ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。
ひめちゃんの足が止まります。
タバサねーちゃんがやってきたのです。
「でも、タバちゃん、無理しないでね。」
タバサねーちゃんは、そこらでUターンです。
ひめちゃんは天神田を歩いてきました。
去年の秋、颯爽とお散歩するタバサねーちゃんです
アーカイブで、七海ママと
ママと同じサークルで一緒に住んでいたこともありました。
ののこねーちゃんとの関係は微妙でした
タバサねーちゃん、順位の逆転を狙っていたこともありました
ママ苦労していたね
桐生閑心院新田へ御目見え桐生謀反を調べ新田書状の事・その3(大事の時節到来・その2)
茂木馬之丞大老なりとて孫式部連判の上は子細なし。
津久井左京老体なれば倅(せがれ)和泉と同心なり。
荒井主税(ちから)は他出候えども、両舌はあるべからず。
遠藤、根本、片山、宮寺、村上などは役人といえ心なき者なれば、連判延引仕り候えども、兼ねて某方へ内通を取り置けり。
土屋主計、松島図書、鹿貫弥太郎、村上掃部(かもん)などは、去る永禄七年春、謙信公の家臣萩田に頼まれ、久留(黒)川攻めの時、後蘭田(五覧田)の城にて一族ともに亡びて、倅どもあるかいもなき幼稚なり。
あらすじです。
(大事の時節到来で、桐生家中の動静報告続きです。)
茂木馬之丞は桐生氏の重臣であるけれど、孫の式部が連判状に署名しているので問題はありません。(由良方です。)
津久井左京は高齢で、倅津久井和泉と同じ考えです
荒井主税(ちから)は所用で外出中ですけど、二枚舌の心配はありません。(由良方です。)
遠藤、根本、片山、宮寺、村上といった人々は、連判状に署名は引き延ばしていますけど、内通の約束を取り付けてあります
土屋主計、松島図書、鹿貫弥太郎、村上掃部(かもん)などは、さる永禄七年(1564)春、謙信公の家臣萩田に頼まれて、黒川攻めの時に、五覧田城にて一族がみんな戦死してしまって、(桐生家中になったけれども)息子たちは役に立たないほど幼いです
内通して由良氏に寝返る人々が、苗字だけになってきました
江戸時代に、桐生に住んでいた人の、オールキャストの感あります
(老談記が書かれた時代は)平和な時代になって、人々の先祖回帰熱が高まってきた事が思い浮かびます
上杉謙信が五覧田城にやって来たのは、天正2年(1574)3月です。
桐生氏が亡びた翌年です
謙信は三国峠から越山、膳城・女渕城・山上城を落とし黒川谷(渡良瀬川上流)にやって来ました。
(膳城)
(女淵城)
(山上城)
黒川とは渡良瀬川のことで、このあたりには黒川衆という武士たちがいました
そのリーダーが阿久沢氏と松島氏です
黒川衆は一応桐生氏に従っていたようですけど。
ちょっと、歴史の事実と異なるようです
初稿 2019.08.12 FC2ブログ「黒柴ひめちゃんの葛塚村だより」
改稿 2024.09.05
(つづく)