ここのところ、ひめちゃんちの近所でもイノシシが出たと騒ぎになってます。
狐が出た、鹿も出たという話もあります。
暑すぎて「山に食べ物がないのかなあ」なんて声も聞かれます。
暑すぎる日々ですけど、ひめちゃんもタバサねーちゃんも、しっかり食べています
雪の日の写真を探していると、ひめちゃんが大好きだったケンくんちに寄った写真が出てきました(2020年1月)。
ひめちゃんの忘れられない恋の記憶です
それ以上のことはなかったけれど、ひめちゃんは大満足でした
里見系図の事付けたり落城のこと・その9 (永禄九年桐生も武田信玄の手入り)
誠に強き勢いに止む事を得ず、天正五年(丁丑1577)正月十六日、境野村三津掘にて廻り合い、荒巻、高橋互いに瞋言(しんげん)一思いの強き火を起こし、ともに刃に命を投じ、名を末代に残さんと互いに魂魄(こんぱく)を永く修羅のちまたにあらそうこそあさからざりし因果かな。
伝に曰く、新蔵と申すは荒巻式部が父伝蔵が妹婿なり。風間伊之助が次男なり。然るに風間、類家多し、荒巻は類なきにより、母方の所望にまかせ、荒巻を更しさらに五貫文の地を分地を与えて、類家の分ひらかするという。また荒巻、佐下橋の腹ともいう。非なり。是れ実せつなり。また新蔵と申すは、茂木馬之丞が婿なり。
永禄九年(丙寅、1566)に桐生も武田信玄の手入り、翌年春、軍役に依って伝蔵甲州へ渡る。
信玄の家中、荒巻田舎共に手詰まりに打ち勝つ事、信玄の御恩に預かり、誠に小家より出て世にしられたる勇士なりと云う。
あらすじです。
天正5年1月16日に、境野村三津堀で、荒巻と高橋が命を懸けて火花を散らしたのは、誠に浅くない因果でした。
記録によると、荒巻新蔵とは、荒巻式部の父伝蔵の妹婿です。風間伊之助の次男です。風間家は親類が多く、荒巻家は親類が少ないので、母方の希望によって、荒巻を名乗りさらに五貫文の土地を分け与えて、開拓させたそうです。また、荒巻は佐下橋家の出だともいいますが、そうではありません。こちらが本当です。
また、荒巻新蔵は茂木馬之丞の婿です。
永禄9年(1566)に桐生も武田信玄の支配下に入り、翌年の春、荒巻伝蔵は甲州に行きました。信玄の家中で活躍したということです。
「風間、類家多し、荒巻は類なきにより、母方の所望にまかせ、荒巻を更しさらに五貫文の地を分地を与えて、類家の分ひらかするという。」ということは、本来だったら風間を名乗るはずですけど、荒巻家を増やしたいということで妻の苗字を名乗ったのです。
「また荒巻、佐下橋の腹ともいう。非なり。」
佐下橋(さげはし)という苗字はめずらしいですね
そして、なんと群馬県桐生市に多いんだそうです
「また新蔵と申すは、茂木馬之丞が婿なり。」
荒巻家出身の妻の死後、再婚したのが茂木馬之丞の娘だったということでしょうか?
「永禄九年(丙寅、1566)に桐生も武田信玄の手入り」
こんな話初めて聞きました
この事実はないですよね
永禄9年9月、武田信玄は、箕輪城を攻略し長野家を滅亡させていますけど。
作者には武田信玄に対するあこがれのようなものがあるのでしょうか?
でも、あの里見兄弟の父・里見入道は
武田信虎に横領せられ、天文三年甲子の春、桐生に浪人なられし所、桐生殿日頃御念頃になられ、殊に新田の□伝お頼もしく思し召して、桐生搦手の押さえの為に、赤萩へ在城せられ
とあったように、武田信玄に元の領地を追われ、桐生へやってきたのでした
「翌年春、軍役に依って伝蔵甲州へ渡る。信玄の家中、荒巻田舎共に手詰まりに打ち勝つ事、信玄の御恩に預かり、誠に小家より出て世にしられたる勇士なりと云う。」
桐生から甲州に行って活躍した荒巻伝蔵、ウーン、ありえない話だと思うんですけど
里見兄弟の話に、なかなかたどりつきません
ストーリーが見えなくなってきました
初稿 2019.07.04 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2024.08.20
( 里見系図の事付けたり落城のこと 終 )