美が非戦のため東京に! 荻野貴継、皆を和ませる天然上等! ほんとは怖い小嶋尚樹さん、うまい。髪型が大人になった小林あや。眼鏡が似合う齋藤千裕さん、武山尚史、宗像祥子、船場未生さん、ともに高校生役! 本人の盟友だけに相場君役がはまる清水大将くん。「ブルト君」も楽しい堂々たる竹下景子さん。重田千穂子さん・高橋長英さん・田根楽子さん・根岸季衣さん、ベテラン先輩諸氏の豪華さ! 枝野役のとぼけ方が愉快な土屋良太さん、ミスター「安全マン」ラサール石井さん、都知事役なので対決しなければならないのだが流山児祥さん。そして明日登場の益岡徹さんが楽しみだ。

他の人の写真を出していいかどうかわからないから、稽古風景の写真は、占部房子と私。松田正隆作・鈴木裕美演出による10年前の二人芝居『蝶のやうな私の郷愁』では、夫婦役を演じたのである。
撮影・姫田蘭。本番では動画撮影もしてくれます。

宣伝しておいてなんだが、完売のようです。少し確保していたはずの当日券が今現在まだ残っているかどうかは今は私にはわからない。諦めきれない方は問い合わせていただければ。

上演情報はこちら

http://blog.goo.ne.jp/sakate2008/e/34f23ac4513a8980fe6c1612d353ffcf

見に来られない方のために、台本ダウンロードはこちら

http://hisen-engeki.com/daihonn.htm

座・高円寺2017年プログラム説明会HPはこちら

http://za-koenji.jp/detail/index.php?id=1677
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「森友学園問題」後の「なし崩し」に呆れる

2017-04-03 | Weblog
「森友学園問題」は、憲法改正への意欲を示す安倍晋三首相再就任以来の、日本の右傾化を象徴している。
発覚した頃から出回っている、子どもたちが「教育勅語」を唱和する、森友学園関連の塚本幼稚園の動画は、かなり深刻だった。園児たちに、戦前の偏った思想教育の根幹である「教育勅語」を暗唱させていたのだ。運動会の宣誓では「日本を悪者として扱っている、中国、韓国が、心改め、歴史教科書でうそを教えないよう、お願いいたします」というフレーズも唱えさせている。「洗脳」以外の何物でもない。
安倍首相は「巻き込まれた」かのように装っているが、そうではないだろう。かつて首相夫妻は森友の教育方針に対し「私とまったく同じ考えを持っている」と賛辞を捧げている。昭恵夫人は、塚本幼稚園での講演で、「そこで培われた芯が、公立の小学校へ行って損なわれてしまう危険がある」、だから「瑞穂の国記念小学院」が必要とする旨の発言をしていた。
そして籠池前理事長と稲田防衛大臣は「志を同じくする同志」であるらしい。
森友学園を支えてきたのが、神社本庁と手を組んで戦前回帰を目的とする政治団体「日本会議」だ。安倍政権の中枢部・現閣僚のほとんどが参加し、彼らが学園を支援している。

もちろん、日本の幼稚園や学校のどこもがあんなことをやっているわけではない。しかし楽観してはいけない。
文部科学省・厚生労働省が、保育現場で「国旗と国歌に親しむ」という指針を進めている。教育要領等に、三歳児以上が「保育所内外の行事で国旗に親しむ」「国歌、唱歌、わらべうたやわが国の伝統的な遊びに親しむ」と記されている。

そして政府は31日、「教育勅語」を学校教育で使うことについて、「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としたうえで、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。
まったく、最近の「閣議決定」の大安売りは、いったい何なんだろう。しかもそのほとんどが無茶苦茶なものである。

教育勅語は1890年10月、明治天皇の時代、「君主に奉仕する臣民の教え」として示したもので、戦前・戦中の教育の根本理念とされた。
1938年に国家総動員法が制定されると、その体制を正当化するために利用される形で、軍国主義の教典として利用された。治安維持法の時代には、国民教育の思想的な基礎として神聖化されていった。
「朕惟フニ」から始まり最後に「皇祖皇宗の遺訓」とまとめれる。「天皇の臣民」が守るべき「徳目」が並べられている。
その最後にある「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」は、天皇のために身を捧げる軍国主義の根本精神、今の道徳にあたる修身教育の柱だ。天皇の子どもとして、命を投げ出す人間でなければならぬ、臣民として、天皇の統治する国に緊急事態=戦争があったら、自ら志願して死ねと教えるものだ。
教育勅語の写しは、学校では御真影(天皇の写真)とともに奉安殿に保管され、生徒には全部暗唱することが強く求められた。
教育が国家に奉仕する目的とされるのは、ファシズム・軍国主義の世界である。

太平洋戦争後、日本国憲法が公布された後は、この勅語は否定されており、48年6月には、衆参両院で、教育勅語の排除・失効の確認が決議されている。教育勅語が「神話的国体観」に基づいている事実は、明らかに基本的人権を損ない、国際的にも疑念を残すとして謄本を回収し、排除を完了するとした。
ところが14年4月の参院文教科学委員会で、当時の文科省初等中等教育局長・前川喜平前次官が「教育勅語の中には今日でも通用するような内容も含まれており、これらの点に着目して学校で活用するということは考えられる」と答弁、当時の下村博文文科相も「教材として使うことは差し支えない」と答弁している。
稲田朋美防衛相は3月9日の参院外交防衛委員会で「教育勅語の中にある親孝行とか、夫婦仲よくするとか、友達を大切にするとか、日本は世界中から尊敬される道義国家をめざすべきだという考え方が核だと認識している」と述べた。
十六日の衆院・安全保障委員会でも、横路孝弘議員の質疑に対し、「父母ニ孝ニ(親に孝養を尽くしましょう)、兄弟ニ友ニ(兄弟・姉妹は仲良くしましょう)、夫婦相和シ(夫婦は互いに分を守り仲睦まじくしましょう)、朋友相信シ(友だちはお互いに信じ合いましょう)」など、今日でも通用する普遍的な内容を含んでいると答弁。「教育の唯一の根本理念として復活させるべきとは考えておりません」とは言っているが。
文科省生涯学習政策局政策課は、憲法や教育基本法などで「教育勅語の法的効力はなくなっている」と強調。例えば、歴史的事実として勅語について教えるケースなどが想定されると、ごまかしている。だったらわざわざ閣議決定して「お墨付き」を得る必要はない。

そもそも天皇崇拝は憲法違反である。
共産党の機関紙「赤旗」が1日付の紙面から、西暦に加えて元号の併記を始めた。同党は、昨年の通常国会以降、天皇陛下が臨席する開会式に志位和夫委員長ら幹部が出席。野党共闘を意識した「柔軟路線」の一環だというが、これでは天皇制を否定する政党がなくなってしまうではないか。

2018年度から教科化される小中学校の「道徳」学習指導要領では、家族愛等について、「父母、祖父母を敬愛し」などと盛り込まれている。「教育勅語」を暗唱することに始まる復古主義教育の流れであろう。
31日に告示された中学校の新学習指導要領では、中学校の保健体育の「武道」に「銃剣道」が新たに盛り込まれた。
国体種目だが、旧日本軍の戦闘訓練に使われていた「銃剣術」の流れをくむ。連盟の会員数は全国に約3万人。大半は自衛官であり自衛隊の部隊によっては勝手に会員にされてしまっている。自衛隊では入隊時、陸上自衛官や航空自衛官のほとんどが習い、陸自では、持久走・射撃と並ぶ「三大戦技」のひとつだという。
軍事教練の復活だと思われても仕方がない。

そして、初めての小学校道徳の教科書検定が終わり、散歩中に友達の家のパン屋を見つけた話で「パン屋」を「和菓子屋」に、町を探検する話題ではアスレチックの遊具で遊ぶ公園を和楽器を売る店に差し替えられたという。いずれも文科省が、道徳教科書の検定で、「郷土の文化や生活に親しみ、愛着をもつ」との項目を持つ「学習指導要領」の示す内容に照らして、「扱いが不適切」と指摘し、出版社が改めた。外国っぽいものを排除して日本的なものを優遇する自国文化中心主義の反映なのであろう。病的な細かさだ。

「森友学園問題」後の「なし崩し」には、本当に呆れさせられる。

三月十六日の衆院・安全保障委員会の横路孝弘議員の質疑は、教育勅語について丁寧に説明している。
昭和20年、終戦の年。総理大臣・幣原喜重郎が、アメリカの使節団に対して、「始めべからざる戦争を始め、継続すべからざる戦争を継続して、今日の悲惨を招くに至ったのは、歪んだ日本の教育にその一因がある。日本の教育改革が絶対に必要であることは天下の世論である。」「その改革の方向は単に軍国主義、過激国家主義を払拭するのみでなく、なぜ軍国主義、過激国家主義に軽々しく染まったのか、その基礎を深く反省しなければならない」「日本は過去における占領政策において、極めて多くの失敗をした。朝鮮において、中国において、満州において、南方においても然りである。それはその国の伝統と実情を無視し、自分勝手な政策の力を以て強いたからだ」と述べたという。

70年かけて培い、守ってってきたはずのものを、なぜ手放さなければならないのか。
「戦前」の国家主義ではなく、「戦後」の平和主義を尊重すべきであることを、なぜ誰もが言わなくなってしまうのか。
「戦後民主主義」のいい部分の価値について、それを自明と思わず、強く明確な主張として受け継いでいけるようにしなければならない。
あらためて、今の人たちに響く、届く言葉で。
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岡山での講演会 告知させていただきます

2017-04-02 | Weblog
一週間後ですが、岡山で講演いたします。

「演劇と政治」というタイトルになっていますが、何を話すかは、「何がベストか」を主催者の皆さんと相談して、これから考えます。
「おかやまいっぽん」の、本当に真剣な方々とご一緒しますから、演劇というジャンルの垣根を越えて、ちゃんとやるつもりです。

詳細情報は、以下の通り。

※       ※       ※

4月9日(日)14:00- おかやまいっぽん一周年記念イベント「すべては日常のなかに!」のお知らせ

おかやまいっぽん、1周年!
と、いうことで、
これまでの活動を振り返り、未来につなげる会を企画しました。
ゲストには岡山出身の劇作家・坂手洋二さんをお招きし「演劇と政治」というタイトルでお話をいただきます。
参加自由、無料です☆
どなた様でも、お気軽にご参加ください!
おかやまいっぽん一周年記念イベント
「すべては日常の中に!」
4月9日(日)14:00-17:30(開場13:30)
第1部 14:00-15:30活動報告「ボクらのイチネンをみらいに」
第2部 15:45-17:30坂手洋二さんの講演「演劇と政治」
(坂手洋二さんブログ)
場所:岡山国際交流センター2F国際会議場
(〒700-0026 岡山市奉還町2丁目2番1号)
参加無料 ※子どもスペースあり
主催:おかやまいっぽん
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『くじらの墓標 2017』公演終了。ありがとうございました。

2017-04-01 | Weblog
『くじらの墓標 2017』吉祥寺シアター公演、無事終了しました。

千秋楽の後、撤収作業は免除させていただいて、劇作家協会の運営委員会に。渡辺えりさんと久しぶりに話す。会議後、劇作家だけ八名で飲みに行く。しみじみといいものである。

今日は朝から栃木の劇団倉庫に行き、倉庫内の片付けと、収納。劇団員と森下紀彦舞監で一日過ごす。身体を動かすだけでなくて倉庫内の配置のことなどいろいろ考えることも多し。まあ、これもなかなか楽しい時間である。

劇団事務所に戻って今これを書いている。
これから手づくりの打ち上げである。

写真は、2001年の鮎川の捕鯨倉庫()。津波で流れて今はない。『くじらの墓標 』の装置との相似は、わかりますね。でも美術は加藤ちかのオリジナルで真似したわけではありません。
上演中は、演劇のこと、クジラのこと、今現在のこと、いろいろなことを思う日々だった。

さて。
文化庁の助成金も三つの枠で落ちた。
劇団運営的にはもう限界である。
将来的な解散も含めて、今後のことも考えていきたい。
私個人も演劇を離れて歌手デビューする夢をそろそろ叶えようと思う。あるいは、アラスカに移住する話を決定しようという考えもある。
と、吹いておく。
四月一日だからね。
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