黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

赤堀念仏往生伝の記憶を訪ねて・その3(福田山大林寺)

2022-09-14 19:54:53 | 念仏往生伝の記憶を訪ねて

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

彼岸花が咲き始めたよ

ひめちゃんは興味がないようです。

お腹にいい草かな、食い付いています

 

山上の蓮田を廻って帰ります。

稲穂は倒れてしまっているのに、蓮は花も葉も元気です

 

 

 

あちこちのカテゴリーに散らばった、上野国山上の行仙上人著『念仏往生伝』関係の記事を、集めて編集中です

 

赤堀の念仏往生譚の第28話・第29話を確認です。

第廿八 同国赤堀紀内男

盛年之比。以博奕成業。而建長元年閏十二月或時戌剋許。僧二人出来告云。汝近日可生極楽。早遂出家也。件僧経一夜。至其朝不知行方。其後出家。俄痢病更発。兼以十余日 。前両僧又来。毎夜教訓之至。同月廿二日。所住西方墻等悉破去。遙向西方天逝去了。

第廿九 同国同所懸入道

自在俗之時。常高声念仏。至老年遂以出家。至建長三年五月廿四日。仏来告云。来六月二日辰時可往生云々。仍廿五日樹市中。告諸人云。来月二日可往生 。諸人来結縁云々。人々不信之。或人至其期。相尋之処。至其門辺。聞有火急之声。即是彼最後念仏也。看病云。只今沐浴潔斎。着紙衣袈裟。端座向西。火急念仏。五十余遍。即臨終了。智阿弥陀□止見之語之。

(『日本思想体系 7 往生伝・法華験記』1974岩波書店)

 

前者は、若い頃博打打ちだったけれど、念仏往生した人の話です。

後者は、ずーと信心深く、老年になって出家、仏のお告げを受けて、市中に立って、「私は来月二日に往生します。みなさん来て、結縁してください。」と云って、往生していった人です。

 

 

主人公たちは、どうも街中にいたようです

赤堀には市場町という地名があります。

古来市が立って賑やかな所だったのでしょう

そして、今も賑やかです

 

(2020年の9月)ベイシアショッピングモールの隣の、福田山大林寺を訪ねました。

 

大林寺については、検索してもほとんど何も出てきません。

ふと『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅱ』(上毛文庫 平成15年)を開いてみました。

ありました

大林寺は慶長十九甲寅年(1614)に、赤堀入道昌翁藤繁居士の開基、秀山梵芝和尚の開山によって開創された寺である。

開基の赤堀入道は秀郷流藤原氏の一族、名門赤堀氏の一族であろう。・・・(中略)・・・寺の開創と開山については異説がある。境内に「鬼の足跡」と呼ばれる安山岩の自然石の平らな面に線刻で二つの塔婆が描かれている。右手に寛永四年(1627)丁卯年霜月廿四日、傑山安置開山。左手は海月二世という文字が読める。

 

この門柱、今までは「ちょっと狭いかなと」ハンドルを切れませんでした。

今回はベイシアから歩いて訪問です。

 

参道右手に、ちょっと不機嫌そうだけど、目立つ如意輪観音です。

 

参道を進むと、真っ赤な山門(仁王門)です。

仁王様は、ガラスの向こうにしっかりしまわれています。

 

 

 

仁王門を抜けると、左手に幼稚園です。

 

 

参道を進みます。

とっても大きなお地蔵様です。

前掲書によれば、あの高遠石工(たかとういしく)の作品だという事です

 

おや、こちらのお地蔵様は、ロープで縛られています。

ちょっとつらそうです

どうも改装工事中のようで、雑然としています。

 

改装工事なんて関係ない子達もいます。

 

 

本堂前にも、工事用車両です。

横から、失礼します。

福田山の山号が見えます。

 

 

左後ろには、真っ赤な鐘楼堂です。

赤い鐘楼堂と青松とのコラボ、いいですね

 

 

さて、本堂の左手は古い墓地です。

 

左奥の大きな石が気になります。

何か書いてあるようですけど、読めません。

もしかしたら、これが「鬼の足跡」?

 

和尚さんの墓標も俗人の墓標も、雑然と存在するようです。

奥に変わった形の墓があります。

 

変形板碑?

 

あの変わった墓の方に行ってみます。

「木火土金水(もうかどごんすい)」ですって

前掲書には、何も記載がありません。

 

本堂前で、もう一度参拝です。

あれ、蓮と黄金色の狛犬が居たんですね。

 

雑然としていたけれど、かえって市場町の雰囲気でした

 

 

 

 

コメント
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