夕方、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、南の方にお散歩です。
ケンくんちに、寄ってみようか
朝はいつもおうちの中だけど、昼間はお外にいるかも
ケンくん、いるかな?
ケンくんの姿はありません
おうちの奥の方で、「ボクはおうちの中だよ。」と声がします。
逢えなくて残念だけど、また来るね
畑中の道を歩くと、向こうからケンくんちのおじいちゃんがやって来ます。
[会えたかい?」
「逢えませんでした。また来ます。」
今日は暑くなる予報だったので、ケンくんはエアコンのお部屋で過ごしていたようです。
6月8日、ひめちゃんたちのグッズを買いに、新田のジョイフル本田に出かけました。
あちゃあ、店休日だ
めったに店休日なんてないのに
仕方がない、妙参寺沼(みょうさんじぬま)にでも寄って帰ろうか。
紫陽花が咲いてるかな?
今回は、南の駐車場を目指します。
西側から回り込みます。
川を渡ります。
石田川です。
橋の名は矢太神橋(やだいじんはし)です。
少し北のあの森には、一級河川・石田川の流れ出す矢太神水源です。
振り返ると、麦秋の風景です。
川の東にも、麦秋の風景です。
新田は、まだまだ二毛作をしています。
麦の刈り入れ時です。
矢太神橋を渡って、まもなく妙参寺沼の南側駐車場に到着です。
現在地は、左下のPです。
この写真は北側駐車場にある案内です。
南側のは劣化が激しくて、よく見えませんので、同じものなので代用します
桜の季節、北側から半分ほど散策しました
今日は南から散策です。
紫陽花が咲いています
あれ、「日本のため池100選」ですって
もちろんため池として、とても役立っているのでしょう
ところで妙参寺沼の名前の由来は、妙参寺ですよね。
地図を見ると、沼の東下に卍がある地図もあります。
沼の東下、あの紫陽花の向こうあのあたりに堂宇があるはずです
でも、ありません
向こうは民家です。
『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成14)に、妙参寺がありました
妙参寺(新田郡新田町)
妙参寺は、新田町大根字新屋敷にある妙参寺沼に東接して存在した曹洞宗の寺で、山号を円満山と称する。妙参寺は、上江田村の曹洞宗龍得寺末寺で、慶安二年(1649)、僧楚俊によって開かれた寺であり、開基は伊野塚隼人である(『上野国郡村誌』)。本堂は、明治二十年(1887)に焼失してしまった。再建された堂宇は、間口五間三尺、奥行き四間三尺であったというが(『綿打村郷土誌』)、現在は本堂・庫裏等は存在しない。~(中略)~
この妙参寺については、次のような悲しい伝承が残されている。
昔、大根のある家へ、太田の東門といわれる家から嫁が来た。ある日、近所のおかみさんたちが、ご祝儀見舞いに来たので、嫁さんがお茶を出した。
それを聞いた姑は、「屁っこいお茶を おあがりなんしょ」と言って出したという。近所のおかみさんたちは、姑の悪口と思っていたが、嫁さんは恥ずかしく思い、自殺してしまった。後悔した姑は、回心して諸国を回り、罪滅ぼしに嫁を供養するために寺を建てたという。
伊野塚隼人って、誰だろう?
上江田の龍得寺の末ですか
悲しい伝承、悲しいですね
前掲書には、妙参寺の住所も、住職の名もあります。
檀家は三軒ともあります
妙参寺は存在するけれど、実在しないお寺です
漏れ聞いたところに寄ると、寺じまい(廃寺)には、現在だと1~2億かかるということです
ひめちゃんちの近所にも、堂宇は存在しないけれど、近隣のお寺兼務して存在するお寺もあります。
いろいろな事情があって、存在するけれども、実在しない妙参寺なのでしょう。
さて、南から散策開始です
(つづく)