黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

天神沼の謎・後編

2022-06-24 15:42:15 | 蕨沢川物語

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

諏訪神社の紫陽花、今年は赤系がほとんどです。

ご褒美くださいな

さて、神社の向こうの高台を目指します。

赤城山はその姿を現しませんでした。

山上城のアジサイの小径を辿って帰ります。

あれ、ピンクの花がある

ここで初めてピンクの花を見ました。

 

常広寺の前を通ります。

山門前に、喜捨したいろんな紫陽花が咲いています

早く大きくな~れ

 

蕨沢川を渡ります。

黒柴ひめちゃん、「暑いよ

橋の上で、ひめちゃんのモコモコが気になったおじさんの手ぐしでブラッシングです。

同じにモコモコタバちゃんでも、白柴なので少し楽なようです。

 

蕨沢川(天神川)沿いに帰ります。

天神沼は竹藪のすぐ向こうだったということです。

でも、竹藪の向こうは窪地じゃないなあ

 

 

道の反対側、一番右端は、天神沼で泳いだ記憶のあるAさんちのお墓です。

その昔、先代住職より分譲されたそうです。

木々が生い茂り、北からやっとの事で辿り着いて、お参りしたと言います。

 

北側からの眺めです。

字天神の由来の天神様は、ここにあったはずです

なぜなら、字天神で田んぼでないのはここだけですから

暑いよ

早く帰ろうよ

まだ子供達の登校時間前なのに、もうかなりの気温です

とりあえず新墓地には寄らずに帰ります。

以下は、先日の写真使用での考察になります。

 

 

もしかしたら、北側から参道があったかな?

五輪塔のパーツも載ってるけど、なんとなく石灯籠のような

後閑の薬師堂の石灯籠を見ながら帰って、そんな風に思いました。

 

石造物が少しあります。

宝永・貞享の年号が見えます。

いずれも正徳(1711~1715)以前の年号です。

 

埋没している石造物、多くはなさそうです。

これ以上はちょっと進みにくい

 

 

東側から攻めます

東の端に、天神様と思われる石宮があります。

正徳五乙未十一月吉祥日 史雲奉立之

正徳五年は、乙未(きのとひつじ)の年、西暦1715年です。

史雲さんは、たぶん常広寺の和尚さんだと思うんですけど。

前年に田中藤左衛門が竜骨を持ってきて1年余り、たぶん竜骨ビジネスがうまくいっていた頃でしょう

いわば竜骨天神です

なぜ真冬かな?

新年のお参り場所を増やすためかな?

 

この付近にあったであろう石造物も集められていますけど、さほどの数ではありません。

本格的に墓地として利用されだしたのは、近年のことのようです。

 

すぐ東に溜池があります。

この溜池が天神沼ではと思ったこともありましたけど、違いました

 

天神様というと学問の神様です。

でも、ここにはあまりふさわしくありません

本来の天神、天界を司る自然の働き、すなわち日神・風神・雷神などを総称する五穀豊穣の神々を祀っていたのでしょう。

もともと祀ってあった五穀豊穣の神々に、少しりっぱな石宮または覆い堂を作ったのかな?

 

後閑の薬師堂も、祀られているのは石仏ですけど、かつては茅葺きの御堂があったのです。

ぜひ、文字の碑(たぶんこちらは裏面)をひっくり返して、前面を確認したいものです

 

コメント
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