黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

石田川式土器に逢いに・高山彦九郎記念館

2022-05-13 15:38:19 | 群馬県・東毛

雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、ビンボー合羽で堀之内を西に出て、天神田(字天神のたんぼ)を歩いてきました。

誰にも会いませんでした。

 

昨日の朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、北に出て、岩神沼で久しぶりにカモさんに逢いました

でも、ひめちゃんは落ち着きません。

ひめちゃんの視線の先には、黄色い帽子の集団です

小学生の集団登校に出くわしてしまいました

沼の淵に待機してやり過ごしてから、北上します。

 

高輪の摩崖仏に、おはようです

大きな梅の実がなってます

早いね

 

 

 

4月27日、石田川式土器に逢いに、高山彦九郎記念館に出かけました。

何度か来ていますけど、久しぶりの訪問です。

和の中に、さりげなく洋風の建物です。

ヒメシャガが、いい雰囲気で咲いています

あれ、ひめちゃんちのはどうしたろう?

絶滅してしまったかな

 

 

受付で、入館料¥100を払います。

彦九郎さん、こんにちは

カメラはここまでです。

1階の展示物はカメラ禁止です。

 

 

さっと見学して、2階に上がります。

2階はカメラOKです

藪塚から移転のご挨拶です。

 

 

いろいろあります。

こんな小さな土偶もあるんですね。

 

 

ありました、ありました

石田川式土器です

藪塚で何度か見ているはずですけど、はっきりした記憶がありませんでした。

ためつすがめつ、よく眺めます。

これが我が故郷の川、石田川の名を冠した石田川式土器です。

 

説明板も確認です。

S字のフチは東海地方のトレンド。この地域のモノの伝来に伴って、人の移動があったかもしれません。この土器が作られたころは、邪馬台国と狗奴国の戦いが終わり、ヤマト政権が広がっていった時期。集団移住?戦争難民?あなたの推理は?

 

約1700年前、石田川のあたりでは、この形の土器がつくられていたんですね。

 

あ、あの鶏の頭、ありました

石田川遺跡から出土した、鶏形埴輪です。

薮塚で見た記憶があります。

 

 

三島神社境内から出土の勾玉です。

この間、巨大案山子・かかまる君に惹かれて、薮塚の三島神社に寄りました

 

 

見なれない東山道駅路と遺跡の図です。

淡甘(たんかい)は、高尾(たこう 旧新田町高尾)になったとか言いますね。

滓野(かすの)・石西(いわせ)、どこだろう?

 

 

記念館隣の、彦九郎さんの遺髪塚にも参拝です。

合掌

 

 

彦九郎宅跡を通って帰ります。

平成5年(1993)の没後二百年に際して記念事業が実施され、現代的再評価が行われ、これをきっかけとして、平成8年(1996)に高山彦九郎記念館が開館した。

 

そうだったんですか。

子どもの頃は、彼の存在を知りませんでした。

 

また、時折お邪魔します

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする