今朝はなかなか雨が止まず、ひめちゃんとタバサねーちゃんは、小雨の中をお散歩に出ました
何時の間にか雨も止んで、諏訪神社の向こうの高台を突き当たりまで歩きました
山上城跡公園の南を帰ります。
2人の足は、ケンくんちに向かいます。
ケンくん、いるかな?
逢えましたけど、ガラス越しの逢瀬でした。
でも、逢えて良かったですわ
あちこちのカテゴリーに散らばった、上野国山上の行仙上人著『念仏往生伝』関係の記事を、集めて編集中です
上野国山上に住んでいた行仙上人(ぎょうせんしょうにん)が編纂したという『念仏往生伝』には、赤堀で念仏往生を遂げた人が3人でてきます。
第28話・赤堀紀内男、第29話・同所懸入道、第30話・毒島尼の3名です。
第廿八 同国赤堀紀内男
盛年之比。以博奕成業。而建長元年閏十二月或時戌剋許。僧二人出来告云。汝近日可生極楽。早遂出家也。件僧経一夜。至其朝不知行方。其後出家。俄痢病更発。兼以十余日 。前両僧又来。毎夜教訓之至。同月廿二日。所住西方墻等悉破去。遙向西方天逝去了。
第廿九 同国同所懸入道
自在俗之時。常高声念仏。至老年遂以出家。至建長三年五月廿四日。仏来告云。来六月二日辰時可往生云々。仍廿五日樹市中。告諸人云。来月二日可往生 。諸人来結縁云々。人々不信之。或人至其期。相尋之処。至其門辺。聞有火急之声。即是彼最後念仏也。看病云。只今沐浴潔斎。着紙衣袈裟。端座向西。火急念仏。五十余遍。即臨終了。智阿弥陀□止見之語之。
第三十 同所布須島尼
年来念仏者也。信心殊深。剰若有病者。以念(以下欠落)
(『日本思想体系 7 往生伝・法華験記』1974岩波書店)
28話の主人公は、若い頃博打打ちだったけれど、念仏往生した人の話です。
29話の主人公は、は、ずーと信心深く、老年になって出家、仏のお告げを受けて、市中に立って、「私は来月二日に往生します。みなさん来て、結縁してください。」と云って、往生していった人です。
30話の主人公は、欠落部分が多くてよく分かりませんけれど、信心深い世話好きのおばさんの姿が思い浮かびます。
赤堀の念仏往生譚(ねんぶつおうじょうたん)が何処の話かわかりませんけど、布須島尼と関係ありそうな毒嶋城の近くということで、磯沼をちょっと散策です。
(訪問は2020年8月です。)
沼の周りを、現在地からほぼ赤い線で左回りに散策です。
網が張ってあります。
鯉か何かいるのでしょうか?
振り向いて堤の上には、弁財天です。
その向こうには、小さな円墳が、ポツンと寂しそうです
隣は、天幕城趾のあかぼり蓮園です。
堀切跡が蓮園になってます。
沼の畔には管理用のボートでしょうか?
アオサギが1羽舞い降りてきましたけど、シャッターチャンスを逃してしまいました
でも、よく見るといます。
ボートの向こうに水面に影を映しています
出口です。
桜の季節には、網も気にならない花の名所なのでしょう。
ここから駐車場まで道路を歩きます。
駐車場に不思議な建造物があります。
周辺の景色に馴染むように工夫されたデザインのトイレです。
近くにある十二所古墳、まだ行った事がありません。
行ってみましょう
駐車スペースが見つからなくて、ちょっとウロウロ
橋の名は、十二所橋です。
大正用水にかかる十二所橋です。
橋のたもとにちょっと駐車して、いざ古墳へ
前方後円墳だったんですか
未発掘なんですね
赤城山がよく見えます
天幕城もよく見えます
長い間歴史を見つめてきたんですね。
おつかれさま
元博徒で念仏往生した人は、たぶんもっと街中に住んでましたね
市中に立って往生を触れた人も、市中にいたはずです
毒島尼は、毒島城の近所かな?
赤堀には、市場町の地名があります
今度はそちらを歩いてみましょう