この秋亡くなられた木内みどりさんのことを思い出していて、浮かんでくる一つは、一昨年の六月、映画人、演劇人が国会内で開いた「共謀罪」に対する意見交換会のときのことだ。
司会は、井上淳一さん。日本シナリオ作家協会の加藤正人理事長は、「優れた表現は反権力的になるものだ」と指摘。「表現の自由を著しく束縛する共謀罪は看過できない」として、日本劇作家協会の「『新共謀罪』に反対する表現者の緊急アピール」(2月発表)に、シナリオ作家協会としてその月の13日に賛同したことを報告してくれた。この「『新共謀罪』に反対する表現者の緊急アピール」を出すまでのしんどかった日々のことを振り返ると、今でも気が重くなるが、その話は、今はしない。このアピールには、日本映画監督協会など9団体が賛同してくれた。
木内みどりさんはこの意見交換会で、沢村貞子ら治安維持法で逮捕された先輩たちの苦難に触れ、「共謀罪には絶対反対。安倍政権に早く倒れてほしい」と話した。
そのとき私は、共謀罪の先にあるのは「憲法改悪」であり、その時の動きが「安倍政権のイメージする『戦争のできる普通の国』への布石の一つ」だと言ったはずである。
映画、演劇は観客と作り手の生存を守らなければ成り立たず、だからこその「表現者は戦争に反対する」という言い方を、当たり前すぎる、子供じみているとする意見も聞いたことがあるし、原則論ばかり言っていていいのかと思うこともないわけではないが、守らねばならないものがあるなら、まず示すべきで、なりふりは構っていられないのではないだろうか。
そして、あれから二年半経って、この国全体に、ほんとうに毒が回ってしまっている。今の時代の「あきらめ」に傾きがちな感じ方の重さは、「アンチ共謀罪」さえ共有でききれていなかった当時の空気からそのまま持ち越されているもののようにも思えるのだ。
というか、今になってようやく実名を挙げ、自民党や安倍総理の批判をしたって、遅いのである(もちろんすべきだが)。桜を見る会問題や詩織さんの件、経済政策の失策、海外への金のばらまき、TPPのひどさ、貧困の悪化、高齢者社会への対応放棄、医療の高額化、教育システムの破綻、オリンピックの醜態、原発の膠着状態、あいトレの件、もう、挙げられるだけで政権転覆以外あり得ない、最悪のこの状況下である。もう批判を言えないはずはない。ただ、ようやく、もっともらしく与党批判をはじめている人達の中にも、一昨年、この写真の頃には、アンチ共謀罪という考え方は共有しているはずでありながらも、「表現者団体は特定の政党を批判するようにとれる発言はしない方が良い」「両論併記は守るべき」「若い人達が引いていくから政治的な発言をする団体と思われないよう気をつけるべきだ」「仕事がなくなる責任はとれるのか」「保守派の意見もきちんと聞かなければ」等々、もっともらしい顔で言い、ブレーキをかけることに加担していた人たちが、ほんとうに多くいる。当時、「表現の問題」に絞った立ち位置で言うことでさえ、内部にも外部にも、むなしい軋轢があった。私は忘れない。
ともあれ、遅すぎるも、早かったも、ない。間違っていることを正すのであれば、終わりまでやりましょう。それだけである。
時々、木内さんに「しっかりしてよ」と言われているような気がして、ああ、ほんとうにあの人はいなくなったのだな、と思う。でも、繋がりは感じる。信じる。
ちなみに、当時のシナリオ作協理事長・加藤正人さんは、ぼそぼそと映画と関わっていた八十年代からの知り合いである。八十年代には生まれていなかった人達とも現場を共にする日々。時の過ぎゆく速さに、ときどき、眩暈がする。