ひめちゃんとタバサねーちゃんは、東の牧場を目指します。
牛さん、おはよう
牛さんたちは、ひめちゃんたちに興味を持ったようですけど、姉妹は無関心です。
ヤギさんたちの居た空間は、草に埋もれつつあります
今年のお正月まで、元気な女の子が1名生き残っていたのに
彼女、どうしたのかな?
ひめちゃんたちは、上のタケイ沼まで足を延ばします。
あれえ、ミドリ沼になってる
北側の沼も、やはりミドリ沼になってます
どうしたんだろう?
サマンサ坂を通って帰ります。
晴れてよかったね
5月5日、田部井(旧佐波郡東村)の虎薬師を再訪しました。
虎薬師には、駐車場がありませんので、前回と同じように近くの鹿島宮(鹿島神社)に駐車させてもらいました。
鹿島宮にもご挨拶です
右の駒犬さんです。
台座から落ちたことあるのかな?
左の駒犬さんです。
こちらは、疵がないようです。
どっしりとした拝殿です。
お賽銭を投入して、2礼2泊1礼です
本殿に描かれた絵も確認です
東面には、龍と虎の戦いの場面です。
北面には、三保の松原の天女?
西面には、黄色い花です。
何の花だろう?
拝殿の西側には、ゴミステーションと仲良く石造物の皆さんです。
ここは、神社も地域の会議所(公民館)もゴミステーションも、仲良く共存しているパワースポットです
『(佐波郡)東村誌 』に、鹿島宮の由緒がありました。
創立年月日不詳、旧社格無格社。社伝によれば、後鳥羽天皇の御宇建久五年十二月、総追捕使に任ぜられた源頼朝に、上野守護を命ぜられた安達藤九郎盛長が国家安穏を祈願するため、常陸国鹿島郡に鎮座する鹿島神宮を太田市森田の吉沢に分霊奉還したという。田部井主膳が吉沢より早川岸高台に勧請した。その後観音山に移され、次に現地番の1240付近に移り、慶長の頃和泉昭四郎氏宅地内にさらに移り、寛文九年現在地に建立され今日に及ぶ。
「田部井主膳が吉沢より早川岸高台に勧請した」んですね。
太田市森田の吉沢とは、太田市毛里田の吉沢?
太田の吉沢には、確かに鹿島神社があります。
数年前に訪問しましたけど、あまりの草の海にあえなく退却、社殿にまで至りませんでした
検索すると、古墳群があると言うことで、下草が刈ってあるという情報もあります
そのうちに、また訪問してみましょう
今日は、県道を少し南に下り、早川橋を渡って帰ります。
新里・奥沢の奥から流れ出した早川、まだまだいろいろな物語がありそうです